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      本年も当メールマガジンにご愛顧のほどお願いいたします。

 『コンサルタントの眼』                       No.25 2002/1/4 (Fri)
   
    ? コンセプチュアライザーtakeoがジャンルを問わず事象を批評 ?   

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             ◆ 我々が生きる時代(長文ご注意) ◆       

■書評『明日を支配するもの』 P.F.ドラッカー(1999 ダイヤモンド社)

◇標題の「我々が生きる時代」については、昨秋から断続的に考えてきたが、今日は、
書評という形で続きを展開する。最終的には「グローバライゼーションvsラグジュアラ
イゼーション」というこれまでこのメールマガジン及びクオールエイドサイトの「フラ
ッシュノート」欄を閲覧していただいている皆さんには容易に内容が想像されるところ
に着地させる構想である。一足飛びに結論に行くことを何回も考えてみるがどうも上手
く書けないので、もう一度関連を展開しておきたい。

 今回は趣向を変えて書評という形を採る。対象は有名な経営評論家、P.F.ドラッ
カーさんの「明日を支配するもの」、お正月休みの最中ですから気楽にいきましょう。


◇この本、新しい時代のマネジメントについての指南書というふれこみである。
マネジメントの前提となる経営戦略のそのまた与件としての「21世紀の現実」が,?先
進国における少子化,?支出分配の変化, ?コーポレート・ガバナンスの変容, ?グ
ローバル競争の激化,?政治の論理との乖離 ととらえられている。なかでも難題は,
少子化。われわれの社会が未だ経験したことのない条件が21世紀中期には確実に現実化
する。少子化が何をもたらすか,その深刻な影響はまだ予測できないと言う。
 氏曰く,確実なのは企業の競争がさらに激化するなかで,高齢者も働き続けることが
要請されるということ,だって。

◇えー嘘でしょう。だって失業率5%だよー。景気がよくなったとしてどこが吸収すん
のよ。何で雇わなきゃなんないのよ,余りもんのごくつぶしをー。というのが「世界標
準」追随思考者の本音。
 「新しい時代」への対応として企業,ビジネスマンに対する指南としては,ベンチマ
ーキング,知識労働の生産性アップ。彼がこれまで言ってきたことの再確認ですね。
私も仕事柄,この本の主張にはいろいろ興味があるところが多く,個別にコメントした
いところもいろいろあるけど,でも,「21世紀の課題」として,知識労働者の生産性の
向上といわれると,やはり,このことに集中せざるを得ない。

◇21世紀の課題というか,今そこにある明白なテーマは,マネジメント改革や生産性の
追求など,彼のお得意分野の問題ではなく,さらには彼が前著で取り上げていた「生産
が先か需要が先か」などというこれまで経済学がその基盤と考えてきたレベルにさえも
無い。
 21世紀初頭,人類,特に先進諸国とりわけその諸産業が直面するのは,拡大の一途を
たどってきた世界規模での「生産力」はこれから先き,その一層の発展に見合う需要を
どこに見いだしうるか,という問題である。
と,私は考えるので,ドラッカーさんにかこつけて以下,自説を披露する。

◇生産力の拡大発展の意義,可能性をけして疑わない・絶対善とするかのような思い込
み(イデオロギー)の根っこには,人間の物財に対する欲望には際限がない,あるいは
無限ではないにしてもとりあえず,現時点では∞と仮定してよい,という前提があるこ
とは間違いない。これは古今東西,通史的な暗黙のご了解だった。、

◇生産性の向上,今日ただいまも世界を覆っているこのイデオロギーが成立する根拠と
しては,人類の歴史を通底してきた普遍的な「物財の欠乏」,働かないと生きていく糧
を確保できない(そこらに転がっていない,分業体制ではその成員に交換能力が必要)
という特殊・時代的な制約(あくまでも時代的な制約で普遍的なものではない)という
ことがあった。さらに働けば何とかなる,という環境条件=労働の対価として消費能力
・購買力が獲得される,労働が実りあるものとして確認されるということも必要だった。

◇誰かが言っていたと思うが,イデオロギーが成立するにはそれなりの条件・基盤が必
要だが,いったん出来あがってしまえばこっちのもの,イデオロギー自身が自己を正当
化する状況を作って行く。(このことはしっかり抑えておくことが必要、人間のものの
見方、考え方は時代や課題に合わなくなったからといって自動的に退場することはない
のです。)
 この生産性信仰イデオロギーが暗黙の了解としてあったからこそ、少なくとも資本制
生産が制覇している現在の世界に至る「世界史」はあったわけ。
 余談ながらこれらの条件を逸脱した社会は,当然、こんなイデオロギーや物財フェチ
に陥っていない。(インディオの部族とか。でも怖いよね,チョット触れたとたん,た
ちまちとりこになるのが物財だね。カーゴ信仰とか。)

◇経済という色眼鏡をはずせば,そこに属している全ての人が「それなりの消費生活」
を享受できるところまで生産力が到達している社会で、鎬(しのぎ)をけずる生産性向
上の追求は,各資本制企業の生き残りを目的とする生産プロセス(流通も含めて)のい
っそうの合理化の追求として取り組まれており,マクロとの関係はもちろんほとんど顧
みられない。利益の実現・競争への勝利の執念がドライブとなって進められる、人間の
機械による置き換え,「人減らし」が生産性の向上のメインディッシュ。
生産性の向上が実現した生活の拡大が余剰労働力を吸収し,さらに経済を発展させてい
くという蜜月時代は終焉を迎えつつあるにもかかわらず・・・。

◇個別の産業や特定の地域などでは相当の浮沈を伴いながら今日まで経済が拡大してき
たのは,地球規模での資源の遍在と「働かざるもの食うべからず」が成立する自然条件
→「食いたいなら働け」という分業システムによる生存条件作り→「曲がりなりにも働
くところはある」という生産力の段階,というような条件が総合的に成り立っていたか
らだった(もちろんそれらの背後に消費生活拡大の余地,すなわち,大衆が真似たい生
活モデルがあるということ)。
 第一に消費(生産)財の原料となる資源が遍在(種類,量,分布)していたこと,第
二に資源を加工して消費財をつくり出す生産プロセスの発展段階が人間の物理的な力の
動員を必要としていたこと,この二つの前提条件の上に交換・貨幣経済が成立する,そ
の限りでのことだった。

◇ちなみにこの前提は資本制生産にとってももちろんハード&OSである。「資源枯渇」
あるいは「働かなくても食える」あるいは「働かなければ食えないが働く場所がない」
というような社会的条件が一般的な環境では、これまでみたいに合理化の追求による経
済の拡大は期待出来っこない。つまり,合理化の追求という目標は,けして人間社会に
とって永遠不滅の目標のひとつではなく,ある一定の環境条件下においてはOKだけどそ
の条件を逸脱(どっちの方向にせよ)した社会では成立しない「特定の歴史的な環境に
おける必然」だったということ,つまり「生産性向上」は「特殊原理」なのだ。

◇ということで、水の惑星地球が存在し,人類を頂点とする生物相が存在する可能性が
希少であるということはよく言われているけど,人間の歴史がかくあった,ということ
の条件についてはあんまり言われたことが無いんじゃないかな。

◇余談ですが,「資源」と「生産力拡大の余地」と「奢侈の不足」があって始めて,こ
れまでの人間の歴史を経済発展の歴史として総括出来ると主張するマルクス主義的な歴
史観(=ブルジョア社会の歴史観)が成立するのであって,こんなものは歴史の法則で
も何でもないわけ。もっといえば,マルクス主義の駄目さ加減は,別にベルリンの壁や
ソ連国家が崩壊したことではじめて証明されたなんてことではない。?歴史に法則があ
るという(歴史法則主義)デタラメと,?歴史の原動力は生産力の発展である(唯物史
観)というデタラメ,マルクス主義者の主張は,依って立つ2つの次元で最初から根本
的に誤っている。マルクス主義を批判するなら(批判すべきだけど)このレベルでやら
ないとダメだし,特に脱資本制の生産・分配システムを構想しなければならないという
問題状況においてはマルクス主義あるいは社会主義一般(アナーキズムとかね)からパ
クルべきことがいろいろとありそう。その時,マルクス主義=究極の全体主義の再来に
陥らないためには,マルクス主義の敗北はベルリンやソ連の崩壊で証明された,などと
おバカ丸出しを言うんじゃなくてきちんとしたレベルで批判しておくべきなのです。

◇生産性の向上がどんどん進んでいくと,個々人は「労働者」としても「消費者」とし
てもますます生産−消費プロセスから排除されることになる。大量に生産される商品は,
「消費者」によっていい塩梅に消費され,生産−消費プロセスから排出されないとこれ
はもう経済が成立しなくなる(経済ってその首尾両端を非経済レベルに接続出来てはじ
めて成立する)。ところが消費者の財布の中身は分業体制に荷担した報酬だから,生産
プロセスからはじき出されることは=消費プロセスを担えない,ということを意味する。
部分的には社会補償制度(国,政府は企業にとって桎梏だって?)で対応出来るけど,
「メガコンペティション」,「ベンチマーキング」、それからもちろんグロバライゼー
ションなどコストリーダーシップ争奪戦を将来にわたって社会保障が担保するなんてこ
とは絶対に出来ませんからね。

◇ということで,ドラッカーさんがもろもろの論説の暗黙の前提としている「生産性の
追求」は,それ自身の論理によって自分の足下を掘り崩しつつある。これまでの歴史上
のほとんどの経済を経済たらしめてきた条件が崩壊しつつある,というのが私の観望す
るところ。社会主義に勝った,勝ったとはしゃいだこともあった資本制生産システムは,
生産性の追求というそれ自体の本性の帰結としてその依って立つ基盤を崩しつつあると
ゆーわけ。

◇一言で言えば,「リストラも結構,グローバルスタンダードもそうでしょう,ところ
で購買力(マインド&力量)はどこからもってくるの?」ということ。世界に株式会社
が1個あって全ての需要に対応出来る体制を構築していると想像してみる(ベンチマー
キングってそういうことでしょ?)。同社は,徹底的に生産性を追求することで「メガ
なんとか」に勝利した。その生産システムのほとんどが無人化されているとしよう(同
社が競争に打ち勝ち世界を制覇するに他に手段はなかった)。同社社員以外の圧倒的な
人間(人類のほとんど)は,就業機会=生活財を購買する所得を得るチャンスが無いか
ら,世界唯一水準の商品を横目で眺めることしかできない。もちろんこのことはすぐさ
ま会社の業績に跳ね返る・・・・。

◇まあ,1社というのは極端だけど,世界経済って無限にそっちの方向に向かって猪突
していることは間違いないから,このまますすめばこれはもう,すさまじい社会挫滅へ
のシナリオですね。「働かなくても食える」くらい生産性が向上した社会で「働かざる
もの食うべからず」というシステムを社会の基本制度として運用しようとするとシステ
ムはたちまち行き詰まるということが自動的に結論される。

◇で,今日の状況は,まさしくこの経済破滅へのシナリオのはじめの数頁という段階か
な,というのが漠たる判断。だって現下の消費不況,通説は先行きの情勢に対する不安
に起因するというのが多いようだけど,これは信じがたい。もしそうならもっと購買先
選択時点で価格選好性が顕著にでてしかるべきはず。ディスカウントの平均買い上げ点
数減だって「ゴミはもう買わない」ってことと「緊縮マインド」どっちとも言えないし。
「不況」ったって提供されていたものはやがてちゃんとまた売れるようになったのがこ
れまでの不況,今度はそうはいかない。これまでのように景気回復=消費回復にはなり
ませんからね。だって、消費回復って消費創造でしたけどもはや創造すべき消費無し、
という最果てまで来たんですから。

◇これまで学校でベンキョーしてきた不況・恐慌は,生産性の爆発的な拡大に消費が同
時的に拡大・追随することが出来なかったために発生する,ということだった。つまり,
これまでの不況の背後には,当座手元不如意な潜在需要が無限と思えるほどいっぱいあ
ったから,過剰在庫も一段落すると消費の胃袋に飲み込まれて再び成長軌道に復帰する,
というパターンが成立した。でもこれから先はそんな潜在需要なんて少なくとも先進国
ではどこにもありませんからね。よしんばなにやら新たな需要を喚起出来たにせよ,こ
れはもうハッキリ業種間でのゼロサムゲーム。世界・1業種・1社システムを目指す滔
々たる趨勢では遅かれ早かれすぐ飽和,というわけです。

◇世界標準だとか知的労働だとかのノウハウを云々する人もまあミクロでは必要です。
特にグローバル企業とやらにはね。必要ではあるけれども,以上見てきたとおり,ドラ
ッカーさんのスタンスが「明日を支配するもの」とはとてもとても,絶対に同意できま
せん。さらに,一部を除けば個別企業が自社の成長のために志向すべき方向だってぜん
ぜん違うんだけどこれはラグジュアライゼーション論として別途展開したい。

◇ともかく,「明日の問題」は「働かなくても食える」までに発展した生産システムの
成果を「働かないもの・働く機会が無いもの」にどう分配するか,ということ。
その昔,「能力に応じて働き,欲望に応じて受け取る」なんてコンセプトが流行ったけ
ど,これから問題になる生産力過剰→消費購買力の漸減というワンセットの事態って生
産力信仰にどっぷりのマルクス主義ではどーにもなんない。
 ところでまたまた余談ですが、かっての主義者ってだあれもマルクス主義の本格的な
総括ってやってないんだよね。改心派は「ベルリンの壁」「ソ連崩壊」でおしまい,お
っと,新しい教科書何とかの会長さんは湾岸戦争だったかしら,いずれにしてもお手軽
なこと。「マルクス葬送」とかいってね。マルクス葬送=資本制の終焉でしょ?

◇時は移り,今や「能力に応じて働ける機会は出来る限り潰して行くが,どっかで稼ぎ
を見つけてもっともっと買って欲しい」というのが「世界資本主義=ゆーところの世界
標準企業」の要請です。でもこれはもう先が見え見え,「生産と無関係?に分配・再生
産するシステム」を構築することが「明日を支配する」人類の21世紀初頭の課題です。
                                     

※新年早々長文になってしまいましたが、takeoの問題意識としては、人間の労働力を
それほど必要としない段階にまで発展した生産力が生み出す富を、生産システムから放
り出された人たち(つまり明日の我々自身)はどうやって手に入れるのか、生産した物
財が消費されないとやがて生産システムも崩壊するが・・・、ということです。
 このような段階に至っている我が国が世界標準と称する「生産性のいっそうの向上」
レベルの問題につきあうことほど愚かなことはありません。日本は世界標準を遙かに越
えた生活水準を達成しています。世界標準などという「物財の普及・良い品質のものを
より安く提供する」ことをテーマにした競争に参入することは、言うまでもなく昔に逆
行することであり、世界標準まで生活水準を落とすことに必ずつながります。
 それはもちろん、世界標準商品が市場を席巻することであり、我が国内産業は業種を
問わずうち砕かれていく悪夢のような世界です。
 このような将来を阻止するためには、グローバライゼーションという世界均一ライフ
スタイルへの道をきっぱり拒否して、ラグジュアライゼーション:自分の好きな生活を
堪能する、というライフスタイルの実現に企業も我々も邁進することが必要です。
 新しい繁栄・新しいマーケティングの可能性はこのような時代の課題を認識したイノ
ベーターにのみ獲得するチャンスが与えられることでしょう。

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◆quolaid.com情報◆
 ※当メルマガはクオールエイド社サイトの「Flash Note」欄と密接に関わっています。   
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  併読していただければ幸いです。


◆次号:NO.25 02年1月4日(fri)