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 『コンサルタントの眼』  No.45 2003/5/23 (Fri)

      # コンセプチュアライザーtakeoが様々な事象を批評 #
   
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        ◆ 書評『論理の方法』 小室直樹 2003 東洋経済  ◆
        
        
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書評『論理の方法』 小室直樹 2003 東洋経済
   
 小室さんは近年、社会学、経済学方法論に関する著作を立て続けに出されてお
り、わたしのように学ぶべき時期に経済学を敬遠していたものには大いに参考にな
ります。
 自己弁護しておくと、経済学は経世済民の術、「水道哲学」のハウツウという性
格を脱しきれていない、ということと、もう一つここで述べる理由からまじめに取
り組んだことがありませんでした。教科書めくっても最初の数頁で放り投げてきま
した。

 現在の経済の仕組みの全体は、いうまでもなく、計画的・設計的に作られたもの
ではありません。部分、部分はたしかに誰か具体的な個人の創意なのですが、経済
の仕組み全体は自成的に出来上がったものです。誰が意図にも依らずに出来上がっ
ているのが現在の経済の全体としての仕組みです。

 経済学は、この経済の全体を認識することを役割としているわけですね。
 複雑な全体を理解するために、通常、「モデル」が考案されます。これは学問一
般に共通するアプローチですが、「社会科学」の場合、社会の自成ということが大
きな問題になります。つまり、全体としての社会は、建物を建てるように作られた
わけではありません。
 計画的=まずモデルが作られて、それが実践されたということではなく、先行す
る社会全体の営みがとぎれることなく続きながら、その中で次第次第に次の形が出
来上がっていきます。さまざまの人のさまざまな創意が行われ、試され、淘汰され、
全体が洗練されていまの仕組みが存在しているわけですね。

 もちろん現在も絶え間ない創意と淘汰が行われており、その将来は果たしてどう
変わっていくのか?
 
 このような経済を全体として把握するための道具が「経済学」だというわけです。
では、経済学は、自成的であり、現在〜将来もさらに進化していくであろう経済を
どのようなモデル構成で認識しようとしているのでしょうか?
 これがいわゆる「方法論」の問題です。

 私は、これまで考えられた経済学のモデルは、「自成・進化する経済」を認識す
る方法として本当に適切なのか、ということに疑問を抱いています。近年の小室さ
んの著作に興味があるのは、この問題について考えさせられることが多くなってい
るからということもあるわけです。

 前置きが長くなってしまいましたが、標題の書評に入ります。

 小室さんの新しい著作、『論理の方法』というタイトルですが、内容からすると
副題の「社会科学のためのモデル」の方がぴったり、社会経済を認識するための方
法として一つの学説を立てるというレベルの「知の巨人」たちが考案した「モデル」
について解説されています。

 ところが、それぞれのモデルの「論理性」、モデルは「自生的、進化的」な対象
を写し取るという役目を果たすためにどのように工夫されたか、その作り方は方法
的に妥当であったかどうか、などを検討するという問題意識は見受けられません。
 経済は、人間の歴史と同じだけの歴史を持っているわけであり、先ほどの「自成
・淘汰・進化」も歴史の営みということが出来るかも知れません。現存する経済は、
開闢以来の歴史を背負っており、それを前提として存在しています。
 また、供給と需要という経済の両端は、それぞれ資源と消費という非・経済的領
域と連なっています。

 問題は、現下の経済を認識するにあたって、この本で解説されているような、過
去の一時期の単純なモデルを用いてその類推で現在〜将来を認識、類推する、(現
状の「デフレ」という認識などがそうですね)という手法は果たして妥当か?とい
うことです。
 経済学的な現状了解は、いわば、過去の経験を現在に押しつけているわけですが、
経済が「直線的」に拡大する時代ならいざ知らず、歴史上全く経験したことのない
「水道哲学終焉の時代」(さまざまの未知の問題が起こっていることはいうまでも
ありません)に果たしてこれまでの経済学が通用するでしょうか? 

 経済学は、「自成・進化」する経済を「循環する構造」と認識しているのではな
いか? このような方法で経済を理解する「学説」は経済認識のモデルとして適切
なのか? ということが課題として浮かび上がっているのが現在の経済と経済学の
関係ではないかと思われてなりません。

 小室さんの著作には一貫して、上述のような問題を考えれば必ず直面せざるを得
ない、「社会科学」の性格を洗い直す、という作業についての問題意識が見受けら
れません。
 今回の本でも「社会科学」が方法として前提にされてしまっており、社会科学と
はどのような種類の科学なのか、自然科学との関係は、そもそも科学とはどのよう
な方法か、といった問題意識が感じられないのがいつものことながら残念です。

 「水道哲学」の時代は、生産力の構造が人間の労働力を不可欠にしており、生産
の拡大と所得の拡大が二人三脚的に実現していく、誤解を招く言い方かも知れませ
んが、貨幣経済のパラダイスだったと思います。しかし、「ひねるとジャー」で誰
もが満足していた時代は終わりました。生産現場においては人間の退場がとどまる
ことなく進展するにつれて新しい配給システム(市場経済も一つの特殊な物財配給
システムと考えられる)の考案が課題になってきます。NPOや地域通貨などはそ
のための創意と見ることが出来ます。

 新しい経済の課題への取り組みに、水道哲学のハウツウというレベルの経済学が
果たして役に立ってくれるかというと、それは残念ながら全く期待できないと思い
ます。
 小室さんの『論理の方法』、大変面白く読ませてくれますが、「世紀の課題」の
解決を導く力の一端となるかと考えれば、現段階のこの本に現れている問題意識と
しては残念ながらその役割を果たすことは出来ません。

 しかし、小室さんはご承知のとおり、10年以上にわたって社会学方法論に取り組
んでいます。なにやら手慣れた手法を各方面に応用、手際よく片づけている、とい
う感じも無きにしも非ずですが、あるいは、経済全体を対象とする「一般社会学」
「一般経済学」をうち立てるための助走なのかも知れません。

 長年の愛読者としては、是非そうであってほしいと期待するものです。
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◆連絡◆
  今回は、書評ということで難しい内容になりましたが、次回からはラグジュアリィ
 経済の現状、進展をレポートします。 

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◆次号:NO.46 03年5月30日(Fri)