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「中心市街地活性化」とは中心市街地にどんな状況が出現することか、という肝心要の「活性化とは・論」が見事に欠落しています。これはどこの都市ということではなく、都市という都市、計画という計画のほとんどに当てはまる指摘のはずです。
はじめに活性化ありき。
活性化ってなあに、という単純素朴な疑問は関係者の誰一人として思い浮かばなかったらしい。これは指導のために招聘された「活性化の専門家」もまったく同じレベル。このことが原因でずうーっと実効ある取り組みが出来ないのではないかというのがこのスレッド新設の理由です。
「一体的推進の目標」とは中心市街地の活性化という目的を達成するための目標ですからね。「活性化とは」が分かっていないと、後は全くの見よう見まね、行き先不明のまま取り組みだけが進んでいくことになります。真似ることにした先行事例も同じように目的不在・・・。
こちらが難儀して取り組みはじめたら先行事例の破綻が伝わってきたりする。
計画策定以来、各種の事業に参加している商業者は、それらの事業が自店の命運とどうリンクするのかさっぱり分からないままでのおつきあい状態。
いよいよ厳しくなってくれば本業に専念、おつきあいは出来なくなる。
事業の中で商店街立地の商業の今後のありかたについて何かを修得したわけでもないから、あらためて本業での対策の打ちようは何一つありません。
結局、活性化事業ってなんなのだー、ということになる。
詰まるところ、関係者がだぁれも自分の頭を使って考えていなかった、というのが中間総括だったりするわけですが、もちろんこんな取り組みの延長上で活性化が実現出来るはずがない。「活性化とは?」なにがどうなることか、というところからもういちどやり直した方がいいところが結構多いはずです。
自分の頭で考える
考えることは東京に任せて我々は補助金で誘導される方向についていくだけ、という行き方もあるでしょう。特に高度成長期までの我が国では国土の機能分担がはっきりしていて、佐賀県などは一言でいえば米と人手を中央に出し、見返りに交付金を受け取る、という農業地帯の典型だったわけです。
「隣百姓」という言葉があり、農家は一年中隣と同じことをする、というライフスタイルが生きていくための鉄則でした。水田の水も山手から順に満ちてきますから、隣と同じ時に代掻き、畦作りをして待ちかまえておかないと大変なことになる。害虫駆除も歩調を揃えないと隣の害虫が引っ越してくることになる。
ということで「隣百姓」はそれなりに生活の知恵、先人が編み出した農村で生きるための合理的なノウハウでした。
ところが、今日、生活条件は大きく変わっているのに思考や生活行動は依然として昔のままということがあり得る。これは田舎に限らず隣百姓の子供や孫が住みついているまちの会社でもまったく同じことです。生活習慣というのは、始まるときはそれなりの理由があって、試行錯誤を重ねて定着していくわけですが、そのうちそれが当たり前になってくると採用した理由が無くなった後でも残ってしまう、という性格を持っています。我々の生活には結構そういう類のことが多いですよね。
だからといって不要なものは廃止、と目くじら立てることはないのですが、「自分の頭では考えない」、「自分の頭はものを考えるところではない」という「思考習慣」だけは残しておくと大変なことになる。
そんなことはない、という関係者は「商店街活性化とは街がどうなることか」ということを自分で考え、結論を出してから言ってください。
自分の頭で素朴に考える
ということで自分の頭で考えたのは、ガッコでの勉強から就職試験までの間だけだった、ということになるわけです。
で、自分の代わりに誰かが考えてくれているのだろう、などと漠然と考えながら動いていたりすると大変です。「今日は昨日の続き」、「自分の頭で考えない」という隣百姓的ビヘイビアは中央の皆さんにも共通しているわけですからね。
とは言いながら、どんな馬鹿げた話でもそれが社会的事実として定着するにあたっては、先にも書きましたが、その時点ではそれなりに合理的な理由があるものです。「活性化」=シャッターの外側の施策のこと、というジョーシキが成立したのは、今は昔、街区内に進出してきた大型店の影響を軽減するために、あるいは隣接する競合商店街と「差別化」するためにシャッターの外側に細工をする、アーケード、カラー舗装、ポイントカードなどなど「メニュー施策」を講じたら、我が街は繁盛を取り戻せたのです。
ここから繁盛=活性化=活性化施策という理解が生まれ、活性化=シャッターの内側には踏み込まない商店街施策、というジョーシキが一人歩きするようになったわけですね。当時は文字通り、施策取り組み=繁盛実現=活性化という図式が成立しました。25年位前の話。それ以来今日に至るまでずーっとこのジョーシキがまかり通っているわけです。
この活性化=繁盛再現という、当時は多分関係者に共通した問題認識に対する解答として考え出されたことの「曰く因縁」が月日が経つにつれて忘れ去られ、最後には今日見られるとおり、活性化=シャッターの内側には踏み込まない商店街施策という「解答」だけが残ってしまった。基金事業が創設されたころから以降の商店街活性化事業とは初心を忘れた空虚なジョーシキが引き起こした事業バブル=空騒ぎだったといっても過言ではないはずです。ちなみに私が当時商店街活性化の現場にいたわけではありません。これは全て「後知恵」といわれれば「後知恵」です。
あらためて「活性化」という言葉をどう定義するのか、私どもの提言はすでにご承知のとおり。
活性化施策ミックスを作る(これが中心市街地活性化基本計画の具体的な中身)にあたっては、“これらの事業に取り組めば、定義通りの活性化を実現することが出来る”ということを確認することが必要ですから、当然、定義が必要になる。
もう一つは、「環境の変化」ということの理解。
活性化論議の枕詞として必ず掲げられる「環境の変化」ですが、その内容は、というと、これがまたまったく考えられていない。モータリゼーションの進展、ライフスタイルの変化、都市間競争、不況などなどなど、それらしい言葉は羅列されているが、それらと商店街の現状との間にがどのような関係が成り立っているのか、ということはほとんど論じられていません。
何故それらに対処しなければならないのか、それらに対処するとは具体的にどのようなことをしなければならないか、というような検討はまったくヌキ、上記のようなお題目が並んだ後には、たちまち活性化施策が羅列されています。
問題抜きで解答が出されているようなものですが、果たして問題の解答として正しいのか否か、問題が示されていないので確かめようがない。
こういう状況が全国至るところで現在直下も進んでいるわけで、忌憚なくいえば皆さんのまちもけして例外では無いと思いますね。
活性化とは街がどうなることか、皆さんに代わって中央で誰かが考えてくれていたのではなくて、中央も含めてみんなが25年くらい前の商店街の課題に対して効果のあっった「正しい解答」を、課題が大きく変わった今日も相変わらず正しい解答だ、と思いこんで実行しようとしている、ということになりますね。
もちろん、環境ファクターが羅列されているように大きく環境変化が進行している今日、25年前の(郊外型SCなどほとんどの都市に影も形もなかった)事業メニューがたとえ面的に施行されたからといって効果があるとは(自分の頭で考えれば)考えられないことです。
今日、商店街の状況はどうなっているのか、活性化に向けた課題とは何か?困ったことにここでまたまた「自分の頭で考え」ようとしない関係者が多すぎる。
考えてみれば
とりあえず、商店主対象にアンケート調査やヒアリングをする、その結果をまとめて、コンサルタントに活性化法の枠組みに落としこんでもらい基本計画の一丁上がり、という次第ですから基本計画が出来上がっても主体的に取り組む仕事が何一つ見あたらない。
そもそもアンケートの回答が凄い。商店街活性化の方策として人口を増やせだの大学を誘致せよ、などなど、ったく本末転倒というか・・・。
あのね、たかがあなたの店を繁盛させるためだけに、このご時世に何でそんなことが出来るっちゅーのよ#。
そういうことをスラスラと計画に入れこむコンサルタントも凄いといえば凄いわけだけど。
これまでの商業診断のパターンではダメだということで自治体を計画主体として基本計画を作ることになりました。
、作成に取り組んで見たものの、新しい取り組みに必要な知識・ノウハウが無いため、商店街組織、商工会議所主催で取り組んできたいつもの作成パターンを踏襲することになり、かくして従来、さんざん作りっぱなしにしてきた商店街単位の計画が拡大再生産されただけ、出来上がったとたんお蔵入りいうことになっているところも結構多いはず。
ホントは計画作りに参画したコンサルタントに最後までつきあわせる、計画を進展させた結果成功しなかったら責任を取らせる、というくらいのことは考えておかないといけなかった。
計画作成さえ手伝ってもらえばあとは地元でやっていける?
計画作りさえ手伝ってもらわなければ出来ないのに、どうして実施は自分たちだけでやれる、となるんでしょうね。単年度契約とかでコンサルタントにいい目は見せないとつもりだろうけど、何のことはない、結果的に食い逃げされているだけですね。
計画の具体的な推進について一定の段階まで責任を持たせる、そういう約束にすればコンサルタントも気合いが入るでしょう。役に立たないコンサルタントは淘汰されていくことになる。
そのためにはコンサルタントに関する情報流通がもっと考えられるべき、少なくとも県レベルでは県下の事業に関わったコンサルタントのスキルは把握しておくべきです。
大きな課題は、商店街−自治体の取り組みが都市単位で孤立しているからコンサルタントに関する情報が不足しており、取捨選択する情報も基準も無い。
結局、商工三団体の覚えめでたいベテランが計画を作りっぱなしで東奔西走、計画書の山を築きあげている。
コンサルタントの資質が一向に向上しないという側面もあるわけですね。
コンサルタントの努力の結果、成否は彼が引き上げた後で決まります。
商店街や地域活性化に携わるコンサルタントの評価は、受注実績ではなく受託事業が終わった後に地域で何が起こっているか、ということで判断すべきなんですけどね。そこまで求めると我が国には商店街活性化を指導できるコンサルタントはいなくなる?(笑)
フム、そうすると皆さん方、いやでも自分で考えるようになる・・・かな?
自分自身の棚卸し
意外と難しいんですね、これが。
自分が知っていることと知らないことの分別。できることとできないことの分別。
知らないことについては、
知っている人を知っている
行けば分かる場所を知っている
知っている人または行けば分かる場所を知っている人を知っている
誰もまだ知らないだろう
というように分類されます。他にもありそうですが。
知らないことを知る方法はいろいろありますが、自分でのたうち回らなければならないのは、誰も知らない問題の答えを作るときですね。
一番大事なことは、「知っている人(場所)を知っている人を知っている」ということ。ドラエモンの「どこでもドア」みたいな人を知っているということが大切。
ただし生身の人間では一人ではとても間に合わないから、ネットワークも必要でしょう。Webも結構ですが玉石混淆、たいていは石と砂。
そうすると、情報を信頼に値するか否かを見分けることも必要です。
自分で見分けることが出来る
見分ける力を持っている人が手伝ってくれる
何らかの見分ける方法が必要だ
という能力も棚卸し。
出来ないことについても
出来る人を知っている
出来るようになる方法を知っている
出来る人をしている人を知っている
誰も出来ないだろう
等に分類出来ますね。
このように分類して見ると、まずは在庫を評価分別しておくこと。
問題が発生したとき、まず自分で出来るか出来ないか、を判断、出来ないと思ったら次に打つ手を考える・・・・、という具合に連鎖的に対策を講じることが出来ます。一方、自分の現在の力量が分からないと何でもやってやろう、ということになって暇つぶしには良いけれども問題は一向に片づかない、ということになる・・・。
自分が知らないこと、出来ないことを知っている、というのは大事なことです。でもこれも結構難しいんですね。
専門家とか言われると、とたんに何でも知っとかなきゃいけない、などと思いこんで知らないことも知ったかぶりしてしまうと、それから後の話がまったく見えない、ということになってしまう。結局その場の空気に従わざるを得なくなる。
商業者もコンサルタントさんから「商業にかけては皆さんがプロですから」とか質問封じの呪文をかけられて知ったかぶりをしていると、事業が終わってみたら何にも残らなかった、ということになりかねない。商業者のほとんどは、○○店の経営者ではあっても、商業のプロではありません。
見よう見まねで始めた人が大半だから商業経営に必要な知識・技術などはまず装備していない。
ここを商業者が自分で勘違い、関係者がつられて見間違うと「どえりゃあこと」になる。
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