投稿時間:2004/01/23(Fri) 08:21
タイトル:問題解決論
問題解決ということを考えてみたいと思います。
まず、問題とは何か?
取り合えず、「問題とは変化させることによってプラスが増大するあるいはマイナスが減少すると信じられていることがら」ということにしておきましょう。
投稿時間:2004/01/24(Sat) 06:20
タイトル:問題状況
問題が起きている状況を「問題状況」と呼ぶことにします。
問題状況を構成するのは、主体・問題・環境 の3つの要素です。
主体:問題を問題として認識し・解決しようとする個人・グループ
問題:変化させることによってプラスが増大するあるいはマイナスが減少すると信じられていることがら
環境:主体と問題を取り巻く内外の環境
それぞれの要素をもう少し詳しく説明します。
投稿時間:2004/01/24(Sat) 06:27
タイトル:主 体
問題に直面している個人またはグループ。
「問題解決」ということから主体を見れば、重要なのは、主体が持っている「判断基準」と「問題解決能力」です。
判断基準:問題を問題として認識する基準 快−楽といった生物レベルの「原則」から、生命を賭すことをいとわない価値まで複雑多様な基準を持っているのが主体の特徴。
問題解決能力:もちろん、「問題を解決するために必要な能力」。
問題解決にはどういう能力が必要か?
投稿時間:2004/01/26(Mon) 10:40
タイトル:判断基準
> 判断基準:問題を問題として認識する基準 快−楽といった生物レベルの「原則」から、生命を賭すことをいとわない価値まで複雑多様な基準を持っているのが主体の特徴。
このような基本的な基準を「価値」と呼ぶことにしましょう。そうしますと、「問題」とは(先に定義したところから)価値を増加するチャンスおよび価値を減少するピンチだということになります。(正確には、チャンスあるいはピンチと主体に判断されることがら、この点は後ほどあらためて論じます)。
主体(個人やグループなど)は、自分の価値についてなにがチャンスであり、なにがピンチなのかということをあらかじめ知っています。
我々は、これまでの学習経験から自分の価値を構成する下位の価値群や価値を具体化できる状況・条件などについての知識を持っています。これらの知識は、価値を頂点にピラミッド型に構成されているはずです。
この知識の体系をとりあえず、「FOR(Flame
of Refarence)」と呼ぶことにします。
FORは主体が内蔵している、外界からの情報を判断し、対応行動を決定し、結果を評価する機能(構造)です。
とりあえず、私たちはその知識の範囲内でしか問題を問題として認識することが出来ません。
投稿時間:2004/02/11(Wed) 09:06
タイトル:おそるべし・FOR
> FORは主体が内蔵している、外界からの情報を判断し、対応行動を決定し、結果を評価する機能(構造)です。
> とりあえず、私たちはその知識の範囲内でしか問題を問題として認識することが出来ません。
つまり、私たちがおそらく誰一人否定しないであろう、「よりよく生きる」ということは、すべて「FOR」に基づいてその一部始終−−問題設定〜計画〜実行〜評価−−が実行されています。
私たちは、これまでの多様な経験とその結果を取捨して「FOR」を作りあげています。自然発生的なFORは過去の経験に即して作られており、我々はいわば、今日以降の問題に昨日までの経験で対応しようとしている訳です。
我々の行動、その失敗と成功がFOR次第だということをしっかり確認してください。
環境が大きく変化する時代には、FOR内部の構造、価値〜価値を拡充する機会と縮減する脅威の兆候、対処の方法などがあらためて整合性を点検することが必要です。
そのために、まず、「FOR」の機能・構造・改善について理解を深めたいと思います。
投稿時間:2004/01/24(Sat) 07:08
タイトル:問 題
> 問題:変化させることによってプラスが増大するあるいはマイナスが減少すると信じられていることがら
問題には、働きかけることで+を増やすことが出来ると判断される=チャンスと、放っておくと−が増えてしまうと判断される=ピンチというふたつのベクトルがあります。
さて、「チャンスまたはリスクと判断される」という定義は、非常に主観的ですね。この定義によれば、主体、「問題」と感じない問題は問題ではない、問題は起きていない、ということになります。
変ですね。
変ですが、もう少しこのまま続けてみましょう。
問題をこのように定義すると、問題解決とは、主体にとってよりよい状況を作り出すこと、ですね。(+をプラスする、−をマイナスする)
さて、問題が問題と認識されるには、
1.起こっている「こと」が認識されている。
2.起こっている「こと」が、主体の「判断基準」に照らしたとき、+が増大するまたは−が増大する、あるいは事態が進むに連れてそういう結果がもたらされるだろう、ということが予想される。
3.行動することで事態を変化させられる、と判断される。
などのプロセスが考えられます。
これらのプロセスを効果・効率的に行うことが「よりよい状況を作り出す」ためには必要であり、そのためには、様々な能力が必要になります。
問題は「これが問題だ」とその全体が認識されるとは限りません。
多くの場合、問題はその端緒が認識され、そこから推理されて「問題」である可能性を判断される、ということが多い。
たとえば、クレームの続発・・・収益の低下・・・存続の危機 というように。
このように考えると問題の認識は、主体の行動基準ばかりではなく、状況を判断する能力にも大きく依存していることが分かります。
判断能力が異なれば、同じ事態も異なった問題として認識されることがある。
ここで言う判断能力とは、「知識」とそれを「利用する能力」です。
この二つが備わっていてはじめて直面している事態を「問題」としてあるいは「非・問題」として認識することが出来る。
問題の端緒、きっかけ・端っこを認知してそこから結果・全体を認識するには、対象となっている事柄についての知識とその知識を活用する能力が必要です。
先述のクレーム問題についていえば、クレーム発生・・・製品の市場性に問題がある・・・販売不能・・・資金繰り悪化 という成り行きを予測できてはじめて事態が問題として認識されます。この認識をもたらしているのは、「営利活動」、「営利企業」についての知識ですね。
問題を問題として判断するには知識が必要であり、知識を眼前の状況に応用して結果を予測判断する、という能力が必要です。
投稿時間:2004/01/26(Mon) 11:02
タイトル:問題は何故起こるか?
主体が存在し・「より良く存在したい」という意欲を持つが故に問題が発生する。
定義から、問題とは価値を増大する/減少を防止することですから、問題に先立って「価値」が存在し、かつ、主体がその価値の拡充を目指し・縮減を防ぐ、という意欲を持っていなければならない。
このような意欲がない限り、どのような環境変化が起ころうともそれが解決すべき問題として認識され、解決するための行動が組織されるということはありませんね。
問題は、主体の判断によって問題として認められない限り、問題にはなり得ないし、起きている問題がどのような問題なのか、ということも主体の評価にかかっています。
問題は、現場で起こるわけでも会議室で起こるものでもない、問題は主体の「FOR」内で起きる、ということです。
前述のように、このような価値及びその実現意欲は始源的には生物一般に共通する快楽原則ですが、人間の場合、たとえばマズローの「欲求5段階」のように、より複雑・多様になっていることは容易に想像できる、というか、誰であれ自分自身を振り返ってみれば一目瞭然ですね。
問題は何故起こるか?
「主体が価値実現を目指している」からです。
投稿時間:2004/02/11(Wed) 09:10
タイトル:問題解決意欲
> 問題は何故起こるか?
> 「主体が価値実現を目指している」からです。
問題を解決しようとする意欲は、問題解決にとってきわめて重要な役割を果たします。意欲無くして問題解決無し。
したがって、
意欲はどのようにして発生し・持続され・高揚されるか?
意欲はどのようにコントロールできるか?
という問題がありまして、これは「その気にさせる」=マーケティングにも重大な関わりがある。
セルフマーケティング=モチベーションですね。
投稿時間:2004/01/24(Sat) 07:18
タイトル:環 境
問題は、主体が事態を把握し・判断して問題となるわけですが、問題は常に環境の中で起こります。
主体は環境の中に存在し、活動しています。主体にとって環境とは自分以外のすべてを指しています。環境は多様ですが、主体から見れば+、−、中立というように区分することが出来ます。
問題の多くは、環境の一部の変化です。
投稿時間:2004/01/26(Mon) 15:27
タイトル:環境の変化
> 問題の多くは、環境の一部の変化です。
環境の変化が「問題」となるのは、それを「問題」と評価する主体が存在するからです。
環境の変化は、その変化を評価できる「FOR」を持つ主体が存在し、彼に認識され・問題として評価されない限り、どのような変化であろうとも「解決すべき問題」ではありません。
したがって、有る環境の変化がFORが異なる主体から見れば、チャンスであったり、ピンチと認識されたり、そのどちらでもない、と判断されることは当然です。
恐ろしいことに、主体の価値を基準にして客観的に判断すればチャンスあるいはピンチ、すなわち問題として認知・対応されるべき環境の変化も主体の「FOR」がその変化を適切に把握し・適切に判断出来るレベルで整備されていないと、問題が認知されなかったり、全く違った認識に陥る可能性があります。
「FOR」の重要性、分かっていただいたでしょうか?
当サイトの中心課題である「中心市街地活性化」という問題、多くの都市が解決(活性化の実現)に失敗しているのは、状況判断〜計画(解決策)作成を導いた「FOR」に欠陥があり、環境の変化を適切に認知することが出来ていなかった、ということに起因している、ということになりますね。
投稿時間:2004/02/11(Wed) 09:24
タイトル:FORの改善
> 恐ろしいことに、主体の価値を基準にして客観的に判断すればチャンスあるいはピンチ、すなわち問題として認知・対応されるべき環境の変化も主体の「FOR」がその変化を適切に把握し・適切に判断出来るレベルで整備されていないと、問題が認知されなかったり、全く違った認識に陥る可能性があります。
また、少し立ってから振り返ってみれば、全く新しい環境の変化が始まっていたにも関わらず、FORがその変化を従来の環境の一時的な
揺動と認識したために、変化への対応が適切に行われず(問題定義を誤り)、結果的に解決に失敗する=よりよい状況を作り出せなかったということが、特に時代の転換期には多く起こります。
卑近な例が「中心市街地活性化」の失敗ですね。
> 「FOR」の重要性、分かっていただいたでしょうか?
> 当サイトの中心課題である「中心市街地活性化」という問題、多くの都市が解決(活性化の実現)に失敗しているのは、状況判断〜計画(解決策)作成を導いた「FOR」に欠陥があり、環境の変化を適切に認知することが出来ていなかった、ということに起因している、ということになりますね。
「FOR」は、経験(人類の)を基礎に作られており、人下の認識には常に限界がありますから、したがって、FOR論議にパーフェクトというコトバはありません。
我々の「FOR(の一部)」は間違っているかも知れない、もっと優れた「FOR(の一部)」があるかもしれない、という認識をもつこと、その改善、改善の方法について知ることも大変重要です。
経験したことのない性格の問題には仮説を作って対応する、という「方法の知識」なども「FOR」の一部です。
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