| ホーム>資料庫>メールマガジン保存版 |
| 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
No.15 2001/10/26(Fri) ===================================== ◆ 『コンサルタントの眼』 ★毎週金曜日発行★ ◆□◆ ◆□■□◆コンセプチュアライザー・タケオノブオが ◆□◆ 経済・社会問題に関する様々な事象を批評。 ◆ http://www.quolaid.com mailto:info@quolaid.com ===================================== ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ◆コンサルタントの眼◆ 「時間堪能型社会」 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 今回からしばらくは、われわれが生きている現時点の特徴などについて考 えてみたい。 第1回目は、クオールエイド社サイトで私が担当しているコラム「FLASH NOTE」9月19日欄と大きく重複する内容であることをお断りしておく。 http://www.quolaid.com/cgi2/sunbbs/index.html 読者の皆さんにはなるべく同サイトと行き来をしていただきたいと希望し ているので、サイト記事との重複は避けたいのだが、何しろ、この話をして おかないとあとに続かない。こちらだけのおつき合いの方が相当数おいでな のでご容赦いただきたい。 もちろん、私は別に社会に対して警鐘をならすなどということを試みてい るわけではない。マーケティングを展開する、ということの前提となる環境 認識、これからマーケティングをやるならこのあたりは不可欠ですよ、と私 には思われることを提起するものである。 私たちが生きている時代の特徴は、第一に「ものを持つことは豊かなこと である」という迷信(笑)のもと、身辺にものを寄せ集めて喜ぶという有史 以来連綿と続いてきた時代が終わったということ。第二に、「自分自身が堪 能できる時間を過ごすことこそ豊かなことである」という、これまではほん の一握りの人間しか味わえなかった生活をほとんどの人が過ごすことが出来 る、という未知の生活の時代へと転換していく可能性が開かれているという ことである。 もちろん、この裏側には解決に取り組んでいかなければならない重大な課 題にも事欠かないわけで、それらについても今後さまざまな角度から考えて いきたい。 ともかく、われわれは、「自分自身の時間を堪能する」ということがほと んどの人に可能になった時代に生きているということである。このことはこ れから何回かに分けてみていくように、けしてバラ色の条件ではない。われ われがこのような転換期実態を十分認識し、条件を活かしたライフスタイル を楽しむ新しい時代を開かない限り、21世紀の社会環境は大変悲惨なものに なるだろう、と考えられる。 ここで「堪能」という言葉について説明しておきたい。堪能は「足んぬ」 からきた言葉で「満ち足りている、満足している」という意味、もう少しニ ュアンスを込めれば「期待していたことが実現しており、それを楽しんでい る」ということである。一時は死語同然だったと思うが、最近メディアでも よく用いられているようだ。ちなみにクオールエイド社は、平成10年3月、 某市の中心市街地活性化基本計画における基本コンセプトとして「時間堪能 型マルチデスティネーション」を提唱している。 余談はさておき、「時間堪能」について。 時間を堪能する、とは一言でいえば、自分がこういう風に時間を使いたい・ 過ごしたい、と考え・期待する通りに自分の時間を使う、そのプロセスと結 果を楽しみ・満足する、ということを意味している。もちろん、人間はこれ までの社会においてもこういう時間を経験しているが、それは大部分の人々 にとっては特別の時間、「ハレ」であった。今日のように、自分の生活の全 体が時間堪能ということを中心に編集されるライフスタイルにまでなってい るということはなかった。 人生を「生きている時間」として考えれば、時間堪能とは人生を堪能する、 ということに他ならない。これまでのように、他人が持っているもの、着て いるものなどを基準にものを買ったり、服を取り替えたりすることもそれは それで楽しかったけれども、けして「時間堪能」というほどのことではなか った。 効率重視の生産システムの圧倒的な発展は、人間を生産現場からとどまる ことなく無用化し、追い出そうとしている。生産に従事する時間が短縮され るということは、自由裁量時間が増えるということ、本当に自分のしたいこ と、過ごしたい方法に時間をたっぷり配分して堪能すること時間的条件が充 実していることを意味している。問題はもちろん「時間堪能」を実現するた めに必要な所得をどこでどうやって確保するか、ということだが、これは人 類規模でこれから工夫し解決しなければならない、世界的・人類規模での重 大問題である。 時間堪能は、人生堪能=自分堪能である。堪能のタネは自分自身の中にあ るかも知れない。何だ、そうするとそんなにお金も賭けずに済むんだ、とい うことで時間堪能型社会とは限りなく「物財所有の喜び」からかけ離れたラ イフスタイルが多彩に展開される社会である。今日でももはや「物財の所有」 という万人共通の価値尺度は次第に薄らいでいる。価値観を共有する・堪能 の対象を共有する人々とグループを作り、その内部で認められること、ある いは他人から認めてもらう必要などさらさらない、ひたすら自分自身を堪能 する、ということに没頭するといったライフスタイルも増えつつある。イン ターネットの普及はこの方向への変化をひときわ大きく前進させるものであ る。現下、消費が伸びないことの理由として将来に対する漠とした不安をあ げる人が多い。それもたしかにあるだろうが、もう持つべきほどのものは全 て持っている、ということもあるのではないか。 物財の所有が課題だった時代には、それを得るための所得が、所得を保障 する職業が重んじられるが、それらとあまり関係のない「時間堪能」が課題 になってくると、課題は大きく変わることになる。先程も述べたように、価 値観を共有する、互いに互いの「堪能」に貢献しあえるような個人対個人 (PtoP)のつきあいが重視されてくるだろう。 また、このような時代には何をも持っているかよりも何を同使いこなして いるか、ということが大切になる。新製品は高度な機能を誇るが使う側に使 いこなすスキルが不足しており、十分堪能できないという事態も多い。「時 間堪能」には堪能するだけのスキルが必要なのである。 マーケティングは、さしあたり、このような「転換期」を十分認識し、こ の転換に貢献する方向を認識することが大切である。それは「時間堪能」に 関わるソフトの提供に限られるものではない。 具体的にいえば、「時間堪 能」は、「その時間・生活局面を楽しむための空間の演出」ということを伴 うのであり、そのためには演出のスキルと材料が必要になる。それはこれま でのような価格や流行の訴求ではなく、「堪能したい生活の演出」にふさわ しい材料として提案・提供されることが必要である。ここに既存の企業が視 点を変えることで直ちに対応できる新しい市場の可能性が潜在している。 「構造改革」は、「物的所有の欲求」に奉仕する社会構造から「時間堪能」 を実現する社会構造への「改革」を推進するという方向を追求しないと成功 しない。このあたりについてもおいおい述べていきたい。 今回は、少なくとも先進国といわれる社会においては、人間の歴史始まっ て以来はじめてという規模で、「物的所有の欲求」という価値観から解き放 たれて「時間堪能」という新しい欲求の充足がテーマになる時代への大きな 転換期に直面している、という時代認識について注意を喚起した。 繰り返すが、このことはけしてわれわれに明るい未来を約束するものでは ないし、このことと同時進行しているのは南北・貧富の格差の拡大、アフガ ンに象徴される世界同時テロという事態である。これらはけして切り離して 考えられることがらではないことは明かである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |