●われわれが生きる社会
有史以来の転換期、個人、各種組織ともに 如何にあるべきか、という戦略的な問題に直面しています。
戦略的な課題の常として、今日取り組まなかったとしても明日明確に弊害がでるわけではなく、取り組んだからといって明日からバラ色になるわけでもありません。
戦略課題への真剣な取り組みが一日延ばしになっていくゆえんですが、はっきりしているのはやがていつか必ず取り組まなかった付けを払わなければならない、ということです。
ということで、まずは我々が生きている時代とはいったいどのような時代なのか、過去の延長線上で考えられる=従来の戦略で対処できるのか、それとも本当に転換期であり戦略ぐるみの転換が必要なのか、あらためて考えてみませんか。
●税制調査会レポート
ちょうど1年前、税制調査会は、
『わが国経済社会の構造変化の「実像」について 〜「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ〜
』
と題するレポートを発表しました。
「構造変化」がいわれる現在から将来に渡っての税制のスキームを構想するに先立って、変化の実像を見極めようというものです。
さしあたり、このレポートをもとに考えてみたいと思います。
「二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト」
1.今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
(1)人口減少社会への突入
(2)超高齢化社会への変貌−少子化と長寿化の同時進行
(3)従属人口指数の上昇−社会的な扶養力の弱まり
2.「右肩上がり経済」の終焉
(1)高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅−標準モデルの「非標準化」
(2)「量的拡大」志向の限界
3.家族のかたちの多様化
(1)「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化
(2)「戦後家族モデル」の終焉−標準的ライフコースの相対化
(3)ライフコースの多様化と不確実性の高まり
4.「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
(1)雇用形態の多様化
(2)職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)
5.価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
(1)「画一」から「多様」、「多重」へ
(2)キーワード−選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))
6.社会や「公共」に対する意識
(1)会貢献意識と他者への依存
(2)個人の主体的な「公共」への参加
7.分配面での変化の兆し
(1)均質化、流動化の動きの鈍化
(2)「機会の平等」志向
8.環境負荷の増大、多様化
(1)「循環型社会」への転換
9.グローバル化の進行
(1)世界規模でのグローバル化
(2)わが国における国際的結びつきの深化
10.深刻化する財政状況
(1)戦後の財政運営
(2)問われる「持続可能性」
というように「実像」が報告されています。
※詳細は、
http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top_zei3.htm から
「諮問・答申・報告書等」〜「我が国経済社会の構造変化の実像について」及び「参考資料」を参照のこと
●構造変化の特長と課題
(レポートの続き)
「三 結びにかえて−将来に向けての示唆」では、二でみた「10のキー・ファクト」に見られる特徴として、二つあげられています。
1.経済社会の「基盤」の変容−「量的拡大」から「質の充実」へ
第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべき構造変化である。
今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中心の若い社会」から「成熟した長寿社会」となる。また、高度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄率、人口ボーナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が問われている。
このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」を期待することができなくなった。「質の充実」を軸とする経済社会への転換が求められている。
2.「標準」から「多様」へ
第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し、「多様化」が進みつつあるということである。
もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどのように活かしていくのかが問われることになる。
確認すれば。
1.「10のキーワード」に象徴される構造変化は、「我が国経済社会の基盤の変容」というレベルのものである。
2.従来型の標準的・定型的なターゲットが消失、方式が適用できない。
このような現状認識から導かれる課題は、
新しい「経済社会」の方向は、「質的充実」をめざし「多様化」を活用していかなければならないが、
ほうっておいても「実像」的構造変化が進展するなかで、「質的充実」を実現していくシナリオをどう描けるか?
ということです。
もちろん、「中心市街地活性化」の取り組みもこの「実像」を踏まえたものでなければならない。
●ちなみに
「転換期」は、
@これまで傾向として一定の方向なり範囲なりにあったことが、
Aその方向や範囲を成立させていた条件が変化することで、
Bこれまでの延長線上では物事が想定できなくなる
時代を指すとすれば、
転換期の特徴は、
@「復旧」はない
Aこれまでの経験・ノウハウが役に立たないことが多く・変化への対応を妨害する可能性がある
B新しい取り組みのスタイルが必要である
といったことではないでしょうか。
ここには非常に興味深くまた重要な問題があるので後ほど考えます。
「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。
中心市街地活性化への取り組みの将来に渡って繁栄する商業街区を再構築するという課題は、もちろん、「転換期」の文脈で構想されなければならないわけで、「転換期」の課題としての中心市街地活性化に「プレ転換期」の施策で対応しようとしてもうまくいくはずがありません。
中心市街地活性化を構想するに当たっては、
@[10のキーワード]的な転換期の特性を「自分にとってのラス要因に出来る」ポジションを考え出し、
A現状からそのポジションへの移行をめざして転換戦略(=シナリオ)を描く
という作業が不可欠だということが理解されると思います。
ちなみに、当社が提唱している「中心市街地活性化への道」が提唱するショッピングモールへの転換という目標と転換のシナリオは、「転換期」という環境に対応し、これをプラスにする方向ですからね。
もちろん、「転換期という環境をプラスにする」という課題は、中心市街地に限らず、[転換期」の影響を被る組織・地域においては、それぞれの存在目的に応じてしっかり対応を構築していかなければならない、まさに「画期的」な課題です。
●もちろん
>当社が提唱している「中心市街地活性化への道」が提唱するショッピングモールへの転換という目標と転換のシナリオは、「転換期」という環境に対応し、これをプラスにする方向ですからね。
中心市街地活性化の方向を含みつつ、当社が可能的な方向として提唱している「時間堪能型社会」は、[10のキーワード」的趨勢をふまえ、かつ、それをプラス方向で各般の経済社会活動のあり方を試行、定着させていくことにより、全体として「豊かな社会」を維持発展させていくという戦略的なスタンスを持っています。
企業、都市その他、マーケティングを手段とする組織、団体にとって今後のあり方を構想する上で前提となる「組織を取り巻く環境の変化」をどのように理解しておくかということは、早急に取り組まなければならない課題です。
●グレシャムの法則
「悪貨は良貨を駆逐する」をもじって。
「恒常的業務は戦略的業務を駆逐する」(by takeo)
「転換期の戦略」を如何にたてるか?
重要な問題ですが、困ったことに、適切に立案したからといって明日から状況が変化するわけでではありません。
あさって、1週間後、1ヶ月後も大差ないかも知れません。
しかし、半年、1年、2年後を想像した場合果たしてどうでしょうか?
問題は、誰の目にも見える形で現れてからでは対処が難しい。
他方、恒常業務は、今日明日の業績を直接左右するものであり、取り組みの結果は業績にただちに反映します。
無視するわけには行きません。
戦略業務、意識して取り組まないとどんどん先延ばしになってしまいます。
ご注意あれ。
●もうひとつ
> 「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。
このとき、大事なことは「価値観」です。
転換に「構造改革」で対応しようとするのは、慣行的なあり方では転換に対応できないから。
「対応できない」とは、「価値」を維持存続することが出来ない、ということを意味しています。
つまり構造改革は、経済社会が大きな転換期を迎えている、従来通りのやり方では「価値」が維持できないようだ、「構造改革」をすることで変化する環境においても価値を維持していこう、ということです。
このことを忘れると「構造改革」自体、「転換」にこれまでとは違う形で対応すれば、即ちそれが改革である、というような勘違いも起こりそうです。
では、変化に対応することで保持していく「価値」とはなにか?
それは経済社会が変化しても維持していくべきものなのか、はたまた維持していけるものなのか?
といったことも当然検討しなければならない。
なにを「価値」とするかで「転換期」への対応戦略は規定されます。
戦略とは、「価値が危ういここ」から「価値を確保できる」あそこへ移行するシナリオ、です。
「価値」・「目的」・目標」が無いところに戦略はありません。
手法はいろいろあると思いますが、戦略はあくまで価値・目的と状況において獲得・保持するためにたてるもの、と考えるべきです。
目的無き目標・手段は主体をどこに導くか分かったものではありません。
転換期、このことは大変重要なことです。
たとえば、企業。なにを価値とするかで転換期への対応戦略の基本が大きく変わります。企業の機能、会社の「所有権」などという問題も絡んできます。
ぼけ〜っとみているとライブドアが転換期のヒーローに見えたりしますからね。
●「質的充実」という阿吽語
「質的充実」
「高付加価値化」と並ぶ錦の御旗ですが、高付加価値化と同じく、いったいなにがどうなることか、きちんと定義され、「実現された状態」が想像できる(目的達成に不可欠)のか?
量から質へ、とはこのところ場面を問わず飛び交う阿吽語です。
量は分かりますが、はて「から」と量を超えて追求される「質」とは何か?
阿吽語の特徴として、「これを言えばそこで問題になっている状況への解答・指針が出た」という気分になれる、という効能効果を持っています。「質的充実への転換」と言ったとたん、なるほど、そうだよね、となりますがではなにをどうやって、という段になると
ウ〜ム、さっぱり分かりません。
中身がはっきりしないと、目的・方向が定まらない。
これでは戦略は立てられません。
「経済社会の転換」に対応するには「量から質へ」、目標を変えなければならない。なるほど、
目標とする「質的充実」とはなにか? それは従来の価値観とどのような関係にあるのか?
というあたりをしっかり考えてみることが必要です。
●量から質へ
つまり、
@ものをあれこれたくさん持つことから離陸、
A元来ものが奉仕していた「生活を演出し堪能する」方にウエイトが移り、
B自分にとって意義のある生活、充実感のある生活を実現する
という方に生活の課題・目標がシフトしたことをもって「質へのシフト」というのでしょう。
「質への転換」はしっかり考えておかないと、「差別化」とか「高付加価値化」とかの阿吽語に置き換えただけで分かったつもりになったりすると何事も始まらないので要注意。
●見せびらかしvsグジュアリィ
見せびらかし・ゴージャスとラグジュアリィの違いについては、メルマガ・イシューとしてしっかり書くつもりですが。
見せびらかしには2種類ありまして、@王侯貴族→臣民 と A成り上がり→もとのポジション。
@の機能は、支配⇔被支配という関係をこれでもかと思い知らせる、という機能を果たしました。これが高じてバカ騒ぎを繰り返した結果として御用達商人に原始蓄積が生じ・資本制経済への道が開かれたと物の本に書かれています。
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4846000087/qid=1116223432/
sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/250-5777230-0769817
下りまして、@の御用達の儲けからスタートした資本制経済、一山当てた資本家が始めたのがAの見せびらかし。
かっては仰ぎ見るだけだった王侯貴族のライフスタイルを金にものをいわせて採用、被支配階級・その他大勢からの脱出を目指します。
ところが。
斜陽を迎えていることに過敏な王侯貴族階級、既得権益のお裾分けなどやなこった、というわけでなかなか仲間に入れてもらえません。
せっかくのライフスタイルもかっての同輩に見せびらかすしか効用がありません。
かくして。
昔・王侯貴族、今・ブルジョアジー御用達ブランドの効用は、
@仲間内の証
A「あんたたちとは違うのよ」光線の源泉
という二つが混然として「ゴージャス」を醸し出しておりますが、いずれにしましても、「認めてもらいたい」相手というのはそういうライフスタイルに縁のないみなさん方というわけで、ま、なんと言いますか、よ〜やりますね〜、という感じ。
「ほら見て、見て、あたしっておまえさん方とは違うんだからね、その証拠に」
ブランド着てるでしょ、よ〜見て見。
なにやら悲哀感が漂っております。
その点、我が国では二つの流れがありまして。
@かたや、上記の流れに属しているみなさん と
Aかたや、我が国独特の流れ・名古屋大須商店街・コメ兵ご愛顧のみなさんに代表される流れ
ラグジュアリィは、如上の見せびらかしとははっきり一線を画すものでありまして、他人はともかく、あたし的にはこれを堪能したい、ということがスタートですから、はじめっから縁無き衆生に認めてもらおうなどという願望はありません。
見せびらかし=ゴージャスは、お金の「量」で実現できますが、
ラグジュアリイ=時間堪能は、お金の量で何とかすることは出来ません。
これが「量」から「質」への転換です。
●問題状況
当社の問題解決理論おなじみの方には耳にたこですが。
問題を認識し、解決しようとする主体に「解決策」が必要な状況とは、
@目標 A問題 B条件
の3つで構成されています。
@目標:価値を維持するために達成しなければならないこと
A問題:放置すれば価値の増減・得失にマイナス効果が発生すると予測される事態
B条件:内部=問題解決に使える道具
外部=問題を取り巻く状況
このような問題解決を迫られている場面を情況と呼ぶことにします。
問題解決の場面は、情と況から成り立っているわけです。
ちなみに、戦略とは、問題情況において道具をうまく組み合わせて主体の価値を維持・確保するために行動するシナリオ ということになります。
あなた個人、あなたが参加している組織、日本国、中心市街地その他
何でもよろしい、問題情況と戦略の関係を考えてみてください。
戦略の意味・意義が了解されると思います。
●「ある」と「あるべき」
「ある」:現状 「あるべき」:目標。
「かくある」現状に「違和」を覚え、「あるべき」を想定しその実現に向かう。
世の中、ミクロ&マクロ、私事から公共まで、この繰り返しで成り立っているようなもの、このプロセスが「問題解決過程」ですね。
「実像」描写の趣旨は、あるべき税制を構想するため、ということですが、もちろん実像が了解されればそこから自動的に「あるべき」が導出される、という段取りではありません。
「実像」への対応を「量から質へ」というスローガンでまとめるのならば、「量から質へ」、経済社会のシステムを転換していく、という想像を絶する一大転換プロジェクトが構想されなければならない。
このプロジェクトの方向と調和し・かつ促進するのが「あるべき税制」ということになるのでしょう。
もちろん、これは税制に限られたことではありません。
「これまで通りには行かなくなっている」という「ある」から直接、「今後はこうしなくては」という「あるべき」が出てくるわけではない、ということは、すべてのことに共通していること、私が言いたいのは税制のことではなく、こちらの一般論の方です。
(税制=国家財政は、経済社会の「あるべき」構想を受けて設計されることでしょうが、財政構想は「税」が封建領主の手から国王に移管された(つまりスタート時点)以来の抜本改革が不可欠でしょう。)
「ある」=現状が「慣行システムの行き詰まり」ならば、このままでは「今までの価値を実現する仕組み」は挫折することになる。そうはさせじ、というのなら「実像」を踏まえつつ、「価値を実現する仕組み」を再構想しなければならない。
このとき、「あるべき」のキモとなる「価値」も従来通り維持出来るかどうか分かりません。「かくあるべき」と信じて疑われなかったレベルのことも、意識的に形を変えることが必要になるかも知れません。
「社会設計かよ」・「出来る訳ないじゃん」といわれそうですが、おおまかにではあれ、こっちの方向へ行く・行きたい、ということを決めないと身動きが怪しくなります。
これは個人、組織、果ては国家まで皆一緒。
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