| ホーム>資料庫>メールマガジン保存版 |
| 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
No.13 2001/10/12(Fri) ===================================== ◆ 『コンサルタントの眼』 ★毎週金曜日発行★ ◆□◆ ◆□■□◆コンセプチュアライザー・タケオノブオが ◆□◆ 経済・社会問題に関する様々な事象を批評。 ◆ ===================================== ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ◆コンサルタントの眼◆ 創発とはなにか ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ これまで3回にわたって「コンセプト」、「戦略」、「作戦」などについ て述べてきた。これらは、私たちが生きていくうえで好むと好まざるとに関 わらず取り組むことが運命づけられている、「問題解決」に大変関係の深い ことがらであり、知っていると知らないとではいつの間にか大きな差が付い てしまう大事な知識である。 戦略論議の冒頭で同時多発テロを引き合いに出したので、戦争話かと思わ れた人があったかも知れないが、全然違う、「問題解決」一般に通じる話な のである。そもそも、戦争自体が大きな「問題解決」の試みですからね。 なお、私は能力開発とは「問題解決能力の開発」のことでなければならな いと信じている。「問題解決能力の開発」については、来週にもクオールエ イド社のサイトにアップするので是非ご一読いただきたい。 ひょっとしたら「目から鱗」があるかも知れない。 さて、前号では戦術について、「戦略」から「作戦」、「戦闘」に至るま での問題解決の取り組みについての「ノウハウ」であるということを述べた。 そのほとんどは人類の過去の具体的な経験を抽象化し・一般化したもので ある。広義の戦術とは、問題解決の具体的な方法についての知識である。 戦術についての知識を沢山持っているということは、いざというときの選 択肢の候補を沢山持っている、と言うことである。 知識のない人が辛苦難儀してたどり着く解決策に、「この問題にはあのと きに使われたあの解決策が応用できる」と即座に思いつけると大変時間が節 約できる。節約された時間はさっそく問題解決の行動に振り向けることが出 来るから、これはきわめて貴重なことであることは言うまでもない。 しかし、このように蓄積されている戦術についての知識が必要なときに必 要な選択肢として脳裏に浮かぶ、と言うこととは全く別のことがらである。 必要な問題解決の局面に必要な選択肢がさっと思い浮かべられないとした ら、せっかくの戦術のストックも宝の持ち腐れとなる。戦術を沢山覚えこむ ことは、偏差値が高ければたやすくできることであるが、必要に応じてそれ らの戦術が選択肢として次々に思い浮かべられる、ということは別の能力に 属しているのであり、生まれつき上手な人はいざしらず、一般には訓練が必 要と考えられる。 今日のテーマの「創発」はそのあたりに関係する話題である。 もともと「創発」とは生物学の分野、特に進化理論の専門用語であり、進 化のプロセスで「これまでのプロセスから論理的に説明することの出来ない 進化」のことを指している。 ある生物がこれまでの進化の過程の延長として予期=説明できない進化を したとき、その進化を創発という。あるいはこれまでのプロセスでは説明で きない進化」を意味するコトバである。 これを情報理論の分野に転用したのが「情報創発」という意味で用いられ る創発である。この分野で用いられる創発とは、「これまでに与えられた情 報(群)やその組み合わせに還元することの出来ない新しい情報」という意 味である。 私はこの創発という言葉をさらに広い意味で用いたい。われわれが情報を 作っていくときにやっていることは実は余分(と思われる)データを切り捨 てながら本質的(と思われる)な部分を把握する、という作業である。 従って、情報は、与えられたデータの論理的な作業プロセスの結果として 自動的に生み出されるのではなく、先行する・収集したデータ群を選択した 結果として現れる、優れて意志的・意図的な産物なのである。つまり、われ われが情報を作るとき、その情報にはわれわれ自身の責任がこめられている、 と言うことである。 ある問題の解決策として「コンセプト」が作られ、それを解決していくシ ナリオとして「戦略」が立てられ、具体的・計画的な取り組みとして「作戦 」が作られる。このプロセスは全て論理的な必然性として前もって用意され ているものではない。 それは「前段階に還元できない」ものであり、創発されるものである。ど のような陳腐な問題にどのような陳腐な戦略で対応しようとしたとしても、 その状況はこれまでのどの人類の経験にも還元することの出来ない、方針選 択=意思決定を含む「創発」なのである。 われわれは、よく論理的に考えたらこの方法以外の選択肢はない、などと いうことがあるが、問題解決の過程はそんなに論理的なプロセスではないの だ。解決プロセスを決定するのはほとんどが思いつきやヒラメキによる選択 であり、「論理的」とは後からこじつけた「後知恵」である場合が結構多い のである。 われわれの考えの多くが、創発=ヒラメキ・思いつきである、ということ は何を意味するのか? それは、考えの正しさ・正当性を考えてきたプロセ スの正しさで証明してはいけない、ということを意味している。 「風が吹けば桶屋が儲かる」というコトバがある。風が吹けばほこりが立 つということから始まって、ほこりが立てば眼にはいる・・・・からネズミ が桶を囓る−桶屋が儲かる、で終わる推論の連鎖である。われわれの問題解 決における解決策の案出は、この話によく似ている。 われわれは問題を作り上げている要因の全てを知り、それらが将来どうな っていくかということを予測することは出来ないから、われわれの予測は大 雑把なものにならざるを得ない。推論のプロセスは大雑把な把握から次の大 雑把への飛躍に他ならないのである。 われわれが取り扱うことの出来るデータには常に限界がある。論理的に考 えた結果とは実は大雑把に考えた結果のことである。もちろん出来るだけ多 くのデータを集めてから必要な情報を作る、というやり方もあるが、だから といってそれが必要な情報を得るための正しい方法である、ということは断 定出来ない。 われわれは自分の解決策の正しさを事実に還元することが出来ない、全て の解決策は「仮説」として提案されるのである。われわれの解決策は常に誤 っているかも知れない、という可能性を持っている、ということを忘れては ならない。 以上、簡単にみたように戦略の正しさを推論のプロセスの正しさによって 主張することは出来ない。振り返ってみれば、戦略策定のプロセスは創発の 連続なのである。 つまり今現在考えていることの正しさを、これまでの正しさで証明するこ とは出来ない、と言うことである。それではわれわれは戦略の正しさという か妥当性を何をもって判断することが出来るのだろうか? 戦略の正しさは、最終的に達成しようとする目的の妥当性とそれに至る段 階として設定される目標の妥当性、目標を達成する方法としての戦略の妥当 性の判定によって与えられる。この戦略を用いれば諸目標が達成され、最終 目的を実現できる、という将来の可能性が、戦略の(現時点での)妥当性を 保証するのである。このシナリオで進めていけば問題は解決するだろう、と いう予測が戦略の妥当性の根拠であって、過去の成功事例や考えていたプロ セスの論理性などが戦略の正当性の根拠になるものではない、ということを 了解していただきたい。 正しい戦略とは、「問題を解決出来る戦略」であって「正しい方法で考え られて戦略」ではない、ということである。正しい解決策を案出する正しい 方法」などという便利なものはこの世に存在しないのである。極論すれば解 決策はどこから出てきても構わない、神のお告げであろうが、占いであろう が、「正しい問題解決法」であろうが「創発」であろうが何でもあり、なの だ。解決策としては全て平等の権利を持っている。 判断基準はただ一つ、この状況における問題解決策として妥当か否か、こ の戦略を採用すれば問題が解決された・あるべき・望ましい状態に移動する ことが出来るか、というシビアなチェックだけである。 われわれが問題解決について考えるプロセスは、常に大雑把であり見切り 発車の思いつき・ヒラメキというプロセスをともなっている。だから思考過 程の正確さとか、必然性だとかを楯にとって解答策・戦略の正しさを主張す ることは誰であれ、やってはいけないことである。 このことは、コンセプトの作り方などにもまったく当てはまる論理である。 「正しいコンセプトの作り方」などという方法はないのだ。作り上げたコン セプトが、前々号で示したコンセプトとしての機能を果たす内容になってい るかどうか、と言うことだけが唯一の選択基準なのだ。 もう少し言っておくと、例えばKJ法などというノウハウがある(らしい)。 私はそういうものを信じる気持ちは更々ないのではじめから敬遠してきたが、 ある時、仕事先で「この状況分析はKJ法で行った」、だから正しいのだ、と 言わんばかりの説明をされてビックリ仰天したことがある。KJ法を商ってい る諸君はいくらなんでもまさかそういうセールストークはやってないだろう ね? もちろん、KJ法を使いたい人は使っていいんですよ、ちっとも構わな いません。かまいませんが「KJ法で出した答えだ、だから正しい」などとは 考えないように。その他諸々の「思考法」やら「問題解決法」なども全部一 緒。 ちょっと堅苦しく言うと、 「解決策の正当性をその出自によって主張してはならない」ということ。解 決策の正当性は、「問題解決策としての妥当性」以外のところには無いのだ、 ということである。 コンセプトつくりから行動計画まで、われわれの問題解決のプロセスは常 に、決断・選択のプロセスに他ならない。選択・決断の根拠は、「これが問 題解決にとって最適である」ということの論証であって、決断に至る過程や 決断に用いた方法ではない、ということだ。 このように考えると、解決策の正当性の判断には、出来るだけ多くの関係 者の目による批判を受ける、ということが極めて大切になる。解決策は誰が どのようなプロセスで作ったかと言うことよりも、その解決策を用いて解決 に当たる人たちの批判を受け、解決策としての妥当性を確認することの方が 遙かに重要なのである。 また、解決策の正当性は、問題解決の可能性にかかっているのだから、そ の取り扱いには常に謙虚さが要求される。われわれは常に見落としをする可 能性があり、それは取り返しの付かない結果をもたらすことになるかも知れ ない。だからといってわれわれは問題に取り組まないわけには行かない。わ れわれは間違っているかも知れない解決策の妥当性を確認しながら進む、事 態の進展の中で解決策が誤っている・問題解決に結びつかないということが 明確になった場合には、躊躇なく解決策の改善・交換を検討しなければなら ない。 解決策の正当性の根拠はただ一つ、問題解決の方法としての有効性である。 今回は、「創発」というよく聞くような聞かないようなコトバについて考 えさらに問題の解決策の正当性などについて考えてみた。 問題解決プロセスの各段階で必要な能力とそれらの能力を涵養する方法な どこのメルマガを講読いただいている皆さんが大いに興味をお持ちであろう 問題については、前述したとおり、クオールエイド社のホームページで来週 中に公開するのでお楽しみに。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |