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K111■議論と討論 2005/06/30(Thu) |
| ■議論と討論 ここでは次のような意味で用います。 討論とは:たとえば議会にける賛成vs反対討論のように、相克的名主張を交わすこと。双方は互いに自分の主張が正しく、対立する側の主張は間違っている、と主張する。 討論の目的は、「自分の意見を通すこと」その手段として @自分の主張の妥当性・正当性を主張するとともに A相手側の主張の非・妥当性、不当性を論証しようとします。 通常行われていることです。 議論は: ある目的を達成するために、参加者が互いに意見を交わす中からよりよい位置、考え、方法を発見しようとするための対話。 (というように、ここでは区分して使います) 討論は、勝か負けるか、winner take allという状況ですが、議論は、それぞれが持っている知識は、不足したり、間違っているかも知れない、議論でそれを発見し、改善しよう。ということが目的です。 あらためてこのように考えてみると、「議論」にはいくつかの異なった性格があることが分かります。 「ディベイト」と呼ばれている弁論技術の訓練方法は、「討論」スタイルの論議の経験を重ねることで、言葉遣いの錬磨を目指すものだと思いますが、言葉遣いを磨こうとする目的、ディベイトという弁論技術の特性をよく理解しておかないと、所期の目的を達成することが出来ないかも知れません。 ■ディベイト 討論過程を想定体験することを通じて、思考力、弁証力を上達させようと言う訓練法です。 ディベートに参加者は二手に分かれ、あるテーマについてそれぞれ賛否どちらかを担当し、それぞれ担当する立場を養護し、相手を論駁する、という「ゲーム」です。 「勉強」のつもりで取り組むにあたっては、いろいろ理解しておかないと後でダメージを受けかねないことがいろいろと有ります。 ■議論能力獲得とディベイト > 討論過程を想定体験することを通じて、思考力、弁証力を上達させようと言う訓練法です。 という目的を考えれば、ディベイトと実際の社会における討論との違いを事前に理解しておかなければならない。 つまり、ディベイトでは個別ディベイトにおける「勝ち負け」が問題ではなく、その過程を通じて思考・弁証能力を向上させる、というところに本当の目的が有るわけです。したがって、ディベートには自ずから、実際の討論では必ずしも成立するとは限らない「約束」が前提になる。 ということを考えるためには、ディベイトに先立って「議論」の目的について考えてみるというレベルに遡及することが必要です。 議論とは何か? 我々はなぜ議論をするのか? ということからスタートして、議論一般における討論の位置を明らかにしたうえで、議論の技術習得の方法としてのディベイト(疑似討論)について考える、という段取りになります。 議論とは何か? ここでは意見、主張の交流、と定義しておきましょう。 我々はなぜ「意見、主張の交流」を行うのか? ※ちょっとわかりにくいかも知れませんが、問題は、 「論理的に話す」=議論を効果的に行うために必要な能力を修得する手段として、議論の一分野である「討論」の形態を利用する、というディベイトを採用するときに留意し萎えればならないこと、を考えるところから議論を始めようとしています。 質問がありましたら、どんどんどうぞ。 ■対話・議論・討論 標題は言葉を用いたコミュニケーションを例示していますが、対話の一部が議論であり、そのまた一部が討論という関係になります。 このことはよろしいですか? 対話というレベルでのコミュニケーションの目的は、非常に広く、「コミュニケーションすること」全体が含まれます。 議論になりますと、目的が対話よりも限定される。 ある共通の目的を達成する・結果を実現するためにに行われるコミュニケーションが議論です。 討論はさらに目的が限定されます。 相異なる複数の立場がそれぞれ自分の立場の正当性を示し、相手にその採用を迫る、ために行うのが討論です。 討論は、相手の主張の論駁と自分の主張の正当性の主張の両方を含みます。 立場の異なる相手の主張を理解し、その非・正当性を発見、論駁する、とともに自説の正当性を主張する。 この討論の機能を「思考・弁論能力」の向上に利用するのがディベイトです。 ■討論とディベイト > 立場の異なる相手の主張を理解し、その非・正当性を発見、論駁する、とともに自説の正当性を主張する。 > この討論の機能を「思考・弁論能力」の向上に利用するのがディベイトです。 討論とディベイトの違い: 討論:目的は議論を通じて自分の主張を貫徹すること ですから、つまりは「勝てば官軍」。相手の非を論証し相手が沈黙すればこちらの主張はチェックを免れ「現存する唯一の主張」となることも可能です。 相手をへこませればそれでOKということもあり得るのが討論。 ディベイトの場合、目的が「思考・弁論能力の向上」にあるとすれば、ディベイトで行われる「討論」は実際の討論とは幾分異なる性格を持たなければならない。 ディベイトの目的は、討論という形式を用いた「思考・弁論能力の向上」である、ということからそのルールが導かれなければならない、ということになります。 私はこれまで訓練としてのディベイトにはほとんど興味をもっておらず(現在も)、その実際のルールについても知りません。 また、「あるべきルール」について云々するつもりもありませんが、ディベイトの場合、「勝てば官軍」というスタイルでは所期の目的を果たすにはほど遠い、ということは指摘しておきたいと思います。 ■議 論 ディベイトからひとまず離れて、「議論」について、考えてみたいと思います。 議論は「思考・弁論能力」が問われる場ですから、ディベイトの目的が「思考・弁論能力の向上」とするなら、 @議論の場で起きることを理解することからはじめて、 A必要な能力を理解する B能力を確保する方法を考える というプロセスで必要により、本書あるいはディベイトに戻ってくることにします。 では「議論」について。 ここでいう議論には、もちろん、自分の頭の中における思考過程を含むことを付け加えておきます。 ■議論の目的 我々はなぜ議論をするのか? 議論の目的は何か? 議論は、「現状ではない、新しい状況を生み出すための対話」と総称することが出来ると思います。 議論の目的は、「状況を変える」ことであり、もちろんそこで望まれているのは「よりよい状況」を作り出すことです。 「よりよい状況」はさまざまに考えられますが、議論の性格から考えると、 協 働:議論を通じて共通の目的を実現しようとする 競 合:ある基準についてどちらが選りすぐれている立場かを争う 対 立:利害が両立しない相手との議論 その他:いろいろあり得る などが考えられますね。 多くの場合、議論は ○自分の主張を説明し、相手に理解させる 仕事と ○相手の立場を理解し、その問題点を明らかにする 仕事があります。さらに、議論の性格によっては、 ○協働で新しい主張を作り上げる という仕事も含まれることが多い。 次に「議論」のプロセスで行われていることを分析し、それぞれの過程で必要な思考・弁論能力を考える・・・という段取りで進めたいと思いますが、続きに興味がもてそうですか? (笑 ■相手の主張を理解し、評価する 議論には必ず、相手の主張を理解する、というプロセスがあります。 ここでは、 @相手の主張を理解する A主張の内容を検討・評価する という作業が行われます。 「理解する」とは文字通り、相手の主張が何について何を主張し手いるのか、ということを理解することですが、このことは後回しにして、まず、Aから考えてみたいと思います。 ○主張を評価する作業は、 @主張はつじつまが合っているか・・・内容の展開は妥当か? A主張は外部の状況・前提と合致しているか? B主張は相手の立場の主張として妥当か? という三段階で検討されることになります。 もう一つ、「価値観」をめぐる議論の場合、煎じ詰めれば価値観の優劣ということになるわけですが、その話はいずれ後ほど。 @について。 主張されていることは、つじつまが合っているかどうか、ということの検討です。主張の中身が相互に矛盾していたり、論証が不十分だったりすれば、その時点でアウトです。 (ちなみに北岡氏の「論理的に話す力が身につく本」にはこの手の例が多く見受けられるので、後ほど指摘して参考に供しましょう。) 主張の中身が整合していない場合、主張は、あらためてやり直すか、取り下げることになります。(討論の場合はそうはならないこと、もちろんです) Aは、主張の内部の論理的なつじつまは合っているが、主張全体が主張が行われている「場」を含んで成立している前提条件(たとえば自然法則とか)と食い違っていないかどうか、信頼するに足りると評価されている情報と相手の主張の間に矛盾はないか、ということの検討です。 Bは、相手の立場とその主張との関係に矛盾はないか、ということ。これも後ほど北岡本から例示します。 以上のような検討が、議論のプロセスで議論参加者の頭の中で行われる作業です。 この作業は、「論理的」に行われることが必要ですが、では「論理的」とはどういうことを意味するのか? これがなかなか難しい。ご承知のとおり。 ■「論理的」ということ > この作業は、「論理的」に行われることが必要ですが、では「論理的」とはどういうことを意味するのか? > これがなかなか難しい。ご承知のとおり。 ということで、ホントに難しいのですが、手探りで進めてみましょう。 論理的とは、「結論を導き出す推論過程が客観的であること」という説明は如何でしょうか。 つまり、主張の前提や目的はとりあえずカッコに入れておき、前提から結論を導くプロセスは「誰がやっても同じ結論に至る」というあり方が「論理的」ということである、というのは如何でしょうか? ■Re: 「論理的」ということ > 論理的とは、「結論を導き出す推論過程が客観的であること」という説明は如何でしょうか。 > つまり、主張の前提や目的はとりあえずカッコに入れておき、前提から結論を導くプロセスは「誰がやっても同じ結論に至る」というあり方が「論理的」ということである、というのは如何でしょうか? もちろん、「誰がやっても」というところがミソでありまして。 しかるべき「お約束」を踏まえた人なら「誰がやっても」という意味ですね。 で、どういうお約束かといいますと・・・・。 これがまた難しいんですね(笑 ■合理的ということ とりあえずこちらを参照してください。 http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1398&reno=1397& oya=1390&mode=msgview&page=0 これで暫時執行猶予(笑 |
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