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自分の家を建てるのに、図面だけはプロに頼んであとは自分で、という人はなかなかいませんよね。ゼロということは無いが、きわめて少ないでしょう。逆に家の機能やデザインについては自分であらましを決めて正式の設計は専門家に依頼する、ということだと結構見聞の範囲に入って来ます。
もちろん中には図面まで自分で引いてしまう人もいる。でも念のため、一度は専門家にチェックしてもらった方がよい。規制のクリアもあるしもっと根元的には人間誰しも時に思わぬポカをすることがありますからね。
図面があれば施主が自分でマイホームを立てることが出来るか?
出来ないことはないが、それは例外も例外、施主が何らかの理由で建築関係の技術を持っているときに限られる。
どんなにすばらしい図面が出来たからといって、通常だと素人に家は建てられません。街づくりもまったく同じことが言えるわけで、小売業のプロが集まってからといってショッピングモールへの転換は難しい。
まちづくり=商店街活性化をマイホーム作りと対比させて考えてみましょう。大方の商店街の実態としては、計画作りの段階はコンサルタントにほぼ丸投げしておきながら、肝心の実施段階ではお引き取りいただいて自分たちだけで取り組む、ということですね。
これではどんなに良い計画が出来ていても、いや、良い計画であればあるほど実現は難しい。
この時期、コンサルタントは「自分又は自分と同等以上の力量のコンサルタントが指導する」ということを条件に「これで活性化できる」という計画を作ることでしょう。指導抜きでは活性化は実現できない、これはまじめなコンサルタントならみんな口には出さないものの思っているはずです。中には口に出す人もいてそれは私(w。で、ほとんどの人はそういうことは夢にも考えていません。多分あなたの街にやって来る人はそういう人ですね。
したがって、高度化事業みたいに実施段階は施工業者に丸投げ、というハード事業を別とすれば、計画は出来たもののその後はどうしたらいいのかさっぱり分からない、というところが多いのではないでしょうか。
これはマイホーム作りでいえば計画作り=図面引きは専門家に頼んだが実際の建築工事は基礎工事から内装工事、ガーデニングから水回りまで全部一切合切ファミリーでやる、というやり方に等しいわけですから、そういうはめに陥るのは当然といえば当然ですよね。そういう方法でマイホームや店舗を建てた人はいないだろうに、まちづくりになるとどうしてこういう方法でいけると考えちゃうんでしょう?
実際に街づくりを実践していくということは、計画に基づく組織の再編や連合組織の立ち上げ、TMO、基本計画のブレイクダウンなどなどこれまで地域ではまったく取り組んだことのない難儀な仕事をやり遂げていかなければならない。 しかもそれぞれの仕事が同時並行に、人もだぶりながら進んでいく。おまけに恒常的な行事、もっとも大切な個店の転換への取り組み、組合員店舗の転換の支援・指導・・・。これらの仕事を誰がどうやってこなしていくのか?
会議所TMO? あ、そうなんですか(笑)
まして、このところさんざん悪口を言っているように、まちづくりの支援を事業機会とするコンサルタントは、厳しい環境変化の真っ最中、疲弊している商店街の皆さんの意欲を振起させて事業の取り組んでもらう、という使命をもった計画を立案する能力などはなから持っていませんから、既存の計画の多くが、おいおい、といわざるを得ないレベルの出来映えです。まぁ、ほとんどが計画に記載されたことを100%実現しても街が活性化されることはない、というレベルのものと断定して差し支えない。
こういう計画を作らせておいて、「計画が出来た、あとは実行するだけだが、なかなか腰が挙がらない」などと考えている関係者は二重に間違っています。
第一に、あなたの街の計画は、活性化を実現出来るレベルにないことが理解されていない。上述のようにこの計画に基づいて何をすれば既存の個店が繁盛店として再生できるのか、ということが示されていない以上、商店主は計画に乗りようがないわけですからね。
第二に、計画さえ出来上がれば自分達−つまりこれまでの経営ノウハウしか持っていない−だけで街の活性化を実現できると思っている。
上述のように、活性化法のスキームで活性化に取り組んでいくにはこれまで皆さんのまちではまったく取り組んだことのない仕事が目白押しです。
とても自分たちの力だけで曲がりなりにも何とかなる、と思ったら大間違いです。
これはどちらも間違い。たとえば、武雄市のモールへの転換の成功などでこれから注目されるであろう「ファサード整備事業」。
この事業を成功させるためには、ファサード整備事業の設計−組織化−財政−工事−竣工イベントという流れを経営することになります。
私どもが知る限り、大方の事例ではこの事業は設計事務所が統括することになっています。これが間違い。設計事務所の上に全体のまちづくり支援で入っている(もちろん、入っていればの話ですが)コンサルタントを位置させるべきです。
ファサード整備事業が実現を目指すのは、商店街活性化という上位目的を実現するための下位目標です。まずそのデザインをどのようなコンセプトで作りあげるかということは、商店街が担当しようとする「商業機能」によって規定されることになります。当然。
次に業種=テナントミックス。まさかウエディングドレスを新造土蔵作りで販売する、ということにはなるまい(というけど実際にあるんですね、これが)ファサード事業=店舗デザインの統一と勘違いして「ギリシア風」とか、「地中海風」とかを目指す、中にはわざわざそのために欧州まで視察に行ったという事例もあるらしい。ご苦労なことです。
ファサードのデザインを決めるのは建築士さんの仕事ではありません。誰が決めてもよいが街の昨日コンセプトとの整合性が必要、ディレクションは商店街の皆さんの意向を踏まえながら、コンサルタントが行う、というのが正しい事業のありかたです。もちろんコンサルタントでなくてもまったく差し支えない。地元に出来る人がいればその人にしてもらった方がでずっと良いでしょう。そういう人がいれば迷わず「タウンマネージャー」に就任してもらう。
上位目的である商店街活性化を実現していくためにファサード事業と相前後して何をやらなければならないか?
言わずと知れた「シャッターの内側の整備」ですね。もちろん内装工事、照明、什器などの改善等補助対象以外の投資も必要になる。補助対象外だからといってこのあたりを省略すると、肝心の店内においてお客にアピールする材料が乏しくなる。「新しい酒は新しい革袋に入れよ」。ファサードを眺めるだけで満足せざるを得ないということなら一度見ればたくさん、入店は期待できないということになります。
したがって、当然、何にもまして必要なことは、品揃えの転換です。ファサード事業と平行して店内改革に努める(これをやらないと内装改善などの意欲は出ない)ことがファサード工事成功のノウハウなのですが、このあたり、誰がどう考えることになりますか?
建築士?できないっしょ。施工業者? まぁさかぁ。 コンサルタント?いや、雇ってませんよ、何でファサード事業にコンサルタントが必要なの?とか思ってるでしょ。
かくてファサード整備事業は、確かに街並み整備には役に立ったが、街の活性化の必須条件である個店の改革には何の役にも立たなかった=活性化と関係のない{環境整備事業」だった、という事例ばかりですね。
視察者は増えたが商売繁盛は実現できない、という事例。困ったことに視察に来た街の皆さんは竣工街並みを見て、「いいな、成功しているな、うちの街でも取り組もう」となる。竣工は成功ではありませんからね。
実際に武雄市の事例を参考に取り組んだところでは竣工はしたものの、活性化には結びついていない、ということになるわけです。
というように、ファサード事業など具体的な事業を考えてみると、街づくりには統括プロデユーサーの存在が不可欠であることがあらためて確認されることと思います。
地元にそういう人材がいるというのは、まずまれでしょうから一般にはコンサルタントを招聘することになりますね。国ではその要員としてタウンマネジャー制度というのを設置して確保しようとしているが、活性化法のスキームの一端を理解してくるぐらいが関の山でしょう。
事業団に登録されているタウンマネジャーは高度化事業、再開発事業の専門家が多そうです。個別事業の支援は出来ても総合プロデユーサーは出来ないでしょう。
優秀なコンサルタントを雇ってこの下に地元の若者をつけておく、4,5年したら地元の若者が全体を統括するようになる(優秀なコンサルタントを確保する、というのが難問だが)、というように、中心市街地全体をしっかりマネジメントする能力を持った人材を確保、後継者の養成を含めて基盤整備と商業機能の活性化の両方について一体的に推進していく腰を据えた取り組みが必要なのが中心市街地の活性化でありますですよ。
まちづくり:マイホームづくりの比ではない
第一に何といっても関係者多すぎ。
商店街連合組織 商店街組織 商店主
商工会議所 部会 会員(当該地区内外)
行政・議会・議員各々
国 県 各級指導団体
これら関係者がそれぞれの立場・見識で守備範囲についてあるいはそれを越えて発言し行動する。これを調整し活性化の実現に向けて整斉とした活動にしていくことが必要であり、これには他のところにも書きましたが、リーダーには相当の力量・習熟が必要です。さらに最終的な事業の成否が個店の転換にかかっている以上、問題は資金さえあれば何とかなるなどという話ではない。優れて商業者個々人の取り組み意欲に関わってくる話ですね。したがって問題は、計画そのものが関係者にとって如何に魅力があるか内容を持っているか、というところに絞られてくる。計画は関係者による「これは自分の行動を律していくに値する計画だ」という承認が必要になる。このあたりはマイホーム作りとは同日に論じられないところですね。
とりわけ大事なことは、現在商店街で展望もはっきりしないまま営業を続けている商業者に「こうすれば繁盛店に生まれ変われる」という方向を示し、お店が生まれ変わるために必要な課題を明らかにし、課題を解決していく筋道と解決への具体的な支援を提案することです。
これが出来ないと他のどんな事業にどれだけ取り組んでも街の活性化は不可能です。多くの商店街で既存個店の建て直し、これ以上空き店舗を増やさない、ということが戦略^戦術課題になっています。コミュニティ施設の設置などで糊塗している空き店舗ですが、出店希望者はこれからますます減ってきますからね。(そういえば創業塾というのも始まっているけど商店街活性化と連動してしいるのかな)
まちづくり会社もスタートしたもののマップ作りとか空き店舗で奥さん相手のカルチャースクールなんか開いているようでは問題意識がずれまくり、商店街は
dog's year 、今の1年は昔の7年に匹敵する?
特にこの1年はどこのまちでもそれぞれ正念場のはず、いつやっても正しい・役に立つ・誰も文句を言わないような事業にうつつを抜かしていて良い時期ではありません。
マイホームづくりはこれまでのところでは運転免許が取れる人なら、建てられますね。出来ないとすればそれはマイホームを建てる建てない以前の問題でしょう。
他方、まちづくりはそうはいかない。指図書があり、そのとおりに動けば街が作られていく、というわけには行きません。その上計画書が「みんなのやりたいことをまとめた」、「みんなの望むまちづくり」だったりすると事態はさらに悪くなる。マイホームの計画、施工業者がそれぞれ自分の守備範囲の計画を作り、建築士がそれをまとめる、という手法では無いのと同様です。
計画は「一体的推進の目標」からトップダウンで作る、計画を作る人間は一人でなければならない、という話は次回に。
計画は一人で作る
この記事は、『計画はどのように作るか』(西坂秀博
1990 共立出版梶jに多くを負っています。
『中心市街地活性化基本計画』のように規模、範囲、期間が相当に及ぶ計画は、これは当然、一人の人間が全体の計画を作らなければいけません。一字一句に至るまで一人の人間が作ってはじめてものになる計画が出来ます。
これはプロジェクトのプランニングに携わるものにとっては、あたりまえのことですが、一般には専門家を含めて、えっ?と驚かれることが多いので説明しておきましょう。
計画を立てる、という仕事には仕事に先立って目的があります。ある目的を達成するための手段として計画が立てられるわけです。目的があるということは現状に不満があり現状から望ましいポジションへ移ることが求められている、ということを意味します。
移動は真空状態で行われるのではなく、現在の社会環境・条件の中で取り組まれるます。すなわち、問題の把握も望ましい目的もそのための手段も全て誰かの理論・知識によって把握され理解された問題であり、目的であり、手段です。
ある理論に基づいて建てられた目的を達成するための手段は、目的を建てるために使われた理論と同じものであることが必要です。目的を達成するための手段の全てが、目的と目的をたっせいするための仕事を行う環境条件から導き出されます。
今、目的はAという理論から、手段はBという理論から導き出されたとします。B理論に基づく方法でA理論に基づく目的を達成出来るでしょうか?
例としてショッピングモールについて考えてみましょう。
「ショッピングモール」という言葉は、大別すると二つの理論的な背景を持って使われる言葉です。Aは、小型の専門店が立ち並ぶ美しい街並み・通りという意味、Bはある買い物目的に全体の店揃えで対応しようとする商業集積です。
中心市街地の商業集積を一個のショッピングモールと見なして整備する、という目標を立てたとき、Aの立場で考えるのか、Bの立場で考えるのか、ということでは計画の内容が大きく変わります。
Aの場合は主として景観の問題として取り上げられることが多い。「歩いて楽しいまちづくり」ということで、こぎれいなお店が建ち並び、諸臭いなどが整備された○○風の街並み、などが計画されますね。これがAの立場での「ショッピングモール」です。もちろん、景観を創り出すことが最終目的ではなく、「歩いて楽しい街並みを作る」−多くの人がやってくるーお店に入って買い物をするー活性化が実現する、という理屈です。
この場合、各個店はそれぞれが個別に来街者にアピールする自店のありかたを考え、実現していくことになります。これまでの活性化事業のほとんどがこういう取り組みになっています。
Bの立場。これは、商店街=商業集積ということを直視して、現在〜将来のマクロの商業の趨勢を踏まえて中心市街地で成立可能な商業集積=「ショッピングモール」を目指します。同じショッピングモールというコトバを使った活性化への取り組みでも、基本となる考え方が違うと大きく変わってしまいます。
現実の問題ではAの計画が得意な都市計画プランナーさんなどが招聘されて計画を作っていくわけですが、○○風の街並み、ということが提案され紆余曲折を経て決定されると、その他の事業については皆さんの要望により収録する、ということになっている場合が多い。空き店舗の活用、情報化、無料バス・・・。
景観さえ出来上がれば人は来る・・・、という発想ですから関係者の要望はどんどん取り入れられる。特段の問題もなく計画は出来上がります。
Bの場合、現実の各個店がそれぞれ発起してショッピングモールのテナントに生まれ変わる、ということが大きな仕事になります。ショピングモールの買い物の場としての性格の選択と個店の転換をどのように実現していくか、ということが計画のメインテーマです。景観は、計画策定の最終段階で出てくる課題という位置づけになります。
「すりあわせ」という便利なコトバがあって、どうなんでしょう、足して2で割るというか、互いの主張に折り合いをつけつる、双方の顔が立つようにする、などなどを期待するのでしょうが、A,B両者の立場をすりあわせることはまず、不可能ですね。
ある目的を達成しようとする計画は、その目的を創り出した理論に基づいて作られるということです。理論はすりあわせ不可能ですから、計画作りではまず最初に、本当に自分たちがやりたいこと、実現したいことを基準に理論を選択することになります。
計画を作るにはまず、自分たちの目的を達成出来るだろうと評価される理論を選択することが大切です。計画には細部に至るまで選択した理論が貫徹していなければならないことは言うまでもありません。
計画は一つの理論に基づいて作られる。このことはご理解いただいたことと思います。しかし、まだなぜ「計画は一人で作る」のか、同じ理論の信奉者がグループで作っても良さそうなものですね。
どうしてグループで計画を作るという手法はダメなのか、いよいよ本論ですが、長くなりましたので項をあらためます。
計画はみんなで作る
基盤整備事業と商業等の活性化事業の両者を一体的に推進するにあたっての目標を商業集積としてのショッピングモールへの転換、と定める「中心市街地活性化計画」の場合、計画の全体が特定の理論によって体系化されています。ありふれたイベントその他の販促活動の一つ一つ、街並み景観までが理論の裏付けを持つわけです。ショッピングモールを構成するソフト、ハードの全てがショッピングモールのコンセプトを具現化することで相乗効果が生まれ、ショッピングモールがアピールされることになります。
基本計画所載の一体的に推進すべき事業群は、それぞれ密接に連携しており、相互に依存し補完し合って全体としてのモールを実現する体系に組み込まれています。それぞれの事業の内容は、体系の中の他の事業との連携で組みあってられるですから、ある事業に何らかの変化が生じると、その変化を踏まえて「一体的推進の目標」を実現していくという目標に照らして他の事業について、支障が起きていないか、これまでの計画で変化に対応して目標を達成できるか、ということがチェックされることになります。
これらのチェックは、ダラダラ時間を掛けることはできません。ある部分に変化が発生したら、それが発見されると同時に趨勢の予測と全体に及ぼす影響が瞬時に判断され、必要な措置が講じられるが必要です。
このためには事業の全体像が一人の人間に集中管理されていることが必要だと言うことです。
また、この作業は、これまでの計画策定に利用されたものよりも高度なあるいは異種の情報・知識・技術を必要とするかも知れません。プロジェクト参加者の中でその潜在的なキャパを持っている可能性が最も高いのはのはおそらくプランナーです。
このように計画は一人で作らなければならない、というのは大きな計画であればあるほど大事なことですが、通常はそういうことはまったく理解されておらず、いかにも安易な計画作りが行われています。
多くの都市の基本計画の場合、「一体的推進の目標」は、街区の諸構成要素のあるべき姿を支持するものではなく、計画される事業も関係者の思いつきの寄せ集め、実り少なかった過去の点、線での活性化事業を面に広げただけ、というていたらくですからこういう議論は馬耳東風かも知れませんね。
さて、計画は一人で作るわけですが、他方、モール作りの主人公は商店街の個店であり、その経営者の皆さんです。どのような立派な計画が出来上がっても彼らがその気になって動く、それもきちんと自分がやるべきことを理解し、実行するために必要なことは勉強して取り組んでいく、ということが不可欠です。 言い換えればこの計画を自分のための計画と認識してその実現の主役を張っていく、ということが必要ですが、他人が作った計画を自分の計画と理解し実現に取り組むというのは難しいことです。
それでなくても「一国一城の主」などと自分も他人も思っている商店主の皆さんに店づくりの転換に取り組んでもらうのは並大抵のことでは無い。
人がある計画の実演に真剣に取り組むには、その計画が自分自身のために自分が作った、本当に自分のために役に立つ計画だ、ということを心の底から納得することが有効です。特に「ショッピングモールへの転換」という事業の場合、各個店の自主的な取り組みが絶対条件、自分の仕事として取り組んでもらうには計画自体がお仕着せではなく、自分自身の内発的な意欲と直結していることが必要です。
ここで矛盾が生じます。基本計画は一人の人間が隅から隅まで書き上げるのですが、それにも関わらず関係者に自分たちが作った、自分たちの計画だ、と承知し、取り扱ってもらわなければならない。
「計画はみんなで作る」ということが求められることになります。
そこで問題は、「一人で作らないと機能しない計画」をどうやって「みんなで作った計画」として作りあげるかということになります。
なんだかプランナー向けの専門的な話になってきましたが、続けますか?
余談 その1
せっかくですのでもう少しやっておきましょう。
「計画はみんなで作る」
一般に受け取られているところでは、「商業のことは商業者が専門家で詳しいのだから彼らの意見を聞いてそれを基礎に計画する、商業者の意見を出来るだけ収集、掲載する、ということらしい。そんなことで良い計画=活性化を実現できる計画が出来ますか?
前にも書いたよううに、商業者=商業のプロですが、この場合のプロとは「それで生計を立てている」という意味です。よってたかって活性化が必要になっている、ということは見方を変えれば「生計が立てられなくなりそう=プロじゃなくなりそう」という状態に陥っている、ということです。
計画策定の間は「また計画か〜」と寄りつかなかったくせに計画が出来上がり(今度は)実行段階に入ろうとすると「我々の意見が汲まれていない」などと言い出すのがこの人達。
だからといって日ごろ街の活性化について詰めて考えたり論議したりしているわけではありませんから、画期的な意見が出るということは期待しにくい。ありきたりのハード事業のオンパレードということで、自分たちの意見が入っていない、といきまくきっかけになった既製品とどこが違うの?と言うことになる。
余談 その2
「叩き台は作らない」
こういう「自分の意見を入れる」派のひとたちに共通するのは、「叩き台」を作らせる、ということ。何か材料がないと論議できないから叩き台を出せ、ということでコンサルタント、プランナーに要請が来る。この時点でこの派の人たちの言ってることとやってることのレベルが明らかになる。
本当に計画に自分の考えを反映させたいと考えるなら、「叩き台」などは絶対に要求しませんよね。叩き台というのは出てきたらその時点で概ね作業は終了、あと出来ることは細目の増減と語句の差し替え程度になります。計画が出来れば一丁上がりでお払い箱になることが分かっているプランナーはラクに仕事がしたいので、二つ返事で叩き台を出す、出してしまえば流れは変わりませんからあとは日にちが経てば無事事業終了となる。
このことが分かっており、かつ、やりたいことがある人は叩き台話には抵抗しないといけない。まして、自分から叩き台を要求するなどとはとんでもない。あれこれ手直しを指示して「自分たちで作った」気分を味わうことは出来るでしょうが、いざ実行という段になると「何でこういう項目がここに入っているわけ?」ということになりかねない。
そのころプランナーさんはどっかほかの街で叩き台作りにいそしんでいます。
叩き台を作るのは最終段階の一歩手前、計画の全体像にぞごが無いか、ということをそれぞれ任務分担する立場から点検する、ということです。
早く作ると全体の空気が叩き台に呪縛されて基本的に叩き台の方向・範囲から抜け出ることが出来なくなります。
叩き台はぎりぎりまで作らないこと。
ちなみに当社はかってはクライアントと「叩き台を早く出せ」、「いやだ」という押し問答を繰り返したものです。
いま? そんなことは言わせません(w
余談 その3
「餅は餅屋」
つまり、計画作りは計画作りのプロに任せた方がいいですよ、ということ。
音楽と一緒ですね。あなたがオーケストラのオーナーだったとしましょう。オーケストラのオーナーがオーケストラの演奏する曲目を作曲しますか? 普通はしませんよね。 それではオーケストラに所属する奏者の誰かがしますか? 普通はしませんよね。
計画はみんなで作るというのはオーケストラが自分たちが演奏する曲は自分たちで作曲する・作曲出来る、といい張っているようなもの。楽屋で言う分はかまいませんが世間に通用する話ではない。もちろん、オーケストラの中に優れた作曲家が紛れ込んでおり、そのひとに作ってもらう、という場合は別ですよ。別ですが、この場合、この楽団員は作曲家として作曲しているのであって楽団のワンオブゼムとして作っているわけではない。
ついでに言っておくと、作曲された曲をオーケストラが演奏するためには指揮者が必要ですね。皆さんの商店街活性化にはこの「指揮者」がいませんから、適切な指揮者を迎え入れると言うことも必要になります。
指揮者は計画の全てが理解できる、活性化に取り組む人々の条件・能力を見極めながら実施段階を進めていく、という能力が求められます。これがタウンマネージャーですね。
余談が脇道にそれてしまいましたが、「計画は自分たちで作る」のではなく「プロに作ってもらう」ということが理解されたことと思います。
問題は「計画作りのプロ」になかなか巡り会えない、ということです。
で、仕方がないから自分たちで何とかしなきゃなんない。
このスレはその時のためのノウハウだと思ってください。
余談 はじめに勉強あり
計画策定主体はもちろん地元の皆さんですが、そのことと計画の原案を誰が作るか、という話は分けて考えないといけません。
これまでの広域商業診断や商店街診断の要領で事業を組み立てたりするととんでもないことになる。確認しておくべきことは、失敗と総括されている点や線の取り組みはこれらの診断に基づいて取り組まれたものがほとんどですからね。これまでの診断やその結果として提案される活性化のあの手この手が使い物にならなくなっている。だからこその中心市街地全体、面としての活性化だ、ということを確認しておきたいものです。
したがって、事業は計画策定が必要になった背景や活性化法のスキームの確認からはじまり、事業計画の構造や作成の方法についての関係者への徹底したレクチャーという計画策定の準備段階から周到な取り組みをもって出発しなければならない。このプロセスをさぼった計画はまず役に立たない、と諦めた方がよいくらい(w。
コンサルタントの選定はこのあたりを提案できる能力を持っているかどうかということを一つの基準にすべきですが、さて、当方に見極める基準を持っているかどうかということですね。
ちょっとおさらい
「計画を一人で作る」ことが必要なのは、中心市街地という地域に自然発生的に盤踞する商店街を計画的に活性化する、という目的のもと、基盤整備から商業施設の建設、街のモールへの転換、ソフト事業の展開と複雑多岐にわたる事業分野を整合的に整備・運営していく構想を作らなければならない、これは目的からして一元的に作られることが必要です。まずはこのことが肝に銘じて理解されておかないと計画らしい計画は出来ない、と覚悟してください。
部会などを作ってそれぞれで意見を集約、寄せ集めてホッジキスで綴じて一件落着、という計画も見かけますが、悪しき民主主義というか事業目的を見落としているというか、箸にも棒にもかからない計画ですね、多くの場合。
民主主義=猫も杓子も同じ権利、というのは代議員を選定する段階のこと。後は委嘱された代議員が代行していく、プロセス開示責任、結果責任を負う、ということでしょう。このあたりを間違うとアホな意見がまかり通る、結果はみんな平等に年を取っただけ、という年齢民主主義(wになってしまいます。目的は自分たちで決める、仕事はプロにやらせる、というのがホントの民主主義です。
ところが商店街の場合、仕事を委託した組合及び組合員自身が自ら計画の中で重要な役割を果たしていかなければならない。いってみれば「自分たちの店、街を活性化するための自分たちは何をしたらよいか」決めて下さい、というのが計画作りの委託でしょう。
委託を受けたコンサルタントが「計画をみんなで作る」ことを主張し、計画策定事業の内容をそのように計画するのは、実施段階の推進役を担うのが計画策定を依頼した人たちだから。中でも計画策定のプロジェクトに入る人達は、計画の一字一句に至るまで自分たちが参画して作った、これを実行すれば街が必ず活性化できる、という確信を持ってもらわなければならない。
また、実施段階でどこかの部分が計画通り行かないことが明らかになった場合は、そこの条件を変更してあらためて全体をシミュレーションして必要により部分的な変更を加えたり補完条件を付け加えたり、という作業が必要になる。 これらの作業を遅滞なく行うためには、有機的な計画の全体を理解しておくことが不可欠です。このように計画に執着するためには計画が自分も参画して作りあげたのだ、という自覚が必要ですね。
特にモールへの転換という骨格の事業は、商店街立地の各個店の業容の転換という取り組みが中心になります。この大事業を引っ張っていくのは計画の内容さらには計画には記載されていない背景の事情・理論・技術などを装備したグループです。
もちろん、それぞれの地域にこのようなグループが自然発生的に存在することはありませんから、計画策定のプロセスで養成することになります。これが作業部会のメンバーです。
作業部会を肩書きで集め、分科会で言いたいことを言わせ、まとめて計画にしたところは、この論議以前の課題があります。すでにおわかりのとおり。
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