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S062■TMOについて
2003/04/06(Sun)

TMOが上手く活用されない理由及び対策について、当社が考えていることは、次のところにあります。
 http://www.quolaid.com/library/kiji/20021119.htm 

 TMOは中心市街地活性化を推進するためのスキームの中核、「基本計画」を始めさまざまな計画や組織を束ね、全体の活動を調整しながら活性化を推進していく機能を受け持っています。ご承知のとおり。

 このような大切な役割を担っているTMOですが、発足するにあたって肝心要のことがすっぽり抜け落ちたまま現在に至っています。

 それは、中心市街地活性という大事業を責任をもって推進にしなければならないTMOが、「中心市街地活性化とは中心市街地がどうなることか}、「どうすれば中心市街地が活性化出来るか」ということについて、ほとんど定見を持っていない、ということです。

 考えてみればこれは不思議なことです。ある目的を達成するために作られた組織が、自分の任務を果たすために必要な「基準」や知識・技術を持っていない、ということですからね。ふつうに考えれば、目的をきちんと定義して、達成する方法を考え、方法に適した組織を作る、というのが当たり前のようですが、どうもTMOの場合、そうはなっていないようです。

 「中心市街地活性化法」が制定され、「基本計画」〜TMOという事業の枠組が示されたとたん、基本的な「目的」、「課題」、「戦略」などという作業はさぼったまま、粋なりスキームどおりに、すなわち書面の上だけで仕事を進めた、ということの結果ですね。(まあ、上意下達的に設置される組織や事業の場合、おしなべてのことでありますが)

 中には地元で活性化について方向を模索、方向を固めていた段階で法が制定され、「渡りに船」という例もあるようですが、大多数は似たり寄ったり、即席TMOだったと思います。
ここには、大きな問題が見えています。

 第一に、これまで各地で取り組まれてきた「活性化事業」の反省が全く行われないまま、新しい枠組みに「乗り換え」たということ。
@これまでの取り組みには反省の余地はなかったのか? 
A反省すべき点がなかったとすれば乗り換える必要は無かったのではないか? 
Bこのような乗り換えで「活性化」が実現できると本当に思っているのか
Cひょっとしたら何にも考えていない? 
つまり、フレームが新設されたから「なんかやらなくちゃ」というだけで取り組まれているのではないか?

 第二に、「補助金」による誘導。補助・助成制度は、事業主体の活動を「目的整合的な方向に誘導する」ことが目的だと思いますが、事業主体たるTMOは上で見たように、目的云々は二の次、懸案の事業に優先・優遇の「補助金」が準備されたことを奇貨にこれを目当てにさっさと作った、などという例も仄聞されます。
このあたりには、中央で目的・手法を考えて「補助金」で誘導する、される、というこれまでのパターンの限界というか問題点というか、時代環境の大きな変化を迎える中であらわになったということが出来ると思います。

 余談ですが、「平成の大合併」というのもまさしくその典型になっている例が少なくない。補助金を合い言葉に「合併ありき」という論議がまかりとおっている。この時期、「合併しない」という方針を貫いている自治体はそれだけで見上げたもの、出来たら応援したいものですね。
自分のことはとりあえず自分自身で考えてみる、という当たり前のことを商店街、中心市街地、自治体など、組織や地域レベルの問題に適応してみるということが無くなっています。こういう風潮は、個々の問題の成り行き以上に重要、注意を要する傾向ではないでしょうか。

 本論に戻って。
 「出来ちゃったTMO」がやるべきことは、まず組織の目的を定義すること。それぞれの都市、注意sn市街地の実態に即して、具体的な達成目的を決め、そのうちTMOが担当するものとその目標を定める、という作業が必要です。「今さら」という声もあるでしょうが、これをやっておかないと、どんなにお金をかけた事業を完成させても活性化にはつながらないでしょう。

 TMOに目的や知識がないということは、実務を推進する商店街組織、個店にも必要な知識・技術が無い、ということと密接に関連しています。トップから実務まで、目的無し・知識無し・技術無し、という三無状態を「活性化事業」という言葉だけで表面を取り繕っているわけです。

 あらためて、TMOに限らず、各方面の中心市街地関係者が挙って中心市街地活性化について検討する機会を持つ、ということが大切です。
前代未聞の課題に取り組むにあたって、知識・技術を修得しないまま、どこかの事例の物まねをするというのは、昔富士山に登ったことがある、というだけで技術も訓練もないまま、装備だけは今風にして冬のエベレスト登頂に挑戦するようなものです。
エベレストが命に関わるように(技術的な準備無しで挑戦する人はいません)、不用意な取り組みは中心市街地の命運に関わります。しっかり行く手を定め、一歩一歩前進していく基礎作りに挑戦すべきではありませんか。

理論武装

活性化法が制定されてまもない頃、ある都市で「基本計画」作成のお手伝いをしたとき、計画に「理論武装の必要性」を入れることを提案したところ、委員さんから「それは左翼用語だから云々」というクレームが付いたことがありました。

 左翼用語? まあ、かってはそうだったのかも知れませんが、理論武装とは行動に先立って、行動を目的達成につなげるために必要な理論を修得しておくこと、という意味ですから誰が使ってもいいと思いますね。
事例では「いまは誰でも使ってますよ」という発言があって、結局、文言ははいることになりました。

 理論武装、中心市街地活性化の場合ですと、中心市街地を本当に活性化するために必要な理論・知識を修得すること、という意味になります。全国各都市で「見よう見まね」で取り組まれている活性化への取り組みがほとんどみんな行き詰まっている現在、あらためて「活性化を実現するために必要な知識・理論」をしっかり修得することが必要だということです。

 このサイトは、リアルも含めた全国唯一、「中心市街地活性化を実現するために必要な知識・理論」をラグジュアリィというこれまで十分対応されていないニーズに着目し、モールへの転換という方向で提案しています。
当サイトが提案する活性化実現の方向は、ラグジュアリィニーズへの対応、ショッピングモールへの転換、実現する方法の鍵は「既存個店の転換」です。もちろん当掲示板の常連の皆さんはよくご承知のとおりです。

 この方向・方法を選択し実践していくためには、「理論武装」が不可欠です。「必要な知識・理論の修得」という作業をネグレクト(怠る)していたのでは、百年河清を待つようなもの、絶対に活性化の実現は不可能です。

 まずはTMOがこのことをしっかり理解して、関係各団体、組織の担当者の理論武装を図ることが最優先課題です。具体的には、行政、商工会議所、TMO、商店街組織(各単位まで)の「基本計画」可憐の担当者が全員同じ理論を修得する、ということが必要です。このことに疑いの余地はありません。「計画はみんなで考える」という非常識がまかる通っている組織風土が一般的ですからなおさらのことです。同じ理論を基礎に、それぞれの立場から違った意見を出しあうというのが会議ですからね。

 基礎となる知識や理論がバラバラでは声の大きいいもん勝ち、となるのはあたり前。ただし会議に勝って実戦に負ける、理論的な裏付けのない方向・方針で活性化に成功することは奇跡を待ち望むようなものです。

 TMO担当者が取り組まなければならないことは、「関係者の理論武装」という難問です。難問だということはお分かりですよね?
この仕事、必ず一度はやっておかないといけないことです。ネグレクトしているとこれから事業に取り組むたびに思い知らされることになります。
いうまでもなく、「個店の転換」に取り組まなければならない商店街の皆さんは個店の転換を実践するための理論武装が必要です。しかし、商店主だけが理論武装をすれば良いかというとそうではありません。「基本計画」の関係者は商店街の皆さんよりもさらに広い範囲で俯瞰的な理論武装が必要です。TMOの実務を担当されている皆さんにとって、関係者が活性化の方向・方法について一致する、その理論的基礎まで修得している、ということは必ず実現しなければならない課題です。

 事業を推進するために必要な理論武装という、本当に基礎的なレベルのことが全国の「中心市街地活性化」プロジェクトに共通した課題になっています。ここかしこでそういう事例が散見される、というのではなくほとんど全ての都市の取り組みがこういうレベルだということです。
 しかもこのことは関係者にほとんど気付かれておらす、したがって全く手つかずのままで、なぜか「活性化事業」だけが整斉と進んでいる、というのが全国的な実状だと思います。すさまじい状況ですが、担当になった以上たじろぐわけにはいきません。関係者の理論武装を如何に実現していくか、これが全国のTMO関係者がそれぞれ孤立した状態で取り組まなければならない共通の課題になっています。

 当サイトでは、今後「理論武装」という言葉をキーワードに加えたいと思います。
中心市街地の活性化は中心商店街の活性化、方向はラグジュアリィモールへの転換、方法は既存個店の「店づくりの転換=新しい専門店への生まれ変わり」が中心、まずは関係者の「理論武装」から、という大変分かりやすい仕事です。方向・方法の的確性と仕事の内容を理解するのが理論武装ということになります。

 TMO担当者の皆さんは、中心市街地関係者こぞっての理論武装の機会を作ることが現下最優先の課題だと思います。既に着手している事業などもあるかと思いますが、それらの事業が伸展するにつれて活性化が進む、という革新がありますか? 全くありませんね。現在推進中の事業に効果を発揮させるためにも理論武装は不可欠なのです。

理論について(長文)

>当サイトでは、今後「理論武装」という言葉をキーワードに加えたいと思います。

 中心市街地関連のサイトを巡回される方はご承知のとおり、関係者で「理論」についてうるさく問題にしているのは当サイトだけだと思います。どうして全ての事業に優先して理論武装の必要性を主張するのか、もう少し説明しておきます。

 人間は毎日、外部の状況についての情報を入手し、機会と危機を評価し、対応策を考える、というような作業をしています。これは、ビジネスに限ったことではなく、毎日の生活のあらゆる分野で私達がふつうに行っていることです。
 このような情報の収集や加工は、白紙の状態で行われるわけではありません。何の先入観も持たないという条件は、いわば生まれたての赤ん坊のようなものであり五感を通じて取り込まれる情報を理解することは、生来持っている「快−不快」判断以外は出来ない、ということを意味します。

 私たちは自分の脳内に、生まれて以来これまでに経験したことで作られている膨大な知識を持っています。
これらの知識は、外界を理解するための道具であり、「理論」と考えることが出来ます。もちろん、この理論はこれまでの経験から得られた「仮説」であることが多いのは言うまでもありません。

 情報を理解するということは、新しい情報を既に持っている理論のなかに位置付ける、ということです。
「この既に持っている理論」は先入見とも呼ばれます。先入見は一種の理論なのです。
 外界から得られたデータは、先行する理論と照合されて理解されます。私達は新しい経験を古い理論で理解する、ということですね。理解するとは、自分が持っている仮説の範囲に新しい状況を押し込むこと、といっても良いと思います。外界を理解する、ということは外界に自分の理論を押しつける、ということだと言っても良いと思います。そうしますと、自分が持っている理論(先入見)は、現在〜将来の外界を理解する道具として適切だろうか、という問題が生じます。(ここから科学が生まれるわけですが、科学については個人サイドで考えていきます)

 私たちが持っている知識=理論はこれまでの人生において、さまざまな機会にさまざまなルートから入手したものですが、互いに矛盾していたり、関係する外界の一部しか説明できない不十分なものであったりします。また理解しなければならない対象が大きく変化したりすると、これまでの理論で理解し行動したのでは対応を誤る−期待した結果を得ることが出来ない、ということも有り得ます。理論は出来るだけ頻繁に点検し評価し改善したいもの、事実、私達は毎日のように自分の理論を訂正しながら生きている、といっても過言ではありません。

 さて、商店街活性化に関する理論−現に持っている知識について考えてみましょう。今日、商業関係で「理論」として流通しているのは、ほとんどが郊外型ショッピングセンターが存在しなかった時代の商業に関する知識をもとに作られています。例えば、「小売集積の顧客吸引理論」、ライリーやコンバースの仮説とは、ショッピングセンターが登場する前の、二つの都市間の地域からの買い回り商品の買い物行き先について確率的な予測を行う手法でした。仮説が経験的に成立した=使えたのはショッピングセンターが登場する以前の買い物行動に対してだけなのです。
(詳しくは http://www.quolaid.com/city/city125.htm を参照のこと)

 現在の購買行動を考えてみますと、
@最寄りの店が購買行き先であることから「最寄り品」と呼ばれる食料品や日用消耗品は、車立地のスーパーマーケットまで出かける。
A気にいるものが見つかるまでショップを巡回することから「買い回り品」と呼ばれた選好性の高い商品(ファッション)などは、行きつけのショップで気にいるものがなければ買うのをやめる=買い回らない、という行動が多くなっています。
 このように、現在(つまり、もの余り、店あまりという環境)の商業環境は、従来(つまり、もの不足、店不足という時代)の理論では理解できないことが多くなっています。

 環境は激変しているのに、環境を理解し・手を打つための道具である理論は昔のまま、ということではせっかく苦労して対応策を考え、実行しても効果を得ることは出来ません。例えば、店前通行量がお店の業績を左右したのは、もの不足時代のことです。この時代は歩いている人が全て「もの不足」であり機会があれば、物を買いたいと考えている人がほとんどでしたから、通行客=潜在顧客だったのです。
 もの余りとは、通行客のほとんどがものに不自由していない、という状況であり、通行客は自店の潜在顧客でも何でもありません。こういう時期に店前通行量を増やす=イベントなどで不特定多数の人を集めるという「もの不足時代」の理論で対策を講じても成果が挙がらないのは当然です。
 
 古い理論をその根拠について再検討しないまま事業の企画に利用し、計画を実行することは、古い理論の新しい現実への押しつけです。
「現実」はどんな理論を押しつけられてもけして文句は言いませんが、その結果は必ずその理論を用いた自分自身に戻ってきます。すなわち、期待していた成果は挙がらず、時間とコストが宙に消えていき徒労だけが残ってしまいます。多くの商店街がいままさに体験しつつあるところです。

 このような結果が起こるのは「理論」と現実のミスマッチ、無意識のうちに使っている理論が時代遅れになっている、ということに気付かないということが原因です。
考えてみればこれは大変なことです。あなたやあなたの商店街、あなたの都市だけではなく、日本中の商業関係者のほとんどが、知ってか知らずにかはともかく、時代遅れの理論で商店街活性化に取り組んでいるということを意味していますからね。活性化が実現できないのも無理はない、ということでしょう。

 「理論」とは対象について私達が持っている知識の全体のことです。意識しているかどうかに関わらず、私達は既に持っている理論でしかものごとを見ることは出来ません。時代が変わったから、新しい理論が必要だ、ということは同じものごとを新しい理論で見なければ効果的な対応が出来なくなっている、と言うことですね。

 「理論武装」とは無意識のうちに行動の基準にしている理論・知識と、現在の商業環境をきちんと説明出来る整備された知識とを置き換えることを意味します。けして白紙の状態の頭に理論を植え付ける、というようなことではありません。不断に行っている理論の改善に意識的に取り組む仕事です。

 全ての商店街関係者は、理論武装しますか、それともこれからも古い時代の常識を現実に押しつけますか? という問いを突きつけられています。(もちろんこれは商業に限ったことではなく、転換期という言われるこの時期、社会のあらゆる領域で一斉に起きていることですね。)
私が提案しているのは、もはや従来の理論ではいくら頑張って活性化に取り組んでも期待されている成果を挙げることは絶対に不可能である、最優先で取り組まなければならない課題は、理論武装=理論の置き換えである、違いますか?ということです。

 くり返しますが、間違った理論を押しつけられたからといって現実は文句を言ったり悲鳴を上げたりはいたしません。ただその結果が間違った理論を押しつけた側に帰ってくる、ということです。
古い理論と置き換える理論は新しければ何でもよい、というわけにはいきません。さしあたり私が推薦できるのはもちろん当社の理論です。他にはあまり見あたりませんしね。

 理論武装の意味と必要性、誤解の余地無く納得していただいたことと思いますが如何でしょうか。


 「理論」についての考察は、私の個人サイトのメインの一つです。
興味がある方はどうぞ。
 http://www2.saganet.ne.jp/take-one/index.htm
「方法論」のコーナーです。

理論武装=理論の置換

前階のまとめ。

@白紙の状態・先入見無しででものごとを見ることは出来ない。
Aものごとを認識するとは、先入見の外界への押しつけである。
B問題解決には外界の変化をきちんと説明できる理論が必要である。
C転換期には古い時代の理論を新しい理論の置き換える仕事が必要である。

ということについて理解されたことと思います。
「理論武装」とはそういうことだったわけですね。

 当サイトが提唱している内容を理解するということは、単にこれまでの先入見とは一風変わった知識としてどこかの引き出しにしまうのではなくて、これからの経営、問題解決を導く理論として採用する、ということでないと価値が乏しくなります。

 これまでの経験の中で蓄積してきた商業、商店街、自分のお店に関する先入見を当サイトの主張と一々突き合わせ、矛盾・対立する部分があれば徹底的に吟味したうえで当サイトの理論と置き換える、という取り組みが期待されています。

 あなたが無意識のうちに外界認識−問題解決に使っていた、未整理の知識の山、断片的な知識の集合と当サイトが提唱する理論とを置き換えるということは、どういうことでしょうか?
 それは、無意識のうちに使ってきたさまざまの知識を一つの「体系」のなかに位置付け、先入見を全体的に筋の通った体系に整理すること、つまり細切れのまま蓄積してきた知識を「新しい時代の見方」を基準に再編:再統合する、ということを意味しています。
 理論の置換、細切れ知識の寄せ集めを新しい視点で整理して体系化する、付け加えではなく、置き換えであることにご留意。

 
 これからも見よう見まね・断片的な知識を頼りにやっていくつもりですか、それとも新しい理論と置き換えますか? ということです。


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