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K094■消費と購買・必需品

■消費と購買・必需品 2004/03/28(Sun) 14:18
経済学とは不思議な学問でありまして。

もともと人間はつぎのような特性を持っています。
1.外界からエネルギー源を摂取しないと生存を維持できない、つまり、「食」の必要性です。
2.外部環境を整備しないと快適に生存できない、つまり「衣・住」です。
3.「衣・食・住」条件を整える能力を持っている

この三つの特性が要因となって、分業、交換経済が発達し、やがて市場経済、現在の経済システムが出来上がりました。

この過程で、上記3つの要因が作りあげている「経済」について、研究・理解する学問として「経済学」、「経営学」、「会計学」、「商学」などが生まれたわけですが、いつのまにか学問の領域では3つの特性については「所与」として余り研究考察の対象とされなくなっています。

その結果、様々の領域・レベルで弊害が多発しているのですが、そのことにつきしては目下、サイト「吶喊」において細々と妄想を凝らしているところであります。

今回は、「必需品」「買い回り品」というジャンルについて考えてみたいと思います。

必需品とは何か?

文字通りに理解すれば、必需品とは「それがないと上位のなにかが成り立たない、なにか」でありまして(W、例えば「消費」について言うならば、
1.生存を維持するためのエネルギーのもとになる食物
2.生存を維持すための環境を整える衣・住的機能
ということになります。

このように考えますと、我々は「必需品」を必需品というレベルで手に入れることは不可能な社会に住んでいる、ということが分かります。もちろん、我々は食物を摂取しないと死んでしまうわけですから、その意味で食物は必需品ですが、我々が日頃、スーパーなどで入手、摂取しえちる食物は、すべて食物というジャンルのなかで細分化された食品品種のさらに具体的な個々のアイテム、ということになります。

この「必需食物」の市場経済社会における存在(w でありますところの食品を入手する、という段階になりますと、必需はたちまち「選択」になってしまいます。
我々は選択・購買するという行為を経ずしては、必需についてただの一品も入手することはできません。

「必需品」のマーケティングは、数ある選択肢(つまりお客にとって同質・同順位)のなかから如何に条件に合致する(この場合条件はラグジュアリィとは限らない)商品を選択・購買してもらうか、ということになるわけでありまして、食品におけるブランド戦略が重要な理由ですね。

他方、「買い回り品」といわれる「選好品」の場合。
生命の維持・存続というレベルで考えれば、何の価値も無い、無いならないで済ませられる、という生活財ですね。

これには消費する側にはっきり「これでないとダメ」という基準がありまして、この基準をクリアしている・あるいはその許容範囲に属している、ということが絶対条件ですから、アイテムレベルになりますと、「やっと見つけた・これしかない」という商品になったりする。そうしますとこれはその人にとって生活を作りあげるために必要な必須アイテム・つまりは必需品ということになるわけです。

人間の生存、というマクロで見た消費の場合の「必需品」と
毎日の生活、というミクロで見た購買の場合の「必需品」

意味するところが逆転しておりまして、もちろん、ビジネス=流動性と商品を交換する、というレベルにおける必需品とは、「毎日のラグジュアリィ実現」に必要なアイテム、ということになります。

さて、この意味の逆転がもたらすこれまでの常識の非常識化、言い換えますと「これまでの常識はこれからの非常識」の数々、少し考えてみたいと思います。

ちなみに、「経済学」主流派が漠然と考えている経済とは、交換〜市場経済〜「生活」レベルの経済のことでありますが、その背後には厳然として「生命維持」レベルの経済が有るのだ、ということを「省思考」して成立していますから、頼りないことおびただしい、という話は吶喊のほうで〜(w

■需要には三層ある 2004/03/30(Tue) 15:13
1.生理的生存を維持するための需要
2.当該社会で生活(生存)を維持するための需要
3.市場経済における需要

如何ですか?

1は社会においては2のカタチで現れますが、それがそのまま市場の需要になるわけではありません。社会的需要が市場に登場するには、「流動性=お金」が必要です。

三者の位置関係は、当然、1>2>3ということになりますが、市場経済ではもっぱら3が、3だけが問題にされるわけですが、3の後ろには、需要として登場できない(流動性を所有していない)2および1が存在します。

正統派経済学(the classigal school 何でこれを「古典派」とか訳すんでしょうね)では、あたかも3だけが需要であり、2および1は存在しないかのように振る舞うわけですが、そんなの有りなの? というのが私の立場。

実際、「そんなの」は奇妙、3はいつも2および1と相互に行き来しています。「革新」の一部は2を3に引き入れる工夫と考えることが出来ます。
1および2は市場を出入りするわけで、その出入りは当然、市場に影響を与えます。市場って「正統経済学」が思いこんでいるほど自立しているわけではありませんですね。

正統派経済学の「モデル」の至らなさは、経営学をやった人にはすぐ分かるべきことだと思うのですが、経済学は経営学より科学的=エライ、という共同呪縛がありますからね。

ドラッカー、サイモンなど、経営学プロパーの数少ない人がこのあたりを問題にしています。詳しくは別途書きますが、経済学が科学だ、とか、数学を駆使するから合・論理的だ、などという常識?は迷信です。



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