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 『コンサルタントの眼』  No.52 2003/7/27 (Sun)

      # コンセプチュアライザーtakeoが様々な事象を批評 #
   
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        ◆ 書評 2点 ◆
   「マックスヴェーバーの犯罪」と「経済学の終焉」
        
        
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◆『マックス・ヴェーバーの犯罪』
羽入辰郎 ミネルバ書房 2002年

大変スリリングな本ですね。
著者は青森県立保健大学の先生。

 社会学界隈にそびえ立つ巨峰、『論路の方法』が依然平積みされている小室直樹
先生も私淑されるマックス・ヴェーバー、「職業としての学問」など啓蒙的な著作
もあって知らない人は少ないでしょう。

 彼の代表論文、資本主義発祥の機制を分析した名著と誉れも高い『プロテスタン
ティズムの倫理と資本主義の精神』(以下「倫理論文」)、その核心となる箇所で
資料操作や誤読をもっぱらにしていた、ということを羽入先生は克明に論証してし
まったのです。

 内容はここで説明するのはもったいない、是非だまされたと思って読んでみられ
ることをおすすめします。

 知的誠実ということをさんざん強調しているヴェーバーがこともあろうに自分の
出世作でそれも何カ所となく資料操作を行っていたことを多数の証拠写真付きで証
明しています。これはもちろん、世界初の業績です。

 この本は研究者としてのヴェーバーの資質について完膚無いまでに暴露しました。
これからはアンチもプロもこの本を抜きにしてヴェーバーを論じることは出来ない
でしょう。

 ところで、長くなるので詳しくはかけませんが、資料操作が明らかになったから
と言ってヴェーバーの「倫理論文」が全くだめになったのかというと、それとこれ
とはまた違っておりましてねぇ。

 変な話ですが、今回明らかになった「倫理論文」の資料操作で彼の学者としての
名声は地に墜ちることになる(?)のでしょうが、だからといってそのことをもっ
て「倫理論文」が無価値になったというわけではありません。
 羽入先生が指摘する資料操作の第一は論理の組み立てに使ったベンジャミン・フ
ランクリンの自伝の引用なのですが、これは方法論的にはもっと根元的な問題があ
りまして、そもそもフランクリンの自伝を「資本主義の精神」のモデルとして使用
するための手続きがきちんととられているか、と言う問題があります。

 このあたりを問題にすればおそらく資料操作問題は抜きでも「倫理論文」の至ら
なさが論証できるのではないかと思います。もともとヴェバーさんが方法論に弱か
ったことは、たとえば『マックス・ヴェーバー 方法論の生成』(テンブルック 
未来社 1985) などをみれば明らかです。もちろん、『客観性論文』などに直接
当たってみるとさらによいかも。

 とはいえ、厳密な文献学的手法により、天下のマックス・ヴェーバーの「知的不
誠実」を暴いていく過程はスリリング、これはほんと、社会学という分野に関係の
ない人にも是非おすすめです。ビジネスマンのみなさんにも久しぶりでこういう世
界を見るのは大変意義のあることだと思います。
 現役の学者が「今世紀最大の知の巨人」と言われる人物に挑み、世界で初めてそ
の実像を暴いた、その現場を見ることが出来るのですからね。

 この本のもとになっているのは、羽入先生が東京大学に提出した学位論文だそう
ですが、東京大学と言えばヴェーバー研究の第一人者大塚久雄さんのお膝元、我が
国ヴェーバー研究の牙城、そこへの論文提出ですからいろいろ苦心があったようで、
そのいきさつも漏れ伺われてこっちの方も面白い(W


◆『虚構の終焉』 ヴェルナー

 この本は、既成の経済学を克服し、ノンフィクションの経済学を提起するという
問題意識のもと、既成の批判については私の守備範囲である方法論のレベルで行い、
対案は私未踏のマネー領域で提出する、という、私的にはふるいつきたくなるよう
なお話であります。

 経済学が駄目なところはモデル設定の方法。
モデル設定にあたっては、現実をどんどん抽象化していくわけですが、抽象化の逆
をたどれば現実に戻ってくることができないと「モデル」ではありません。
 既成の経済学が使っているモデルは、「合理的な経済主体」かなんかを想定する
ことで現実から遊離していますからね。

 こういう方法を使うのなら、「合理的モデル」の行為を叙述し、これと実態の差
違を測る、という方法を採ることになりますが、経済学のモデルでは「不完全な状
態にある実態」の「モデル」との差違が測定できません。

 ちなみに邦題は「虚構の終焉」となっていますが、虚構というのは「嘘と知りつ
つ」を含意しているような。経済学はぜんぜん全く「嘘」という意識はありません
から、これは虚構というより迷妄といった方がより実態近似でしょう。

 で、その弊害は先生のおっしゃるとおりでして、万死に値する(W

 余談ですが、巷間「ノーベル経済学」がノーベル財団が運営するノーベル賞とは
全く無関係だ、ということが紹介されていますが、これは業界にでは周知の事実、
ノーベルさん自身、経済学を蔑視していたらしいですからね。

 なんかとりとめもない「読後感想文」ですが、先生ご自身の方法論についてもち
ょっとだけ無い物ねだりを。

1.理論はなるべく単純、少数の仮定をよしとする、というのはその通りなんです
が、前提条件として、上述のとおり「現実還帰」、初期条件を与えることで現実の
実態を説明することが出来なければならないし、「科学」というのなら任意の初期
条件における状況の予測が可能でなければならない。
  果たして著者の理論でそれが可能なのか? マネーと経済(つまり需要と供給
です)の関係が把握できていない私には、う〜む、ですねぇ。
 
2.ラグジュアリィ化しつつある実体経済の実相を捨象した「信用創造」=購買力
確保という処方はいただけませんね。これは先生の理想を裏切っているみたい。

3.方法論的には、経済実態から帰納的に構築した理論、ということがウリなんで
すが、これはちょっと恥ずかしなくないかなぁ。方法論についてこういう主張をす
るために必要な領域の勉強をしていないことを自白しているに等しい。
 もともと先生が棲息されている経済学という分野が方法論的には未開の地である
ことにも関係しているのでしょう。

4.有為転変・天壌無窮の対象を帰納法で認識することは出来ません。
 これは自然科学においても同様。自然科学の法則性は機能的方法が担保している
訳ではありません。自然法則の法則たる由縁は演繹的な反証実験に耐え得るという
特性によって、その限りで主張できるものです。

ということで、まあ、興味のない人には興味のない話ですよね。

 「マネーと経済」は難しい。マネーってなんだぁ、というのはナゾですね。
この本ではマネーについていろいろヒントをもらいました。

 走り読みでしたがホント面白い。
あと、キモである先生の実証的方法、提案の具体的な検討はもうちょっと詳しく読
んでから書きたいと思います。
 マネーわからなくても書くぞ〜っと。

ちなみにヴェルナーさんは、東京大学大学院で経済学を専攻した人です。 

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◆quolaid.com情報◆ 
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◆次号:NO.53 03年8月1日(Fri)
 ここのところtakeo出張のため、うまく連携がとれず、変則の発行になってしまって
いることをお詫び申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。