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S037■動かない計画は無い方がマシ

2002/12/04(Wed)

 基本計画のように(現在の広域合併もそうですが)、外部からの提案で取り組まれる仕事の計画つくりでは、地元の問題意識が成熟していないために、往々にしてマニュアル頼りになってしまうことがあります。

地元にしっかりした問題意識があれば、マニュアルをチェックすることが可能ですし、地域向きに応用編を作ることも可能です。問題意識が突き詰められていないと全国趨勢を踏まえているだろうから、ということでマニュアルに依存して事業を進めることになる。
地元の事情よりも「マニュアルはどうなっているか」、「マニュアルにあるか否か」ということばかり気になって、だんだん中身がづれて来る。
最終的には中活法の目的とは大きく異なる「一体的推進の目標」、ソフトハードの事業一覧が出来上がってしまう。マニュアルを地元に翻訳しただけですから誰も計画に自分の商売をかけようとするものはいない。(計画主体もそういうことは夢想だにしていない)

計画は出来たものの、実際に動くのは行政+補助金で動く事業だけ、肝心の商店街の活性化はぴくりとも動かない、ということになります。

計画にはそれに先だってはっきりした「実現しなければならないこと」があるはずです。これがはっきりしていないと計画は動かないし、動くところだけを動かしても目的は達成できません。
 動かない計画でも公費をつぎ込んだ以上、計画として存在します。何かをやろうとすると必ず計画が顔を出してくることになります。「計画に乗っているか否か」など。

動かない計画、マニュアル主導の計画、関係者に勝負をかけさせられない計画は、本当に問題が定まってきたとき、邪魔になることがあります。
問題意識がはっきりしない段階でマニュアル主導で作られた計画は一日もはやく見直すことが必要です。

関係者の心をとらえられない計画がそのまま残っていると、さまざまな弊害が起きてきます。ご承知のとおり。
動かない計画は無い方がマシ、動かない、動けない計画をかかえている所は、決断の時です。

実行部隊の能力に合わせてはいけない

 計画を実践する立場の人たちが理解できない、実践できない計画を作ってはいかない、ということから短絡的に、

「実践部隊の能力に合った計画」つくり、「いますぐ出来ることからはじめる計画」つくり、等々が出てきます。
こういうレベルの計画で活性化が出来るくらいなら全国一斉に活性化に取り組まなければならない、という状況は起きなかったはずです。
実践部隊(商店街)の(店づくり)能力とお客の要求のミスマッチが物販機能としての商店街衰退の原因ですから、「すぐ取り組める計画」などをいくつ作っても活性化にはつながりません。

 商店街組織や店主の皆さんにアンケート調査を実施して「したい事業」「欲しい施設」などを調査し、実施を計画するのは愚の骨頂です。もっとも希望の多かった項目は事業メニューから外す、という思い切った趣旨の調査なら面白いかも知れません。ただし、その場合は「外す大義名分」を用意することになります。

 常々申しあげているように、自力で活性化できずにこめっている人たちが「どうしたら活性化できるか」、わかっているという思いこみが凄いですね。商店主の皆さんは、どうすれば繁盛店に再生できるか、全然理解していないと考えるべきです。「意識調査」のはずがやっているうちに事業メニュー調査になってしまった、という事例も見聞するところです。

 さて、問題は、現在の能力では活性化を実現できない、というレベルの実践部隊に「理解できず推進できない」計画を作ってはいけない、実践部隊の能力に合わせることなく・理解・実践できる計画を作れ、ということですが、どうしたらそういうことが可能でしょうか?

計画つくりを能力開発の場にしてしまう

> さて、問題は、現在の能力では活性化を実現できない、というレベルの実践部隊に「理解できず推進できない」計画を作ってはいけない、実践部隊の能力に合わせることなく・理解・実践できる計画を作れ、ということですが、どうしたらそういうことが可能でしょうか?

もういちど確認すると問題は、あるべき商店街活性化計画は、現在の能力では自分たちが直面している問題の解決が出来ない商店街の皆さんが
@内容を理解し、街及び自分のお店が取り組むべき課題を理解し、A実際に課題に取り組んでいくことが出来る、という条件を満たすことが必要です。

 @についてはとても商店街のなかからそういう認識が出てくるまで待ってはいれませんから、適切な理論を導入して理論に基づいて作ることになる。
ところがこれではAの条件が満たされません。外部から与えられた計画を実践できるくらいなら計画も自作できたはずですからね。

 Aを重視すると、「アンケート」結果を尊重することになりますが、皆さんがすんなり理解できる事業メニュー、行動計画で河清かが出来るという子ことは有り得ないことはこれまでずうっと全国各地の取り組みで証明されてきたところです。  

 第三の道としてどのような手法が考えられるか?
言ってしまえば簡単なことですが、「勉強しながら計画する」という手法を取ればよろしい。(なぁ〜んだ、とか言わないでくださいね、これは「コロンブスの卵」ですからね。)
 計画策定にあたっては、まず「中活法」スキームの中心市街地・商店街活性化の総論について修得する。これが当社の「商人塾」にあたります。
総論について法知識を共有したところで、個別条件を踏まえた行動計画つくりに入る。端的に言えば「ショッピングモールへ転換」という目的達成に向けて、具体的な環境・条件にどのように働きかけ・整備していくのか、ということを考え、実効策を練り上げていく、ということになります。もちろん叩き台つくりについてはプロの支援を受けることも有り得ますが、採択にあたっては十分な検討・理解が前提になります。何しろ商店街ぐるみでこの計画に将来を掛けるわけですから。

 計画つくりを通じて能力を変えてしまう、これからのまちづくり・店づくりに必要な知識・技術を修得するということがあって初めて、出来上がった計画が「自分たちが作った自分たちのまちづくりの計画」という認識が生まれ、「どこをどうすれば目的が達成されるか」自分たちのやるべきこと&やり方が皆さんに共有される、ということが可能になります。

 同時に、先行して実践に取り組み・成果を実証する取り組みが展開されていると仕事はいっそう速く的確に進みます。

計画はよってたかって作らない

 計画はみんなで作る、市民参加のまちづくりなどということが盛んに唱えられています。大学の先生、コンサルタントなど学識経験者・専門家といわれる人たちが率先してこういう何の根拠もないことを唱え、かつ、実際の計画つくりにあたって実践しています。日ごろ計画の対象になっていることについてあまり考えたことのない人達に意見を聞き、かつ、その意見の通りに計画するから始末が悪い。

 計画はどうしてみんなで作らないといけないのでしょうか?
 みんなで作ればいい計画が出来るのでしょうか?

 どなたかきちんと説明できますか?

 もちろん、まちづくりなどの計画は多くの人たちの生活や将来に関わることで有ることは言うまでもありません。そういう人たちが、自分たちの住む街がどんな街になるのか、ということに関心があるのは当然であり、また、そのことについて自分の意見を言うこと、自分の意見が実現することを希望するのは当然です。しかし、そのことと彼を含めて関係者が望むまちづくりの結果を達成することとは、全く違うことです。

 まちづくりには目的があります。目的を達成するためにはそれが可能になるまちづくりをしなければならない。それは、関係者が持っている街のありかたについて希望していることを実現すれば達成されるという性格のものではありません。

 まちづくりのような時間を掛けてさまざまな性格の仕事をあるいは平行してあるいは順序よく実施してその結果を積み重ねていく事業では、目的・目標が的確であること、全体のシナリオがよくできていること、計画内部の整合性がきちんととれていることなどが求められます。特に大切なことは、目的〜シナリオの段階です。シナリオは、事業を取り巻く環境のなかで、実施主体の力量で目的を達成していく最善の方法を意味します。「戦略」ということですね。これをよってたかって作れるはずがない。
計画は、この全体シナリオを分野別、段階別に区分して、各区分ごとにそれぞれの作業を示すものです。これは全体のシナリオをきちんと理解していないと作ることが出来ません。

 計画(案)は、誰でもいのですが、シナリオを描ける人がたった一人で作らなければいいものは出来ません。日本海海戦の作戦は一人の参謀が、一人きりで何日も部屋に閉じこもって作りました。彼が作った戦略をもとに艦隊全体の行動が計画され、全体の計画を達成するために各戦闘艦の行動が計画されました。それと一緒です。こういう場合に、各艦の艦長が集まって戦略〜計画を立てたら良い計画が得られるでしょうか?全体計画ですから自艦のことはひとまずかっこに入れておいて考えなければなりませんが、差し迫った環境でそのことが出来るか? それぞれの立場を踏まえた意見を集約すれば優れた計画が出来るのか?
そういう保証はどこにもありません。むしろ、各艦の艦長が自分の艦のベストの行動ということを中心に意見を出し合い、その結果を集約して計画にする、というような手法では目的達成とは全く関係のない計画になってしまうことが確実です。

 よってたかって「知恵」を寄せ集めればいい計画が出来る、ということは全くありません。それなのにどうして計画はみんなで作る、ということを誰も怪しまないのか?不思議ですね。

計画つくりは一人に任せる

 目的が大きく、かつ、多くの人の利害に直接影響であればあるほど、計画(案)は一人の人に任せて作らなければならない。みんなで作ればいい計画が出来る、などという迷信は目的達成をまともに考えたことの無い人だけが言える言葉です。みんなに関係のある計画はみんなで作らなければならない、というのは「民主主義」を誤解した人たちの信条です。このような安易な考え方は、目的達成を目指した実践のための計画つくりという責任を全うできるアプローチではありません。

 あれもこれもと出来るだけ関係者の希望を集めて実現することと、事業関係者の究極の目的である商店街活性化を実現することとは、同じことのようで全く違います。

 長期的な事業計画の立案は、目的・目標、環境与件、実施主体の能力、調達できる手段などを全て把握したうえで、現状から目的達成までのシナリオを描く、シナリオの各シーンを実現する計画を立てる、という作業です。特に戦略=シナリオは、当初、さまざまに考えられる方法から、ひとつの方法を選択・決定する作業です。

計画決定は全員で

>目的が大きく、かつ、多くの人の利害に直接影響であればあるほど、計画は一人の人に任せて作らなければならない。みんなで作ればいい計画が出来る、などという迷信は目的達成をまともに考えたことの無いものが言う台詞です。みんなに関係のある計画はみんなで作らなければならない、というのは「民主主義」を誤解した人たちの信条です。いずれも目的達成を目指す計画つくりという責任を全うできるアプローチではありません。

どのような計画を採用するか、計画の決定権はもちろん事業主体にあります。商店街活性化の行動計画であれば、商店街の成員全てが決定に参加する権利があるでしょうし、参加しなければならない。
このことと、計画(選択されるべき原案)を誰が作るか、ということは全然別の話ですね。

 このことは、実は代議制民主主義の基本に関わることですが、複雑にものごとが入り組んでいる社会では、当事者だからといってものごとにきちんと対処できる能力や時間を持っているとは限りません。専門職というシステムが生まれるわけです。