ホーム資料庫経営フォーラム 保存版


経営フォーラム  保存版  

K092■問題解決論(2)

投稿時間:2004/01/26(Mon) 14:56
タイトル:
問題解決過程
主体が問題を解決する過程を主要プロセスに区分、それぞれのプロセスの内容を分析してみましょう。

1.環境探索
  〜
2.問題(端緒)の発見と評価
  〜
3.問題の定義
  〜
4.解決策の案出と評価
  〜 
5.問題解決の行動
  〜
6.結果の評価

というように区分し、それぞれのプロセスについて考えてみましょう。

ちなみに、『失敗学のすすめ』、本気で取り組もうとするならば、このように「問題解決過程」を編成し、それぞれのプロセスごとに「失敗」のあり方、原因、失敗を防ぐ・カバーする方法などを論じなければ「失敗学」などと呼称することはできません。
「失敗学」の前に「問題解決学」ありき。
畑村さんの『失敗学のすすめ』に対する論評が失敗したのは、彼の「失敗学」が上位理論としての「問題解決学」レベルの論究が行われていなかった、ということに起因しています。

ついでに。
上記の問題解決プロセスを踏まえて「失敗」を考えると、失敗には、

1.問題を認識できなかった失敗(まちがって認識した場合を含む)
2.問題の定義の失敗
3.問題の評価の失敗
4.解決策の失敗
5.実行段階の失敗
6.事後評価の失敗

などがあり得ます。
もちろん、失敗の性質が異なれば対応や防止の方法も全く異なりますからね。『一般失敗学』について論じるなら、失敗についてのこの程度の区分は当然です。

各段階から次の段階への移行に際しては、「意志決定」が行われます。「〜」=「意志決定」。


投稿時間:2004/01/27(Tue) 12:34
タイトル:
1.環境探索
私たちは、環境において、五官を通して常に情報を収集しています。
これは一般に目的意識を持って行われることも有れば、そうでない場合もあります。

五官を通じて収集された環境のデータは、FORによって意味づけされます。FOR・主体の価値体系にとって意味のある情報なのか否かということが判別され、意味があると判断された情報が次のプロセスに進みます。

このとき大切なことは、環境から得られたデータが直接FORにとって意味のある情報となるとは限らない、ということです。
データは、FORに蓄えられている他の情報と照合されたり、論理的な作業システムを通じたりして、その意味が検証され、この検証の結果、FORに意味がある情報だと評価されたものがFORに蓄積されます。

FORは経験が増えるにつれて補強されていきますし、恒常的に繰り返し収集されるデータについては、ルーティーンの処理方法が作られます。自動的に生成されることもありますね。

主体の「価値」とFORが整合していると、FORによる情報評価が価値実現によりよい働きをします。一方、実現したい価値と装備しているFORがちぐはぐになっていると、情報評価がうまくいきません。問題を発見し損なったり、あとで述べる「問題の定義」を間違えたりすることにつながります。

主体は、無色透明で環境に接し、情報を収集しているわけではありません。これまでに作りあげている「FOR」をフィルターにして情報を収集しますから、情報は入ってくる時点ですでに選択されているのだということを確認しておきましょう。


投稿時間:2004/02/02(Mon) 10:34
タイトル:
情報選択
バケツとサーチライト

カール・ポパー先生が唱えた認識についての考え方。

人間は、五官を通じて外界の情報を収集しますが、情報を収集する過程は、川からバケツで水を汲み上げるように何が入っていようがお構いなしに汲み上げるのではなく、FORを基準にして認識プロセスのきわめて早い段階で収集する情報を選択しています。多様・混沌とした外界に「興味・関心・問題意識」というサーチライトをあてながら情報を収集しているのだ、というのがポパー先生の理論です。

「心ここに在らざれば、視れども見えず・聴けども聞こえず」ということですね。

情報収集は問題意識〜FORを基準に行われます。「先入観を取り去って虚心坦懐に物事を見る」などといいますが、そういうことはよほどの「達人」でない限り不可能です。
物心ついてこのかたずうっと、我々は「先入観」を頼りに生きてきています。我々は「先入観」無しでは外界を今視ているように見ることは出来ません。我々がPCをPCと認識できるのは、過去の学習の結果、PCについての知識を持っているからですね。
この知識は「対象を見るときの先入観」です。

我々は先入観をもって物事を判断していること、先入観は誤っていることがあること、この二つを知っていると学びやすくなります。


参 考:
カール・ポパーの著作

『客観的知識』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4833200198/qid=1075
685382/sr=1-17/ref=sr_1_2_17/250-0306505-4815404


『開かれた社会とその敵』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624010523/qid=107568
5382/sr=1-13/ref=sr_1_2_13/250-0306505-4815404#product-details


ポパー先生の著作、「知識」を主要な武器とする仕事に携わっておいでの方には入手可能な限り全部おすすめです。
ご存じの方が多いでしょうが。
私が現在、曲がりなりにも現在の職業についているのは、先生に負うところがきわめて大きいのです。


投稿時間:2004/01/27(Tue) 12:51
タイトル:
2.問題(端緒)の発見と評価
FORをフィルターにしながら選別・収集された情報は、あらためてFORによってその意味を吟味されます。
フィルターの意味を良く理解しておくこと。
我々は環境から膨大な情報データを受け取っていますが、そのすべてについて同等の努力をはらって処理するわけではありません。
経験的に価値にとって影響することが無いと考えられる情報データはどんどん無視されます。これは当然ですね。情報過多の時代、入手される情報をいちいち吟味していたのでは時間がいくらあっても足りません。情報の取捨選択は、生物一般の生き方ですね。

FORには、情報から問題を発見する仕組みが備わっており、これによって情報を吟味、情報がその端緒を示している状況について、「問題」として取り組むべきか否か、判断することが必要です。
このことについては後ほどもう少し述べたいと思います。

さて、FORに引っかかった情報のうち、対応しなければならない、と評価された情報から問題が生まれてきます。

問題は、起きるのではなくて、環境から得たデータについての評価をもとにFORによって作り出されるのだ、というように考えます。



投稿時間:2004/02/02(Mon) 11:03
タイトル:
評 価
環境探索とは、FOR(自分にとって+&−を識別する価値〜知識体系)というサーチライトで外界を照射しながら、+拡充の機会、−縮減の機会を探索しています。

> さて、FORに引っかかった情報のうち、対応しなければならない、と評価された情報から問題が生まれてきます。

照射され浮かび上がってくるのは、「問題の端緒」、きれっぱしでしかない情報です。この情報を評価するという作業が必要です。

評価は、FORを基準として、
@放っておくとどうなるか?
A取り組むとどうなるか?
ということを考えて行われます。

評価の結果、取り組む価値がある、と判断されたものだけが「解決すべき問題」として取り扱われ、その他の情報はこの段階でオフリミットですね。

オフリミットされるのは、
@放っておいても大した影響がない(+にも−にも)
A解決の方法がない
Bもっと優先すべき問題がある
などなどの理由からです。

※このプロセスの作業が客観的に「正しい判断」であるかどうかということは、問いません。正しかろうと無かろうと、とりあえず、我々の行動はこのようにして決まっていく、ということです。

※後で述べる機会があると思いますが、FORの役割を考えれば考えるほど、その内容を確認し・日ごとその改善に努めなければならない、ということが痛感されます。

※中心市街地活性化の基本課題がつかめなかったのは、問題に対処する「FOR」が問題に適応できるレベルに至っていなかったからです。つまり、もの不足時代の先入観・FORでもの不足時代に対処
しようとしたことこそ、中心市街地活性化という問題解決に取り組むにあたっての最大の問題でした。



投稿時間:2004/01/27(Tue) 12:55
タイトル:
3.問題の定義
問題の切れっ端が情報として受容され、FORで吟味されて取り組むに値する、と評価されると次は、その問題を定義することが必要です。

当面しているこの問題をいかなる問題として取り組み・解決するのか?

実は問題解決で一番難しいのはここ、「問題を定義する」というプロセスです。
たとえば機械の故障ならば、その原因を突き止めること。
たとえば売り上げ減ならば、その原因を突き止めること。
というのが問題の入り口。
出口=本当の問題は
たとえば機械の故障ならば、その原因をなくすこと。

たとえば売り上げ減ならば、次の通り。

売り上げ減の発生は、「問題の端緒」の発見、「このまま推移すれば経営の維持存続に必要な経費原資が確保できなくなる」ということであり、対処すべき問題とは、「@売り上げ減をストップし、A経営存続に必要な経費原資を確保する B将来にわたって確保し続ける 方法を確立する」ということになります。

つまり、問題は、「なすべきことは何か」という形に加工してはじめて問題となる、というのがここで展開している「問題解決論」の立場です。
従って、前述したように、問題は発見されるのではなくて、あなたの頭の中で作りあげられなければならない。


投稿時間:2004/02/02(Mon) 11:25
タイトル:
問題を定義する
> つまり、問題は、「なすべきことは何か」という形に加工してはじめて問題となる、というのがここで展開している「問題解決論」の立場です。
> 従って、前述したように、問題は発見されるのではなくて、あなたの頭の中で作りあげられなければならない。


問題の定義:「変化させることによってプラスが増大するあるいはマイナスが減少すると信じられていることがら」
からもう一度考えてみましょう。

問題がうまれるのは、「現状よりももっとよい状態があり得る、うまく行動すれば実現できる」という期待からだということになります。

我々が持つ、より良く生きたいという意欲が我々自身を
@問題の端緒を発見し
A解決することを目指し
B問題に取り組ませる
訳ですが、大事なことは「直面しているのはどのような問題か」ということを決めること。

つまり、「実現したいのはどのような状態か」ということをハッキリさせることが「問題」を定義すること、です。

「中心市街地活性化」という問題は、「中心市街地(の商業)がどのような状態ななることか」という定義からスタートする、というクオールエイド方式は、この「問題解決法」の実践ですね。

「問題」とは、「実現すべき望ましい状態を実現すること」。
まずは、実現したい状態を具体的に描写しないと「解決策」は作れません。

「問題の定義」は、実現したい状態の定義。「現状ではなく・望ましい・あり方」を定義すると、それが実現すべき状態=問題が解決された状態であり、この状態の実現に向けて取り組むことが「問題解決」です。

※問題は「解決志向」で立てる、などと言われますが、これは上述のことを前提にすれば当たり前のことですね。
主体が解決しようという意欲を持っていない問題は問題とは呼べません。いえ、呼んでもいいのですが、それと実際に取り組もうとしている問題を混同していたのでは効果的な問題解決論にはなりません。

※FORが同じ、情報が同じなら常に同じ問題が生じるとは限りません。「問題の定義」は基本的にFORと情報によって枠取りされますが、定義には定義段階の問題がありまして、つまり、上手に定義するかしないかで、行く手が大きく分かれます。このあたりはまたのちほど。


投稿時間:2004/01/31(Sat) 17:30
タイトル:
4.解決策の案出と評価
定義した問題を「解決」する方策を考え出し、これを実行することが問題の解決になるか否か、判断する。

解決策とは、現在の状態から「問題」すなわち問題が解決した状態にたどり着くシナリオのことです。
限られた資源を上手に使って問題を解決する、解決策にはいくつかの条件があります。


投稿時間:2004/02/04(Wed) 12:27
タイトル:
解決策の基準
1.目的合理性

2.経済性
  経済性というのは奥が深い。経済<経済性ですね。
  経済学?  んなものは知りません(W


投稿時間:2004/02/05(Thu) 10:07
タイトル:
目的合理性&経済性
目的合理性:
 この解決策を実施すれば、間違いなく問題が解決された状態に到達できる、という筋道が確立されていること。
確定されている「問題が解決された状態」に利用できる手段の組み合わせで到達できることが論理的に明らかにされていることが必要です。もちろん、このことは問題解決を保証するものではありません。
問題解決過程には、解決策立案の段階では予期できなかった・解決を阻む要因が出てこないとも限りませんからね。
目的合理性を確認することは、この時点で誤った方向に向かって歩み出さないためです。

経 済 性:
 目的を達成するために要する時間・資源が、他の解と比較して最短・最少であること。もちろんこれは「目的合理性」が前提になります。いくら最短・最少路線でも目的達成の合理的な可能性が不足しているのでは意味がありません。
経済性は、最少のインプットで最大のアウトプットを導くこと、と言われますが、別に最大である必要は無いでしょう。
要は問題が解決されればよいわけで、解決された状態がインプットに対して最大のアウトプットであるか否かは、直接関係ありません。


投稿時間:2004/03/17(Wed) 09:34
タイトル:
利潤理論
> 経 済 性:
> 経済性は、最少のインプットで最大のアウトプットを導くこと、と言われますが、別に最大である必要は無いでしょう。
> 要は問題が解決されればよいわけで、解決された状態がインプットに対して最大のアウトプットであるか否かは、直接関係ありません。

新しい経済学の流れでは、経営目的=「最大利潤」という従来の余り中味のない定義から、目的=「プラスの利益」というように変化しているようです。
考えてみれば当たり前でありまして、「最大」というのは正・負とは関係なく成立しますからね。
利益はプラスでなければ面白くないわけです。
で、プラス分をどう配分するかは関係者間の調整による、というのが「ビヘイビオラル・エコノミクス(行動主義経済学)」と呼ばれる新しいスクールです。78年にノーベル賞を受賞したサイモンが中心。
意志決定論で有名ですね。

利潤分配はたしかに調整されるわけですが、その基準は「企業理念」に基づく、というのがtakeo流(W


投稿時間:2004/02/05(Thu) 10:14
タイトル:
手段合理性
というのも入れておきましょう。

手持ち及びプロセス中に調達可能な手段をもって解決に到達できること。

特に大事なことは、解決プロセスで解決に必要な能力を修得・装備する、ということ。これは問題解決理論ではあまり指摘されていないと思いますが、きわめて大切なことです。
プロの問題解決者(たとえばビジネスマン)は、なかなか問題解決能力をアップするための独立した機会を確保することが出来ません。
通常、彼は問題解決過程の中で行程を進めるために必要な能力を調達し続けなければならない。

問題解決過程は、スタート時点では準備できなかった能力を装備するプロセスでもあることが多く、解決策の案出にあたっては、能力アップが可能な計画を立案することが必要です。


投稿時間:2004/01/31(Sat) 17:34
タイトル:
5.問題解決の行動
確定した「問題解決」のための行動は、適時適切・正しい順序で行われることが必要です。
いくら正しい問題解決策を作っても、肝心の実行段階がうまくいかないとせっかくの計画も台無しです。

もちろん、解決策を作る時には「調達可能な資源をもって取り組めること」という原則があり、力量に合わないような解決策では解決策とは呼べません。


投稿時間:2004/02/05(Thu) 14:22
タイトル:
解決行動
「解決策」を実体化する、「言葉」を実現するのが解決のための行動です。

ここでも「問題」が発見されることが必要です。
必要な行動の意味が了解されており、行動の結果が期待されている「解決」への道から逸脱するような兆候が見えたとき、その兆候を発見・評価すること。

役割を分担するということは、仕事をするだけではなくその過程で起こるかも知れない不測の事態についてアンテナを張り・事態の兆候をいち早く察知し・判断し、必要な手段を講じる、ということを当然含みます。したがって、分担する仕事の意味、全体における意味と個人の目的・価値に関連する意味をしっかり把握しておくことが大切です。もちろんそのためにはそれなりの知識と「考える」能力が必要ですね。

常に必要なことは、筋道を踏まえながら考えるということであり、そうする能力を鍛錬すること。組織はその成員にこのような機会を与えることが必要であり、機会は仕事を通じて、OJTとして組み立てられるのが望ましい。何といっても限られた時間ですからね。

チェーンストア理論においては、現場は判断抜き・本部の指示通りに作業をすればよい、ということだそうですが、こんな馬鹿げたマニュアルのためにどれだけ機会を損失したか知れません。
企業はもちろんですが、現場で働いている個人も。
だって、アンテナを張り・兆候をつかみ・結果を予測し・判断する、という作業は、個人にとって当たり前の仕事であると同時に成長の機会でもあります。

問題解決=よりよい状況を目指して能力を発揮する、自律的に問題解決に赴くのは人間の本性だと思いますが、これを企業内で活用するにはとてもじゃないが、いろいろと手練手管が必要ですが、ここでは割愛します。


投稿時間:2004/01/31(Sat) 17:37
タイトル:
6.結果の評価
問題解決過程のラストは、一連の取り組みの結果、当初の課題だった+の拡充もしくは−の縮減は実現したか?

すなわち、問題解決は成功したのか・失敗したのか?

さらに、成否の判定とは独立して、問題解決過程全体の評価も行われる。


投稿時間:2004/02/08(Sun) 14:03
タイトル:
評価の基準
いうまでもなく、評価はFORを基準に行われます。

さて、以上見てきましたように、私たちの問題解決行動=+を拡充し−を縮減する行動は、始めから終わりまで、いえ、何が+であり−であるかという決定まですべて、「FOR(準拠基準)」という自分自身の内部に装備されている知識・理論によって行われています。
つまり、私たちがうまく問題を解決出来るも出来ないもFORの性能次第というわけです。

「能力開発」はいろいろな意味で使われる言葉ですが、「問題解決能力の開発」と考えると、「FOR」の整備こそもっとも大切な仕事だということになります。
つまり、FORを構成する自分にとっての価値、価値の実現や防衛に関する知識や理論をしっかり点検し、不具合な部分があれば整備するなど、FORを不断に改良することが「よりよく生きる」ために欠かすことの出来ない重要な仕事だということです。

問題が解決できない場合には、FORの一部である当の問題領域についてのFORを形成している知識・理論を転換することが必要なことがあります。
我々の「知識の成長」は、多くの場合、問題を解決できない知識・理論の廃棄と新しい理論の発見・修得によって行われるのです。

ちなみに、私がこのサイトで展開している「中心市街地活性化の論理と戦略」は、(主観的には)中心市街地の活性化に取り組む皆さんに新しい取り組みのためのFOR(の一部)を提供しようとするものですね。

というところで、ひとまずおしまいです。
要望があれば続けます。如何なものでしょうか。


投稿時間:2004/02/11(Wed) 08:52
タイトル:
※「問題解決学」のススメ
> ちなみに、『失敗学のすすめ』、本気で取り組もうとするならば、このように「問題解決過程」を編成し、それぞれのプロセスごとに「失敗」のあり方、原因、失敗を防ぐ・カバーする方法などを論じなければ「失敗学」などと呼称することはできません。
> 「失敗学」の前に「問題解決学」ありき。
> 畑村さんの『失敗学のすすめ』に対する論評が失敗したのは、彼の「失敗学」が上位理論としての「問題解決学」レベルの論究が行われていなかった、ということに起因しています。

失敗というか、挫折というか、嫌気がさしたというか(W
先生は「問題解決過程」には各プロセスにおいて失敗する可能性があり、かつ、各プロセスの失敗はそれぞれ他のプロセスの失敗とは異なる特性を持っていること、従って「失敗学」には「問題解決過程の分析」が必要なのに、これを度外視して「一般失敗学」を論じようとなさっている。
論評よりも一から自分で組み立てた方が早いわ〜と思いましてうち切りました次第です。

> ついでに。
> 上記の問題解決プロセスを踏まえて「失敗」を考えると、失敗には、

> 1.問題を認識できなかった失敗(まちがって認識した場合を含む)
> 2.問題の定義の失敗
> 3.問題の評価の失敗
> 4.解決策の失敗
> 5.実行段階の失敗
> 6.事後評価の失敗
>
> などがあり得ます。
> もちろん、失敗の性質が異なれば対応や防止の方法も全く異なりますからね。『一般失敗学』について論じるなら、失敗についてのこの程度の区分は当然です。

ということで、『失敗学のすすめ』の前に「問題解決学のススメ」が書かれるべきですね。

畑村先生、最近『創造学のすすめ』(?)を上梓されたようですが、この領域も「問題解決学」があってはじめて体系的に論じられるのではないかと思います。
問題解決の各プロセスに「創造」が絡みます。





Copyright (C) 2004 (有)クオールエイド  All Rights Reserved