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K066■「商品」について

投稿時間:2003/09/14(Sun) 00:07
タイトル:
「商品」について
商品とは何か?
もちろん、お店に陳列されている「商品」のことですよね。
それでは売れなかった商品は何でしょうか?
商品はいつ商品でなくなるのか?
それよりももっと以前、いったい商品はいつ商品になるのか?

考えてみたことがありますか?

投稿時間:2003/09/14(Sun) 09:22
タイトル:
商品とは
> 商品とは何か?

たとえばマルクスは、「その属性によって人間の何らかの種類の欲望を満たすところの、一つの外的対象すなわち物である」と書きました。すなわち、物が商品であるためには、「人間の欲望を満たす」属性を持っていることが必要である、ということで、ある物が商品であるかどうかはそのものの属性によって決まる、ということですね。効用=物の属性がもたらす欲望を充足するうえでの効果と考えれば、この商品の定義はたいていの人に納得されるところでしょう。

しかし、果たして商品とは本当にそういうものなのでしょうか?

商品とは人間の欲望を充足させる属性を持った物である、という理解・定義は正しいでしょうか?

投稿時間:2003/09/15(Mon) 19:31
タイトル:
商品はこう考える
結論から言えば。

「属性を持つ物」で市場に(つまり店頭に)出されたもののうち売買された物だけ、それも、「これください」「毎度ありがとうございます」と言う時点だけが「商品」なのです。(詳しくは「吶喊」で展開します)

「商品」は別の視点からいえば、営利を目的に販売に供するもの、です。「営利」とは売買差益を得ること、ですね。

商品は、お客がその「もの」を購入すると決めた時点で「商品」になります。
在庫のうち首尾よく売れた物だけが商品となり、最終的に売れなかった物は廃棄されることになります。廃棄されるものは営利目的の商品としての全プロセス全うできない、つまりは商品になれなかった、ということになります。

在庫は商品になったり廃棄物になったりする訳ですが、これは結局誰が決めることですか?
もちろん、お客ですね。お客が「これ買おう」と思わない物はどんなに優れた属性を持とうが、どんなにプラスアルファをくっつけようが、価格を操作しようが売れません。商品にならないわけです。

それではお客はどういう基準で商品を買うのか?
お客が物を買うのはそのものが自分にとって「買うだけの意味がある」と判断したからです。判断の基準は、客相、問題状況、求めている商品特性等々、多様に考えられますが、決定するのは「この商品は自分にとって意味があるか」というお客の判断であり、お客の判断はお客の頭のなかで行われます。これが決定的に重要なことであり、これまでの経済学や経営学がしっかり見てこなかったことです。

商品とは製品の「刹那的な存在」だということは、川上との取引においても同様です。
みなさんが問屋・メーカーから商品(新しい考え方では製品)を仕入れるにあたっては、「これはうちの店で売れる」という判断を下してからのことですね。「売れる=お客を満足させる=経営に意義がある」というわけです。この判断に基づいて受注を行うわけですが、取引の一瞬、メーカーの「製品」、問屋の「在庫」が商品に変わります。この一瞬が終わると「製品・在庫」はあなたの「在庫」に変わるわけです。

商品を商品たらしめたのはメーカーの企画や価格その他製品の属性ではありません。それらを参考にしながら最終判断の根拠は「うちのお客にとって意味があるか=商品として買ってもらえるか」「自店の店づくりにとって意味があるか」と言うあなた自身の判断です。
問屋・メーカーで売れなかった製品・在庫はもちろん商品になることなく市場から撤収されます。

小売業にとって「店づくり」とは、商品となるであろう在庫を集荷・提案して、お客が「自分にとって意義がある」と判断し、購入するプロセスをきちんと作りあげることです。

まずはお店で売買されているのはものではなくて「意味」である、としっかり理解してください。
これだけでマーケティング&マネジメント、教育のあり方ががらりと変わるはずです。商品とはお客が購買意志を決定した瞬間だけ存在する、このことを理解した販売スタッフの行動は必ず変化すると思います。

商人塾を受講されたことのあるみなさんは、あらためて「品質を売るな、意味を提案せよ」ということの意味がいっそうよく理解されたことと思います。


余談ですが・・・

この「商品」の把握は画期的ですからね。

商品をこういうように理解すると、経済学−経営学−店づくりを同一の文脈で考えることが出来るようになります。これまでは経済学も経営学も商売には直接関係がない、ということが当たり前のように通用して来ました。そんな馬鹿なことがあるはずがありません。
「商品」についての考えかたを根本的に間違えていたことが役に立たない学問を生み出していたのです。

「経済学と経営学、こう考えれば役に立つ」、この続きも「吶喊」で
投稿時間:2003/09/17(Wed) 09:41
タイトル:
意味は商品の属性ではない
ここまでおつきあいいただいたみなさんにはもうお分かりのことと思いますが、お客が購買意志を決定する=商品を選択するのはその商品に「自分の生活に付け加える意味」を感じたからですが、この「意味」は「品質」のようにあらかじめ商品自体が属性として持っているわけではありません。「商品の意味」とは「その商品を生活に加える意味」のことですから、商品の意味に先立って生活が存在します。

もともと来店動機とは自分の生活に不足している物を充足する、あるいはさらに充実するために必要な物を探し出し入手することです。
つまり、生活に「不満」しているからこそお客はお店に出掛けます。
「不満」はものに対してではなく、生活の現状に対して感じられますから、買いたい商品とは「不満を解消する意味を持つ」商品に限られます。どういう商品が選択されるかはお客の生活に対する不満によって決まります。

もちろん、「不満」はお客が生活に期待している「意味」によって変化します。生活を作りあげるために必要な材料にどのような意味を与えているか、ということで商品を選択するわけですから、「商品属性」に先行して「生活の意味」があるというわけです。

こうして考えてみると、「品質がいい」というアプローチの至らなさがよく分かります。

このような商品の性格は、もの不足時代には表面に現れることがありませんでしたから、もの不足時代の商品に求められた「意味」、品質・価格・デザインなどが客観的な購買基準であるかのように理解されてきたわけです。
投稿時間:2003/09/21(Sun) 12:55
タイトル:
AIDCA
もはやこけの生えたような「購買行動の5段階」ですが、考えをまとめる時のアプローチには便利です。


1.A:aetntion=注意を向ける
2.I:intresting=興味を持つ
3.D:desire=欲しくなる
4.C:convict=確信する
5.A:action=買う

購買するのは「もの」やその「効用」ではなく、意味だということを前提に考えてみましょう。

1.atentionの前に自分が入手したい「意味」が意識されている。
2.意味表現のアイテムの入手先としての店舗を選択する。
3.お客が店内を回遊するのは意味を実現出来るアイテムを求めて。
4.つまり、atentionの前に指向性の強いantennaが装備されている。
5.ショッピングはAの時点ではじまるのではない。
6.AからIへの移行は、「吟味の必要がある=アイテムとなる可能性が高い」という評価の結果だ。
7.Dは、自分の生活で実現するためのアイテムとして取り入れる意味がある、という評価。
8.Cは念のため、他のアイテムをチェックするなどもっとも「意味」を表現できるアイテムであることの確認。
9.A=購買、つまり商品としての売買。
10.生活における商品の吟味、入手したアイテムは意味表現の手段として適切であったか?ということの吟味。

このように考えてみると、誰も「品質」などで商品を選んでいるのではない、ということが分かります。
何を買うかは、その商品が使われる生活局面への「収まり具合」で決まる。つまりその生活局面をどのように演出したいのか、どのような手持ちのアイテムと組み合わせて使うのか、という購買基準が先行しています。

ということで、お店は商品を売り、お客は意味を買っている、ということを前提に考えると、シーラカンス的5段階論が新しい技術開発の手がかりになる訳です。
「転換」はこれまでの技術に新しい意味を付与する、ということであったりするわけで、そうすると視点を変えるだけで既存の技術がまったく新しい役割を果たすことになります。

案ずるより産むが易し、転換に取り組む、とマジで決断すれば案外簡単に出来る「店づくり技術の転換」もありますね。



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