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K022■輪講・[失敗学のすすめ]−2

投稿時間:2002/08/13(Tue) 19:59
投稿者名:影絵
タイトル:
☆ 第二章 失敗の種類と特徴
第2章

誰にも身近な交通事故を例に考えて見ます。 


折悪しく東名阪で6名死亡と言う 居眠り運転によると見られる事故が発生しました。
 詳細が判明するのは此れからですが 既に会社側は「労務管理には問題は無く運転
者の自己管理の問題だ」とのコメントを出しました。 本当なのでしょうか 報道を
見る限り会社がわの責任は少なく無い様に思えます。 この事故に当て嵌めて見まし
ょう。 以下 仮定の話です。

事故其の物の直接的な責任は 無論運転者本人に帰せられるべきです。 如何な環境
に有ろうと 運転者は安全運転の義務を免れません。 居眠りは突然に襲うものでは
無く其の前に繰り返し眠気が襲っている筈です。 この段階で危険は感知出来ます。 
運転中なのですから其の時点で停車し10分でも仮眠すべきであった。 其れを押し
て運転を続けたと言う事は 同じ様な事を日常的に 繰り返していた可能性が高いと
言えるでしょう。 「この程度ならまだ大丈夫だ」 と過去の経験から判断したので
しょう。 (最後には気を失う様に眠り込みます 私自身もこの様な経験が有ります 
モニターの前で ですが。) 

であれば運行管理者がこの実態を知っていたか? 知っていなければ職務怠慢ですし
知っていれば管理放棄です。 強制していれば違法行為ですし 何れにしても組織の
機能不全と云う事に成ります 即ち経営不良ですから 企業の責任は重大で会社側の
コメントは「責任逃れ」で有罪に成ります。 

又 この様な運送業の実態は 私達の日常よく漏れ聞く話です。 「運賃を叩かれて
形振り構って居れない。」 こんな話を皆さんもよく聞かれるのでは無いでしょうか
この点から見ますと 行政の責任も有りそうですね 更に 社会的なシステム不適合
すらも予想させられます。 こう見て来ますと市場競争に伴う 社会的なコストなの
かも知れない事故と云えるでしょう。

決して事故の責任を社会の所為にして うやむやにし様と言うのでは有りません。
夫々の段階で事態に対し適切な行動さえ取っていれば 悠に避け得る事故なのです。
個人>管理者>企業>行政>社会 の何処かの段階で 「少しの勇気」さえ在れば。

この事故は未知の事例では有りません 充分に予測される物です。 常識的に予測が
出来る事故です。 にも関わらず繰り返される事故でも有ります。 
心してハンドルを握りたいものです。    >合掌<

投稿時間:2002/08/14(Wed) 10:21
投稿者名:takeo
タイトル:
☆ 失敗の階層性
影絵さんに第2章を総括する失敗事例を出していただきましたので、この事例を参考にこの章のテーマである「失敗の種類と特徴」を考えてみましょう。

1.失敗には階層性がある
 失敗の原因は、多くの要因から成り立っており、それらの要因には階層性がある、と著者は主張しています 56ページに示された図の通りです。
 この図と影絵さんが提出された事例重ねてみますと、いろいろなことが考えさせられます。

 図では、失敗の原因が「社会性」要因と「個人性」要因に分けられています。「社会性」要因のほうは、失敗が起こる可能性を準備するものであり、これらの要因が「個人性」要因を引き起こす原因になります。

 影絵さんの事例で考えてみましょう。
@この事故は、運転者の居眠り運転が直接の原因で発生した。(個人性要因)
A運転者は、居眠り運転の常習をしていた(とすれば)
Bこのような状態(居眠り運転常習)を会社側は知っていたか、知っていて放置していたのではないか(社会性要因)
C放置を許す経営のありかた(同上)
と言うように、原因には階層性があるということです。

 失敗に学ぶためには、このような階層性という特徴を理解して、失敗の原因を構造的につかんで、それぞれの階層ごとに対策を考えることが必要です。ちなみに影絵さんは、悲惨な交通事故事例の失敗要因について階層的に分析された後に次のようにコメントされています。

>決して事故の責任を社会の所為にして うやむやにし様と言うのでは有りません。
>夫々の段階で事態に対し適切な行動さえ取っていれば 悠に避け得る事故なのです。
>個人>管理者>企業>行政>社会 の何処かの段階で 「少しの勇気」さえ在れば。

 「社会的」要因のなかには、組織風土と呼ばれるような組織内の不文律も含まれます。組織のなかでは「当然」、「価値」、「善」とされることが、組織を離れて「社会」あるいは一人の個人として考えてみるとどうもおかしい、ということがあったり行われたりしていることがあります。こんな時に異議を唱えることは、組織の不文律への挑戦であり、組織そのもに対する挑戦と受け取られがちです。
 誰も組織そのものを否定しようとは考えていませんから、いったんは「おかしい」と思ってもかかわらず、それをハッキリ指摘することはなかなかできません。

 そのまま続けていたら失敗につながった、というような例がこのところ企業のなかで相次いで起こっています。それも社会的に良く知られた会社で、まさかと思うようなことが組織ぐるみで行われている。その結果、企業の存続を揺るがすような事態にまでなってしまった企業も一つや二つではありません。
 違法事態が起こった、組織を守るためにはと考えてその事態を隠してしまうと隠したこと自体が原因となってさらに大きな失敗が起きています。「個人性」の失敗が、より大きな組織としての失敗の引き金になっている、組織のありかたそのものが失敗を内包していた、それが個人の失敗で明るみに出た、と言うことかも知れません。

 このように考えてみますと、現実に起きている失敗は、「階層性が不具合だった結果として生じたこと、階層性のありかたそのものが失敗」であることを証明しているのかも知れません。
 早速、「階層性」が総点検され、個人性失敗の要因となる部分を改善すれば、類似の個人性失敗を防ぐことが可能になります。これは「失敗」の大きな効用ですね。

 影絵さんは、「階層」のいろんな段階で関係者の誰かが「ほんの少しの勇気」があればと書かれていますが、本当に実感されることですね。どんな組織でも「立ち立場、立場にある人が臆病風に吹かれると出来ることも出来なくなる」と云う事態はあり得ることです。「階層性」要因といっても必ず個人の意志や行為が働いて出来上がっており、維持されいます。(失敗の定義=「人間が関わっている・望ましくない結果」)改善の責任、機会はあったはずです。どうしてそれが放置され、維持されていたかのか、ここまで考えると問題はますます難しくなってきますが、組織の失敗・成功に及ぼす個々人の「態度」は大切な要素です
 失敗について学ぶことは、一面では「態度」について学ぶことだと思います。

>この事故は未知の事例では有りません 充分に予測される物です。 常識的に予測が出来る事故です。 にも関わらず繰り返される事故でも有ります。 

 「どうしてそんなことが」、と思われるような失敗の背景には、「必要悪」とされる思考習慣があることが少なくありません。「俺だけが頑張ったって・・・」とか、
「利益を挙げてこそ企業だ・ビジネスマンだ」とか。

 このところ、高度成長期ころまでには考えられなかったような企業の失敗が報道されることが多くなりました。業界、規模を問わずに起きている不祥事は、「階層性」要因のずうっと上の方、社会全体のモラルというレベルで失敗が始まっているのかも知れません。
 もしそうだとすると、これは一朝一夕で何とかなるものではありません。また、誰もが「組織」という階層とさらに上の階層との摩擦が直接起きる現場に居合わせる可能性が高くなっている、と言うことを意味します。そういう場面に直面した個人がどのように行動するか、ということが次の階層の失敗の有無を左右します。
 この行動は、表面的には組織の行動を批判・非難するものですから相当難しい選択です。「ちょっとした勇気」とはいうものの、個人の勇気の有無に還元することは出来ません。組織自体が日ごろから、「階層」的な存在、社会のなかで社会に適応してしか存続できない、ということをどれだけ理解しているか、と言うことにかかっています。

 失敗の「階層性」について著者は、「個人性」と「社会性」というように区分していますが、これは、「直接の失敗(要因)」と「失敗を可能にした背景(要因)」と考えればさらに分かりやすいと思います。一つの失敗を教訓にその背景を調査し改善して「失敗の可能性を減らす」ことは、失敗の大きな効用です。望ましいのは、「小さな失敗」を分析することで「大きな失敗の可能性」を発見、改善することですね。言うまでもなく。

 影絵さんに書いていただいた事例を参考に一般化してみました。抽象的になると分かったようで、具体的な事例に適用するのは難しかったりします。
 失敗の現場で起きている事柄を一つ一つを具体的に調べて、要因を発見するという作業を行うことは、これまで抽象的な知識だったことを具体的な現場での作業を通して「態度」に変えていくことを意味します。

 次の失敗を防止する教訓を得る、対策を講じる、と言うことの大切さを考えると、逆説的ですが、「小さな失敗」は大切なことです。「小さな失敗」は上手く対処すれば大きな失敗を防ぐチャンスになりますね。

 そのためには、「小さな失敗」というチャンスのもとを隠さない、という個人の態度、組織風土が必要です。

投稿時間:2002/08/17(Sat) 08:53
投稿者名:takeo
タイトル:
人の振りみてわが振り直せ
 このところ相次いで起きている大手企業の失敗、現場の失敗〜失敗に対処する上位階層の失敗〜企業の存続のそのもが危うくなる、という絵に描いたような成り行きは何を意味しているのか、考えてみたいと思います。

 Aという企業の業務自体に関する不祥事が明らかになります。マスコミが殺到して直接の責任者やトップの責任の有無を糾明しようとします。A社は企業全体に責任が及び、業績に影響が出ることなどを恐れて、調査もそこそこに(あるいは調査の結果にも関わらず)現場あるいは直近の管理者という「下位階層」が一存でやったこと、企業そのものの責任は無い、と言うことで切り抜けようとします。

 ところが、何故か・いつも・どこからかこのシナリオがほころびる。
次々に上位階層の関与が明らかになり、それとともに真実を隠蔽した、という新たな重大不祥事が明らかになり、ついにはトップの責任が問われ退陣を余儀なくされる。A社が営々として築いてきた企業としての名声は地に落るた・・。

 このところ、直接の失敗=不祥事の中身は様々ですが、その後の対応、進展は本当に絵に描いたようにそっくりというケースがいくつも報道されています。起こした失敗を隠そうとすることが新たな失敗を生み、結果的に失敗が積み重なって最初の失敗だけではとうてい考えられないような結果を生んでしまう、ということですね。

 このことから得られる教訓は、たくさんあります。例えば、最初の不祥事がまかり通る企業の社風、隠し通せると考える社員への甘え、社会への甘え・・・などなど。それらについえはテキスト53ページの図を参照すれば明かです。この図で言いますと、「企業経営不具合」が原因で最初の不具合が起こり、同じ原因で対応の失敗が連鎖的に起こった、と言うことですね。>
 さて、ここで問題にすることは以上のことではなく、失敗への対応に失敗して大失敗へと成長させてしまう、という同じような失敗事例がどうしてこんなに立て続けに起こるのか、と言うことです。失敗学では、「自分の失敗ばかりではなく他人の失敗にも学ぶ」ことが必要ですが、どうしてこんなに「他社の失敗に学ぶ」と言うことが出来ないのでしょうか?

 もちろん、具体的な不祥事の内容やその後の対応の失敗はケースバイケースですが、共通しているのは、最初の「有ってはならない失敗」が明らかになってからの対応にあたってことの真相は二の次にして「なるべくことを小さく納める」という方針で当たったために引き起こされた失敗、と言うことですね。
 この失敗から得られる教訓は、失敗の原因の発見には、他の思惑が入ってはいけないということ、社会的に公表しなければならない失敗の場合は、全体像をつかんでありのままを発表しなければならない、と言うことです。そうしないととんでもない失敗に陥る、という実例を間近にいくつもみたわけですからね。これはもはや企業理念がどうであれ、そういう態度で処理しないと企業の存続に関わるような大失敗に直結する、と言うことが誰の目にも明らかになっています。

 それなのに、どうして「他人の振り(スタイル)みて我が振りを直す」と言うことが出来ないのでしょうか? 企業がこれまでやってきたこと、やってこなかったことを考え合わせれば、現場の不祥事については「明日は我が身」と言う可能性があるはずで。ましてトップやトップ直近が指示しているような場合には言うまでもないことです。

 他人の失敗事例を教訓にするためには、上でしたようにまずその内容を一般化する、次ぎにその一般化したパターンを自分の仕事や組織に当てはめてみるという作業が必要です。そうしないと他人の失敗を自分の教訓にする、自分の行動を律していく参考にする、と言うことは不可能です。当たり前ですね。
 失敗を重ねてきた企業の場合、関係者のなかには内心でこういう作業を行い、自分の会社が「失敗への道」を突き進もうとしていることに気がついていながらあえて発言しなかった、という人もあったでしょう。そういう発言を許さない組織風土があり、それをうち破れない保身があり・・・、結果的に企業も個人も失敗、という結果が生まれています。その背景には社員の会社に対する帰属意識の変化や社会の企業を見る眼の厳しさが強まったことなど、企業よりも上位の階層の変化が強く影響しています。
 もはや企業は存続するためには、「企業理念」をきれい事で済ませるわけにはいかない、全ての階層が企業理念を守り通す、という社風を確立することが必要なのかも知れません。

 不祥事を引き起こした企業が例外なく事後処理に失敗するのは何故か?「まさか当社に限ってそういう不祥事など有り得ない」と言うことだったのか、あるいは「当社ならこの程度で切り抜けられる」と楽観していたのか・・・。どうして他社のケースは自社にとって「自社が直接経験すると莫大なコストを要する未知との遭遇」事例である、というシンプルなことが具体的な行動につながらなかったのか?

 失敗に学ぶにはこちら側の態度がわめて重要、「教養としての失敗学」ではなく、処世・行動方針としての失敗学が必要だと思います。失敗学の研究にあたってはそのような態度が望まれます。
 これは多分「失敗学」の範囲に納まらない問題なのかも知れません。

投稿時間:2002/09/01(Sun) 10:22
投稿者名:takeo
タイトル:
失敗の「構造」
失敗を「問題解決」における失敗と考えれば、それは問題解決の場面で起きることです。この場面を「ステージ」と呼ぶことにします。

ステージは、樹状構造のどこかに位置していますが、その端緒は多くの場合、「現場」に現れます。53ページの図をもういちど参照しましょう。
下図は畑村先生の図をちょっと変えてみました。
すなわち、ピラミッドの一番下に失敗が起こる・発見される「現場」を置いてみました。多くの場合、失敗はひとが実際に存在しているレベル、ステージで起こります。起きた失敗の原因を探求することで失敗要因がどの階層に存在していたかを発見することが失敗に学ぶ第一歩です。

         /\       | 未知への遭遇
        /__\      |        ↑
       /____\     |        ↑
      /______\    | 組織の失敗  ↑
     /________\   | 現場の失敗  ↑失敗の要因

   /____________\  失敗が発見される=現場


 通常、失敗は単独の要因で起きることは少ないと思われます。
いくつかの前提要因が集まっているところに最後の引き金となる行為が行われる、というパターンですね。逆に考えれば、失敗が現れた最後の行為も別の前提条件のもとでなら大事に至らなかったかも知れません。

 現在起きている企業の問題対処の失敗の多くは、「未知への遭遇」という
ステージで起きているのではないでしょうか。「社会の大きな転換期」これまでの経営常識が役に立たないどころかむしろ失敗の原因になっている、という事例があまりにも多くみられます。「転換期」という新しいステージが企業というステージ全体を覆っている、という未知の状況に、これまで通りの行動パターンで対処しようとして失敗している、というように見えます。

 実際の原因探求の場合、図は逆ピラミッドになります。
書くのが面倒なので、上の図をそのまま用いて説明します。

         /\      失敗が発見される=現場 
        /__\             
       /____\     | 現場の失敗 ↓失敗の要因
      /______\    | 組織の失敗 ↓
     /________\   |       ↓
                  |
   /____________\ | 未知との遭遇


ピンポイントステージで発生する失敗ですが、その原因はどこにあるのか。
原因がより上(図では下)のステージまで遡及するほど同じ原因による失敗が下位の各ステージで起こる可能性が高いということになります。

十分説明できたかどうか、自信がありません。
質問をいただけばそれをヒントによりよい説明に挑戦します。

投稿時間:2002/08/14(Wed) 12:43
投稿者名:takeo
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タイトル:
☆ 良い失敗、悪い失敗
夢之助さんの提案でテキストの要約を紹介してからそれに対して解釈なり意見を述べる、という方法を実験してみます。
対象にするのは、テキストの56〜58ページです。

良い失敗と悪い失敗

 ここで言われている良い失敗というのは、「成功」や「失敗しないこと」、その失敗の結果起きてしまった被害の大小などを基準にして考えられているのでありません。
著者がいう「良い失敗」とは、53ページの図で「未知への遭遇」という場所に位置する失敗のこと(の一部)です。

 「未知への遭遇」とは何でしょうか。それは、失敗が原因で明らかになった、文字通りこれまでは「未知」だったことです。「未知への遭遇」とはこれまで未知だったこと、あるとは考えられなかったことの存在が発見されることであり、新しい知識が得られた、と言うことです。著者が「良い失敗」というのはこういう意味、つまりその失敗を起こした結果、(原因糾明などにより)新しい知識の発見、創造につながるような失敗のことです。

 この「未知」は、一般には社会全体にとっての「未知」のことを意味していますが、個人の場合も同じことが言えます。図で「個人の無知」による失敗とされているものです。
この場合も、自分の「無知」だったことに気付かされる、成長の契機になる、と言うことでは「良い失敗」であると著者は言います。

>人間の成長は、失敗無しに語ることはできません。成長の影には必ず小さ
>な失敗経験がありこれを繰り返しながらひとつひとつの経験を知識として
>自分のものにしていきます。さらに小さな失敗から得た知識が次の大きな
>失敗を起こさないための軌道修正の働きをし、さらには次の成功へと転化
>していきます。

 これは一般に「試行錯誤法」と呼ばれる方法のことです。
「未知」に遭遇したとき、失敗せずに通過出来たとしたら、我々は「未知」の存在に気付くことが出来ません。同じ「未知」が次の機会に、またその次機会にも発見されずに済む(未知の失敗要因があるのに何かの理由で失敗が起きていない)とは限りません。「未知」のままで来たことがあるとき大きな、取り返しのつかない失敗を引き起こすことになるかも知れません。

 このように考えると、これまで経験したことのない失敗は「良い失敗」だと言われる理由が分かりますし、それはなるべく早く経験した方がよい失敗だということになります。

>人が成長する上で必ず経験しなければならない失敗があるのです。これ
>が「よい失敗」で、別の言葉を使えば「必要な失敗」といえます。そし
>て「良い失敗」「悪い失敗」、成長や発展を促すためにもどんどん経験
>すべきなのです。

 我々は失敗を通じて「未知」があることを発見する、未知への対処の仕方を考え実行していく、と言うことで成長していくわけですね。そうすると課題は、如何に早く「失敗を発見するか」ということであり、「如何に早く失敗の兆候を発見するか」ということです。つまり「未知の発見」、これまで知らなかったことが起きるとすればそれをどうやってより早く発見するか、と言うことがポイントになってきます。このことは後でまた問題にしていきます。

さて、次は「悪い失敗」です。

著者によれば端的に「良い失敗」すなわち新しい発見につながらない失敗は全て「悪い失敗」です。

悪い失敗の例

>何も学ぶことが出来ず、単なる不注意や誤判断などから繰り返される失敗
>=例え大した悪影響を残さないような失敗でも、これを繰り返すことは、
>いたずらに失敗を重ねる悪い癖を身につけることになります。

>個人にとっては意味のある失敗でも回りに与える影響が大きい失敗。

コスト対効果と言うことですね。

>また、失敗の階層図で言えば中層以上の組織不良から社会システムの不適
>合までのもはいずれも「悪い失敗」に含まれます。

>あらためて整理しておくと、原体験として失敗から知識を蓄積する場合、
>個々の失敗が致命的にならないように注意を払いながら、小さな失敗群の
>経験を積む必要があります。また、いたずらに「悪い失敗」の経験を重ね
>ても、それは個人の成長には結びつきません。
>本来、経験的に学ぶ「良い失敗」は、数としては意外と少ないものです。
>失敗体験から本質的な部分を理解して知識にするには、わずかな自分の経
>験と、他人のいくつかの典型的な失敗体験の情報があれば十分なのです。

はい、これで「良い失敗、悪い失敗」の要約は終わりです言うまでもありませんが茶色部分はテキストからの引用です。

それでは皆さんのご意見をお願いいたします。

影絵さんが上げられた事例は失敗が階層的に起きていますが、なんだかみんな悪い失敗ばかりのようですね。
なかでしいて「良い失敗」を探してみるとすれば何がありますかねぇ?

投稿時間:2002/08/15(Thu) 22:15
投稿者名:takeo
Eメール:
URL :
タイトル:
失敗学は何故必要か
著者曰く(58ページ)、
>失敗体験から本質的な部分を理解して知識にするには、わずかな自分の経
>験と、他人のいくつかの典型的な失敗体験の情報があれば十分なのです。

 「他人の失敗に学ぶ」多かれ少なかれ自分とは経験や立場が違う他人の失敗経験にどう学べば良いのでしょうか?

 「失敗学」は、自分、他人を問わず、失敗の情報を自分の成長の肥やしにしていくために必要な準備を再確認する、という役割も持っているようですね。

投稿時間:2002/08/19(Mon) 09:18
投稿者名:takeo
タイトル:
失敗はいつ教訓になるか
> 著者曰く(58ページ)、
> >失敗体験から本質的な部分を理解して知識にするには、わずかな自分の経
> >験と、他人のいくつかの典型的な失敗体験の情報があれば十分なのです。

テキストには「計画」という言葉がこれまでほとんど使われていませんが、
失敗が生きるのは次回の計画立案の段階ですね。
計画者は、自分の記憶にある自他の「失敗経験」を排除しながら計画を作ります。この計画は、自分の頭のなかだけで終始するものでも、自分の外部に「計画書」として算出する場合でも変わりません。

失敗、よくいかすためには「計画」について理解しておくことが必要です。


投稿時間:2002/08/16(Fri) 16:43
投稿者名:夢之助
タイトル:
Re: ☆ 良い失敗、悪い失敗
世の中には経験則というものがあります。専門分野ごとにそれは
あると考えられます。例えば、商品を見て、あ、これは原価ナンボで売値はこんだけと即断出来たり、ある店を一見しただけで、はやっている店か否かが分かったり、売上高が推測できます。どこをどうすれば改善できるとかも指摘されます。
ひらめきとかいう言葉を使った方が分かり易いでしょうか?
もっと一般的な俗語でいいますと、年の功とかいうものでもあります。
だてにコンサルを○○年やっているのではないなんてセリフも(笑)
もちろん、数値の分析による改善・行動は別途あるでしょうけど。
これは、長年の失敗・成功が様々なケースで脳にインプット・整理されているからでしょう。

未知との遭遇、
大きく言えば日本経済の凋落、大型スーパーの凋落も、土地本位制の崩壊からでなかったでしょうか?土地本位制という見えなかった本当の要因、それが正しいとすると、それに乗っかった経験則、成功にしろ、失敗にしろ、それ等に学んでも次なる成功には結びつかないのではないでしょうか?
人間は、一般的には、それが永遠に続くという前提で考え、予想収益に基づき行為をするでしょう。永遠が無くなった時、その見えない要因が崩壊すると、永遠であった時の成功・失敗の試行錯誤は無駄な努力ともなりかねません。文字どうり、未知との遭遇です。

このような場合、経験則に囚われない挑戦者が優位に立つ事が出来るのではないでしょうか?これでの失敗が良い失敗であろうかと考えます。

人間は過去の延長線上で考え、行動した時が、心の安定が保たれます。今のやり方では、もう駄目であると理解していても、(安定を求める)心は拒否してしまいます。商店街活性化、モール化、商品構成の適応、なかなか進まないのは、この事に本当の原因があると考えられます。

未知との遭遇こそチャンスと捉えるのが、失敗学の極意かも知れません。


講義の構成を提案して、それに沿って書かれていますが、言った本人がずいぶんと、講義内容から外れ、自己満足の心理の話になってしまった感があります。それでも、枯れ木もなんとやらでお許し願いまして

投稿時間:2002/08/17(Sat) 10:44
投稿者名:takeo
タイトル:
経験則を疑う
> 世の中には経験則というものがあります。専門分野ごとにそれは
> あると考えられます。例えば、商品を見て、あ、これは原価ナンボで売値はこんだけと即断出来たり、ある店を一見しただけで、はやっている店か否かが分かったり、売上高が推測できます。どこをどうすれば改善できるとかも指摘されます。

> 未知との遭遇、
> 大きく言えば日本経済の凋落、大型スーパーの凋落も、土地本位制の崩壊からでなかったでしょうか?土地本位制という見えなかった本当の要因、それが正しいとすると、それに乗っかった経験則、成功にしろ、失敗にしろ、それ等に学んでも次なる成功には結びつかないのではないでしょうか?

 おっしゃるように、失敗の原因探求は、失敗の背景をどうとらえるか、ということで様々な解釈が可能です。
意志決定や行動の前提としていた条件が無くなっているにも関わらず、あたかもその条件が今なお健在であるという思いこみで行動すれば失敗する可能性が高くなります。企業の場合、これはトップの片言隻句で判断することができたりします。

「土地本位制」についていえば、それが前提条件らしく見えた、その背景に何があったか、と言うことも考えられますね。そうすると「土地本位制の崩壊」と同時に見直さなければいけないことがいろいろ出てくるかも知れません。

> 人間は、一般的には、それが永遠に続くという前提で考え、予想収益に基づき行為をするでしょう。永遠が無くなった時、その見えない要因が崩壊すると、永遠であった時の成功・失敗の試行錯誤は無駄な努力ともなりかねません。文字どうり、未知との遭遇です。

 おっしゃるような状況では何を頼りに行動すべきか、と言うことも今回の読書会の隠れたテーマの一つかと考えています。

> このような場合、経験則に囚われない挑戦者が優位に立つ事が出来るのではないでしょうか?これでの失敗が良い失敗であろうかと考えます。

そうですね。成功の場合は「勝てば官軍」ですからね。「こうすれば成功する」という方法はないわけですから、「失敗をコントロールする、制御可能な範囲に失敗を押さえ込む」というアプローチが大切でしょう。
実際にはなかなか難しいことですが、そのノウハウも考えましょう。

> 人間は過去の延長線上で考え、行動した時が、心の安定が保たれます。今のやり方では、もう駄目であると理解していても、(安定を求める)心は拒否してしまいます。商店街活性化、モール化、商品構成の適応、なかなか進まないのは、この事に本当の原因があると考えられます。

有力な一因でしょうね。実際に転換して「儲かった事例」が出てくるとちょっとは変わるかも、と思っていますが。「安定」を求めると言うよりまんま「怠惰」だったりして(笑) どうせすぐに成果が挙がることでもないらしい、そいじゃ特に今日から始めることもないや、ということで一日延ばしの先送り。

> 未知との遭遇こそチャンスと捉えるのが、失敗学の極意かも知れません。

そうですね、チャンスにするにはいろいろ工夫が必要だと思いますが、著者がどのようなアプローチを提案しているのかこれからが楽しみです。

> 講義の構成を提案して、それに沿って書かれていますが、言った本人がずいぶんと、講義内容から外れ、自己満足の心理の話になってしまった感があります。それでも、枯れ木もなんとやらでお許し願いまして。

いえいえ、何がヒントになりどこから何が生まれるか分からない、というスリリングな場になっていけばそれが最高です。どんどんお願いします。

投稿時間:2002/08/20(Tue) 08:42
投稿者名:夢之助
タイトル:
怠惰な私はどうすれば?
> 「安定」を求めると言うよりまんま「怠惰」だったりして(笑) どうせすぐに成果が挙がることでもないらしい、そいじゃ特に今日から始めることもないや、ということで一日延ばしの先送り。

当たらずと言えども遠からず。我が身を振り返ると忸怩たる思いでありす。
しかしながら、 失敗学を学ぶ者に怠惰なし!・・と一応気合を入れて、
怠惰の習性を矯正するにはどうすればいいか?という事を考えてみます。
まず、完璧なナマケ者は、仏門で修行して頂くか、年齢制限がパスであれば
自衛隊で鍛えて頂きましょう。そうするとあとは、意欲があって行動力のあ
る人と、意欲はあるけど、どうして良いか分からないという人が残ります。

そこで、コーチングという手法のお奨めです。
コーチングとは「目標達成に向けて、相手の自発的な行動を促進する
コミュニケーションの技術」ということのようです。
http://homepage2.nifty.com/ripple/  
他にもネットで色々解説が見れます。
目標達成に向けてとありますように、まず、目標設定が前提なんですね。
そして、次に目標達成には何をなすべきか、何が必要か等と拾い上げていきます。それを、時間時間毎に設定して繰り下げ、今現在、何をなすべきか何が必要かを決め、実行する。実行は繰り上げられて目標達成に到るというやり方です。大まかには、そんなとこですが、コーチングにはコーチがいて、アドバイスをしてくれる仕組みのようです。
コーチが居るに越した事は無いのですが、いなくても、出来る事、怠惰の習性を矯正する為の一つとして、目標設定と、それに到るまでの計画づくりが有効ではないでしょうか?
目標設定・計画づくりの重要性については、商店街活性化の場合の例としてですが、Web商人塾「課外.TMOは活躍しているか」にも、色々述べられています。

ところで、お前はどうなんだと尋ねられたら、完璧なナマケ者は、どう答えたらいいんでしょうか?

投稿時間:2002/08/22(Thu) 07:36
投稿者名:takeo
Eメール:
URL :
タイトル:
目標と計画
> 当たらずと言えども遠からず。我が身を振り返ると忸怩たる思いでありす。

紺屋の白袴(笑)

> そこで、コーチングという手法のお奨めです。

なるほど、名前だけは聞いておりましたが、そういう手法でしたか。
確保するのが大変そうですが、仲間、上司、部下、家族、友人なごコーチ候補にはことかきません。勝手にコーチに見たてる、というのも面白そうですね。なかでも部下が良さそうですね。


> コーチが居るに越した事は無いのですが、いなくても、出来る事、怠惰の習性を矯正する為の一つとして、目標設定と、それに到るまでの計画づくりが有効ではないでしょうか?

「失敗学」は目標抜きでは考えられないことですね。
著者の失敗の定義も「人間が関わって行う一つの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」(21ページ)でした。「失敗学」が一番役に立つのは、「計画」を作る段階でしょうからね。
目的・目標・計画は「失敗学」の前提でしょうし、プラン−ドウ−シーという過程とも考え合わせることが必要です。

> 目標設定・計画づくりの重要性については、商店街活性化の場合の例としてですが、Web商人塾「課外.TMOは活躍しているか」にも、色々述べられています。

「失敗学」の見地は踏まえていたでしょうか(笑)
「失敗しないための計画」作りは、目指しているのですが、「コーチ」の部分をどうするかという課題はたしかにありますね。

> ところで、お前はどうなんだと尋ねられたら、完璧なナマケ者は、どう答えたらいいんでしょうか?

怠け者には怠けなければならない理由が山ほどあるのです(笑)

怠けられる間は怠けておく、そのうち、「こうしちゃいられない」という局面が来るかもしれませんが、その時はその時。ということではないでしょうか。経験的には。

投稿時間:2002/08/30(Fri) 09:04
投稿者名:takeo
タイトル:
失敗とは問題解決の失敗である
 「失敗」は、人間の目標を達成しようとする行為に関連して発生します。

 人間の目標とは、何事か「為し遂げるに値すること」ですね。そうしますと、目標を掲げる現時点には「為し遂げられるべきことがある」という充足されていない状況がありますね。この状況を「問題がある」状況と考えてみましょう。

 目標は、「問題が解決された状況」だということになり、目標を達成するための行動は「問題解決行動」だとうことになります。
このように考えると、「失敗」とは「問題解決の失敗」ということになります。畑村先生の定義を踏まえて言えば、「問題を解決するための行動がもたらした望ましくない結果」ということでもいいかも知れません。

 ちょっと待て、これだと単なる失敗、例えばよそ見して歩いていたらどぶに落ちた、等ケースはどうなる? 「どこかへ行く」という問題解決行動のプロセスでの「不注意」が原因で起きてしまった「望ましくない結果」、ということでちゃんとカバーしていますね(W

 失敗学を体系的に考えるためには、失敗をそれが起きるプロセス・ステージである「問題」、「問題解決」とからませて考えた方が良いかも知れませんね。このあたり、テキストではあまり触れられておりません。暇な人は、このことを頭の片隅に置きながらテキストを読み返してみてください。

投稿時間:2002/08/20(Tue) 14:19
投稿者名:夢之助
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タイトル:
怠惰な私・・追加部分

>計画については、Web商人塾「課外.TMOは活躍しているか」にも、色々述べられています。

計画については、交流掲示板「商店街は行動計画を作ろう 」また、Web商人塾「課外.TMOは活躍しているか」にも、色々述べられています。

に追加変更です。

投稿時間:2002/08/27(Tue) 18:07
投稿者名:takeo
タイトル:
失敗で明らかになるのは自分の至らなさ
 吉川英治の『宮本武蔵』のなかに「我以外みな我が師」という言葉がありますが、「我が失敗はみな我が師」かも知れません。

 全ての失敗は何らかの理由で失敗した本人あるいは組織の「至らなさ」を指摘するものです。とりわけ、先生の言われる「悪い失敗」は、他の人なら失敗しなかったかもしれない、当の本人が至らないために起こした失敗ですから弁解の余地がありません。

 問題はこのことから何を学び取るか、ということです。

 タイトルにも書きましたように、失敗は自分の至らなさを否応なく気付かせてくれます。自分だけが自覚させられるのなら有りが地のですが、生憎とそうはいきません。失敗はむしろ自分よりも先に他人が気付くことの方が多いわけですから。

 つまり、失敗というのは自分の至らなさを関係者である他人に指摘され、さらに関係者ではない多数にまで暴露される、という恐ろしい結果をもたらします。出来ることなら無かったことにしたいのが人情かも知れません。
部下の失敗、上司の失敗も「至らなさの暴露」ですが、これはいずれ自分自身も「失敗した至らぬグループ」というレッテルを貼られそうです。
そのあたりを考えると、「失敗は無かったことにする」という処世も出てきます。

 ところが失敗を「無かったこと」にすると失敗の原因も「無かったこと」にしないとつじつまが合わなくなります。「改善理由」、変更の大義名分が立ちませんから。「失敗はなかった」となると原因も無かった、現状に改善余地もない、ということになります。そうすると同じような状況では再び三度同じ失敗が繰り返される可能性が極めて高い、ということになります。

「失敗を隠すものは同じ失敗を繰り返す運命にある」ということです(W

 このことは組織に限りません。私たち個々人にも同じことが言えます。自分の知識が不十分だったり、あるいは誤った思いこみが原因で失敗を起こすということはあり得ることです。これは極端に言えば周囲に「自分は馬鹿です」ということを客観的に示したようなもの、出来れば無かったことにしたい。

 しかし、失敗を隠さず直視することが出来ればそこから得られるものは、じつに多いと思います。単に「また一つ賢くなった」ということだけではなく、例えば、失敗の可能性を予期しながら行動する、万一の失敗を恐れない・恥じない、という態度が身につくことも考えられます。
これはなかなか得難いことではないでしょうか。

投稿時間:2002/08/16(Fri) 09:24
投稿者名:聞きかじり
タイトル:
社会の影響
本を読んでいませんが、一点だけ横レスです。
> 個人>管理者>企業>行政>社会 の何処かの段階で
これを社会が一番上にある、逆ピラミッドを思い浮かべてみてください。
企業判断の材料の中に、行政の指導があるとは思いますが、その上に「社会」が乗っかっています。
たとえば、運賃を値切られたというのも「社会」でしょうし、商店では売価を下げざるを得ないのも「社会」のような気がします。
政治が悪いのは有権者という名の「社会」的要因も関係します。
そこで悪循環を断ち切るのが、「企業」判断でしょう。
「企業」が良い失敗から適切な判断を求められる時代だと思います。

(著者に敬意を表して、「積読」になるかもしれませんが「購入宣言」します。)

投稿時間:2002/08/17(Sat) 10:17
投稿者名:takeo
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タイトル:
失敗は未知を既知にする契機
> 本を読んでいませんが、一点だけ横レスです。
> > 個人>管理者>企業>行政>社会 の何処かの段階で
> これを社会が一番上にある、逆ピラミッドを思い浮かべてみてください。
> 企業判断の材料の中に、行政の指導があるとは思いますが、その上に「社会」が乗っかっています。
> たとえば、運賃を値切られたというのも「社会」でしょうし、商店では売価を下げざるを得ないのも「社会」のような気がします。

企業が直接社会に影響を与えることを期待されているのは、それぞれの事業をつうじて、社会的な役割=事業機会に危殆されていることをきちんと果たす、ということが最初であり最後だと思います。
その他のことを目論むとろくなことはない(笑)

> 政治が悪いのは有権者という名の「社会」的要因も関係します。
> そこで悪循環を断ち切るのが、「企業」判断でしょう。
> 「企業」が良い失敗から適切な判断を求められる時代だと思います。

 夢之助さんがおっしゃっているように、前提条件が崩壊する時代、企業にとって「利益を挙げてナンボ」という考え方をはじめ、これまで「暗黙のご了解」とされてきた諸々をあらためて検討することが求められていますね。
 「企業理念」にどれだけ真剣に思い入れしているか、と言うことが直接現場〜社会のあらゆる階層の問題−失敗防止につながる課題になっています。

 このことがこの間の一連の企業の不祥事を通じて「既知」となった「未知(でもなかったが)」ですね。

> (著者に敬意を表して、「積読」になるかもしれませんが「購入宣言」します。)

著者に成り代わりまして(笑)、厚くお礼申しあげます。

投稿時間:2002/08/17(Sat) 18:16
投稿者名:takeo
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タイトル:
☆ 失敗原因を分類する
 テキストの購入宣言をなさった皆さんはとっくに読了されたことと思います。「面白かった」と言うことで問題意識も別のところに移っておいでかも知れません。個人で読んで読了宣言でお終い、という人は読書会、輪講の効用を味わったことが無い人です(笑い) ここはだまされてみるか、ともうしばらくおつきあいのほど、おすすめします。といっても何か差し上げるつもりは全然ありませんが(笑)

 それでは表題の節に入ります。
現在検討している第二章は「失敗の種類と特徴」、これまでに失敗の原因には階層性があること、失敗にはその性格で「良い失敗と悪い失敗」がある、と言うことを確認してきました。今回は「失敗原因の分類」。

 失敗に学ぶためには、失敗の原因を分析して「何故、どのような理由で失敗したのか」ということを理解し、「次からは失敗に陥らないようにする」ことが必要です。言うまでもないことですね。
それでは、これまで何万年も積み重ねられてきた人間の失敗ですが、それらはどのように分類することが出来るでしょうか?

 畑村先生は59ページに「設計における失敗原因の分類」という図を載せています。これは

>設計における失敗の原因となっていますが、世の中のあらゆる失敗の原因も基本的には同じです。

と言うことで、世の中の失敗は全てこの図の中にあり、という意気込みですね。私は、先生、大事なことが抜けてません?、と突っ込みたいところですが、それはいずれ後で詳しく述べたいと思います。

 失敗の原因は10の項目に分類されています。
それぞれの項目の失敗について説明と簡単な防止策が述べられていますが、ここでそれをいちいち紹介することはしません。どうしてもテキストを購入したくない人は書店で立ち読みしてくるように(笑)

 さて、失敗を10項目(何項目でもいいのですが)に分類することにどんな意義があるでしょうか?

 皆さんはどのような意義があると思われますか?

投稿時間:2002/08/22(Thu) 17:18
投稿者名:夢之助
タイトル:
分析の手法

> さて、失敗を10項目(何項目でもいいのですが)に分類することにどん
な意義があるでしょうか?
> 皆さんはどのような意義があると思われますか?

どのような意義がある?と、問われても、当たり前だと答えに困ります。
晩のおかずが肉といっても、牛もあるし、豚もあります。さらに、それ等の部位によっても違いがあります。産地によっても違います。それぞれによって価格も違います。味も違います。
それで、美味かった(美味くなかった)原因はなぜかと分析するには、上のような分類がないと不可能です。そもそも、分析するとは分類する事かも知れません。分類しなくても分析できるなら、分析の手法とも考えられます。 えーと、辞書を見たほうが早かったかも知れませんが?
下記のカキコミに関連させると、分類しない(されない)と、失敗の本当の要因が見えてこないという事になります。

ということで、分類・分析について色々。

●「失敗の分類」には準備分類が必要
「日本酒を売る」を例にすると、まず、味とか容器とか、ブランド等など、売れ行きに関係する構成要素に分類する。失敗は、その構成要素の中に分類格納する。このように分類されて、初めて売れない(失敗)原因が正確に分析できるのではないか?そして分析は、段階的分析をおこなう。例えば、本当の売れてる原因が「味」であったとした時、第一段階に、容器(容器に格納された失敗)を分析・是正をしても、根本的解決には繋がらないと言う事になります。

●分析(失敗原因の分析)には、時間的順序を考慮しなければならない。
とは言っても、「売れ行きに関係する構成要素に分類する」のは簡単ではないでしょうし、出来たとしても、その中でメインとなっている売れてる要因は、時間によって変化すると考えられます。
例えば、味がメインの時、ヒットしている味には、他の会社も追随してくる。そして、各社、味が変わらなくなると、今度は容器がメインとなってくる(本当にそうかどうか分かりませんが)。
売れ行きに関係する構成要素の個々の重要度は違っており(メインとサブがある)、しかもその重要度は変化するものである。
そう考えると、失敗した行為の時間(タイミング)という事も考慮に入れないと、失敗の本当の原因は見えてこないということになります。この事は、前にもカキコミしたと思いますが。

●統計的手法による失敗の分析
失敗の分類・分析と言っても、その対象とする分野によって、違いがあるように思われます。汎用的に分類分析するのは困難があると思えます。
(近くの本屋に置いてないもんで立ち読みできません・・スミマセヌ)
ここでは、「音声認識・誤聴を防ぐには、どうすればいいか?」という事例を上げてみます。これを失敗の分析に応用できないかと思っております。

第一段階、まず、誤聴原因の発生する個所と、その発生する回数を統計処理する。すると、誤聴の7〜8割を占める共通の要因を発見・対処できる。
すると、隠れて見えなかった残りの誤聴の共通要因が見えてくる。第二段階の共通の要因が発見できると、さらに残りの・・・と言う具合に、次々と各段階で本当の要因を浮かび上がらせることによって、それぞれに対処して明瞭度を100%に近づけていくという手法です。
この例では、何百(何千)という誤聴報告がある中で、まず、誤聴の場所とメイン(発生回数による)となっている誤聴の共通要因を分析する。これを第一段階として、次に、残りの誤聴の中でやはり、メインとなっている誤聴の共通要因を分析する・・という具合に、段階を設けて分析がなされております。

分野は違うけど、こじつけ?てみましょう。例えば、最近取りざたされている医療事故で考えてみると、
手術のミス、病名判断のミス、投薬のミス、医療機器の取り扱いミス、などなど、言わば失敗が沢山ある。これを誤聴とすると、共通の要因は、医師・看護婦の錬度(資質)とか管理体制とかいうものになるんでしょうか?

看護婦が投薬を間違えたという失敗は、(発生する個所と、その発生する回数を統計処理する)・・すると、7〜8割(かどうか分かりませんが)を占める、「過剰労働という勤務体制の不備(疲労)」という共通の要因、いわば本当の要因を発見・対処できる。次に、残った失敗の中から2番目の本当の要因である「錬度(資質)」を発見・対処する。同じようにして、3番目の本当の要因、「男女関係のもつれによる投げやり気分」(なんてことはないけど)、の発見・対処と続ければ、投薬を間違えたという失敗はゼロに近づけることが出来る・・・・というふうな、こじつけ例です。
劇的に改善するには、順番を間違えない事が肝心な事となるようです。
(本当の要因の例は適当に書いたものです)

ちょっと、自分でも、まとまりがついておりませんが、思いついた事を書いてみました。読み流しが適当のようです。

・・・・という事で、貯金をはたいてしまいました。しばらく黙します。
そろそろ、手元に本が届くはずです、それからまた述べさせて頂きます。あと、枯れ木の山とならぬよう注意は致しておりますが、枯れ木はセッカチ者ですので、その点お許しください。

投稿時間:2002/08/30(Fri) 09:32
投稿者名:takeo
タイトル:
レスはちょっと形を変えて

>> さて、失敗を10項目(何項目でもいいのですが)に分類することにどん
> な意義があるでしょうか?
>> 皆さんはどのような意義があると思われますか?

> どのような意義がある?と、問われても、当たり前だと答えに困ります。

そうですね。失敗は人間のいるところ至るところで起こる、いつ何時でも起こるということが確認されます。失敗要因がカバーする範囲はその要因が所属している階層によって決まる、なども。

あるいは原因遡及のマップにも使えます。

そのためには「分類」をしっかり作ること、頭のなかに「忘れてしまう」位たたき込んでおくこと、が必要です。

ちなみに「忘れてしまうくらい」というのは、普段は意識されていないが必要なときにさっと意識されて活躍することが出来る、というレベルのッコとです。

> 晩のおかずが肉といっても、牛もあるし、豚もあります。さらに、それ等の部位によっても違いがあります。産地によっても違います。それぞれによって価格も違います。味も違います。
> それで、美味かった(美味くなかった)原因はなぜかと分析するには、上のような分類がないと不可能です。そもそも、分析するとは分類する事かも知れません。分類しなくても分析できるなら、分析の手法とも考えられます。 えーと、辞書を見たほうが早かったかも知れませんが?
> 下記のカキコミに関連させると、分類しない(されない)と、失敗の本当の要因が見えてこないという事になります。

そういうことですね。

以下は、この枝での投稿という形でコメントしますので、あなたの意見も引き続きお聞かせください

投稿時間:2002/08/30(Fri) 08:50
投稿者名:takeo
タイトル:
失敗はいつ・どこで起こるか
>畑村先生は59ページに「設計における失敗原因の分類」という図を載せています。これは

>>設計における失敗の原因となっていますが、世の中のあらゆる失敗の原因も基本的には同じです。

>と言うことで、世の中の失敗は全てこの図の中にあり、という意気込みですね。私は、先生、大事なことが抜けてません?、と突っ込みたいところですが、それはいずれ後で詳しく述べたいと思います。

 それでは検討してみましょう。
ちょっとアプローチを変えて、「失敗はいつ・どこで起こるか」ということを考えてみたいと思います。

 失敗はいつ起こるか、人間が何事かをなそうとするとき、そのとたんに失敗の可能性が生まれます。何事かを無そうとしなければ失敗は生まれないのでしょうか? そうはいきません。我々が「社会のなかで生きている」、「いつかは死ぬ」という二つの条件のなかで生きている以上、的に適切な行動をする、ということが必要です。何事もしない=適時適切な行動をしない(何もしない・誤った行動をする)ということは、失敗につながる可能性が高いのです。

 さて、失敗の定義から著者の言い方を借用すれば「人間が関わっている」「全てのことが失敗する可能性がある」ということになります。
いつ起こるのか? 準備段階から完了寸前まで、私たちはあらゆる段階で失敗を引き起こす可能性があります。「人間のやることは全て・常に失敗する可能性がある」「人間のいるところでは常に失敗が起こる可能性がある」ということになります。

 「失敗学」=失敗をなくすために失敗を研究する−には、@人間の「行動のプロセスを理解し、各プロセスで起こりやすい失敗を挙げてみる A各プロセスが遂行されるステージを理解し各ステージで、起こりやすい失敗を挙げてみる、 B各プロセス、ステージで起こりやすい失敗の防止策を考え、事前に対処する ということが必要になります。

 そういう意味で、59ページの図は、人間の行動をプロセスとステージという概念を使ってとらえ直してみるとまた新しい発見があるかも知れません。例えば、E価値感不良 の分枝「規範の違い」は、明らかに現在食品メーカーで起きている失敗の原因の一つですが、これは企業組織の全体(というステージ)を覆っています。要因の性格上、もしも規範が間違っている=社会的に容認されない内容を含んでいる−ということがあれば、目標設定から仕事の評価まで、社長室から現場まで全てのプロセス・ステージで失敗が起こる可能性がある、ということになります。

 食品メーカーで頻出する失敗は食品メーカーにとどまらず、食品業界に関連する全ての組織に共有されている規範の社会とのミスマッチが原因かも知れません。もしそうだとすると、そのレベルでの対応が必要であり、それよりも低いレベルで改善策を講じても失敗は別のプロセス、ステージでこれまでとは変わった形で起こるかも知れません。「利益を挙げてこそ企業だ」というような規範は食品業界に限らずどこの業界にもあり得る規範です。もし、このような考え方が失敗の要因になっているとしたら、業界や規模を問わず、もっとたくさんの企業が失敗の可能性を潜在させている、ということになります。

 一つの例を挙げてみましたが、失敗は人間の試みの全てのプロセス、全てのステージに潜んでいる、ということをまず確認しておきましょう。
夢之助さんの分類法の提案のうち「時系列」についてのコメントをかねて書いてみました。

 これからも「失敗学のすすめ」と平行して、畑村先生がさらりとすまされている「失敗の分類」にこだわってみたいと思います。



 失敗をプロセス・領域で

投稿時間:2002/08/30(Fri) 09:24
投稿者名:takeo
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タイトル:
失敗の及ぶ範囲
 「問題解決」、「プロセス」、「ステージ」などの概念を用いて失敗を考えてみると様々なことが理解されます。

 例えば、企業が「収益は全てに優先する」という企業理念を持っていたとします。企業理念は企業活動の全てのステージ、プロセスをカバーしていますから、企業理念が失敗(企業の維持・存続という問題解決の規範として不適格)していると、その結果は企業活動の全ステージ、全プロセスで、「企業の維持・存続」という目標に対して不適合な結果を引き起こす可能性がある、ということです。
 逆に、現場における一過性の要因による失敗で簡単に是正出来るケースの場合は、失敗はそのステージだけに限られ、よそには波及しないことになります。

 失敗は、その原因となる不適合がカバーしているプロセス、ステージ全体で起こる可能性があります。同じことが原因で各プロセス、ステージの特性に対応した失敗が起こる可能性が高い、ということです。
あるステージ・プロセスでの失敗が、他のステージ、プロセスにどのような形で出現する可能性があるか、ということを予測するには、問題全体の樹状構造を理解しておくことが必要ですが、これはもっとずっと後で説明します。

 前回申しあげたように、畑村先生のテキストの読書会に数歩遅れて私の失敗学講義が平行開催される、という変則的な形になりましたが、如何ですか? 私としてはもう少し続けてみたいと思いますが、邪魔だと思う人もいるかも知れませんね。「運営スレッド」で意志表示していただけば対策を考えます。

投稿時間:2002/08/27(Tue) 08:22
投稿者名:takeo
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タイトル:
☆ 大失敗を誘発する樹木構造
樹木構造、普通ツリーとか樹状図とか呼ばれることが多いと思いますが、64ページの図のような構造ですね。ご承知のとおり。

>注意しなければならないのは、樹木構造はあくまで人がその対象を単純化して分かりやすく理解するための方法に過ぎず、実際の観念や事象はもっと複雑なものである、と言うことです。

 樹木構造は、ある複雑な対象を理解する・把握するための手法であり、誰もが身につけているものですが、その特徴、特に限界について良く理解し、気をつけて扱わないと失敗の原因になる、というのがここでのテーマです。

 構造はトップダウンで描かれ、「縦割り」になっています。同じレベルのもの同士は一つ上のランクでしか関係がないように描かれていますが、実際には同じレベルで密接な関係がある、と言うことを忘れてはならない。

 我々が対象をみるとき、具体的に見えるのは樹木構造の最末端のところだけです。最末端とは対象の特性の枚挙です。これをグルーピングして一つ上の段階に上がります。さらにこれをいくつかにグルーピングする、という方法を重ねて対象の全体像をつかむわけですから、そもそも最初のアプローチで対象の特徴を枚挙する、という方法が一つの全体像をいくつかに切り分けて理解する、という<不自然>な方法を採用しているわけです。

 頭のなかでは一つ上のレベルを経由してしかつながっていない縦割り樹木構造のとなり同士ですが、実際には必ず何らかの形でつながっており(リンク、54ページの図)このことを無視して樹木構造が全てであると考えていると「手痛いしっぺ返しを受ける」ことになると著者は言います。

さらに、先生は、

>じつは、失敗原因を分析してみると、こうした樹木構造の呪縛のなかで、全てを理解したつもりになった錯覚が背景にあるのがほとんどです。いいかえれば、樹木構造の弱点が、失敗という現象として現れているのです。

とまで言っています。

さて、これまでの説明は、主に私たちの認識の方法としての樹木構造の問題点についてでしたが、後半は、組織や機会などのシステムを樹木構造としてのみ理解した場合の問題点が具体的に述べられれています。
 一つは、縦割り組織の問題点です。縦割り組織は、ある目的を達成するために必要な業務を樹木構造に基づいて分割し、それぞれを特定の下位組織に分担させる、という組織です。習熟した業務に専念することが出来て効率的ですが、横のつながりが分断されていると、失敗を防止するために必要な情報が横の組織に伝わらないために、そのことが原因で失敗を生じやすい、という欠陥が指摘されています。
 仕事を樹木構造で分担しているとき、それぞれのポジションが関連するポジションの業務とのリンクを理解しないまま、自分のポジションだけで「最適」の実現を目指してしまうと、全体としては「不適」が結果してしまうことがある、と言うことですね。

 もう一つの例は、エンジンという機会の樹木構造的理解がもたらす失敗の可能性について。樹木構造では関係のない部品同士がエンジンという限られた全体のなかにで納められているところから、樹木構造=機能の構造以外の関係が生じますが、このような可能性を理解していないと、この機能以外の関係から失敗が生じることがある、と言うことです。組織で言えば、フォーマル組織(樹木構造)とインフォーマル組織の関係が連想されます。
 
 著者は樹木構造という私たちの認識の方法が悪い、と言っているのではありません。その特徴を良く理解し、限界を承知して場合によっては欠陥を補う手だてを講じることが必要である、と述べているのです。

 対象を樹木構造で理解することは、「それが何であるか」を理解するときには大変便利です。また、ある複雑な仕事を進めるときにもよく使われます。大切なことは多くの事物は、「我々にとってそれは何であるか」という以上の広がり、深みを持っているということを常にわきまえておかなければいけない、ということです。

 事物を認識するとき私たちは、例えば樹木構造のように、対象を合理的に分割したり一部を無視したりしながら理解します。私たちは、「全体像」を認識することは不可能ですから、このことは避けがたいことです。また、場合によっては細部や役割が少ないと判断される部分は、わざと切り捨てて整理した方が分かりやすく、物事も進めやすい、ということもあります。 
多くの場合、このような方法で物事を進めることが目的を達成する上で、効果的であり、効果的であることは言うまでもありません。

 ところが、時によっては、今までの経験上、切り捨ててもかまわない、と考えていた事柄が周囲の状況が変化していたため、全体に大きく影響を及ぼす、ということが発生することがあります。また、たしかに問題ではあるが些末なことだとうち捨てて置いたことがどんどん増殖して取り返しのつかない結果をもたらす、ということもよく見聞する失敗ですね。

 樹木構造の失敗といわれていることは、実は、私たちが物事を認識する方法の有力な一つである樹木構造の特徴や限界をよく理解していないために起こる失敗、ということですね。
私たちは物事の全体を過不足なく認識する、ということが出来ません。私たちの認識は常に部分的、目的指向的である、ということを理解する、そして対象に対して「謙虚」に接する、ということが必要だということになります。  

投稿時間:2002/08/27(Tue) 17:30
投稿者名:takeo
タイトル:
☆ 途中変更が諸悪の根元
 さて、この項も引き続き樹木構造が原因で発生しやすい失敗について。

>明確に役割分担を行っているがゆえに生じる企画や計画の途中変更による問題で、いまや生産現場の失敗はほとんどがこのパターンで生じる、といえるくらいで、まさに諸悪の根元になっています。

とまで言われています。続きを読むと「諸悪の根元」は樹木構造とは違うことなのですが・・・。

 ここで言われている失敗の「諸悪の根元」は、じつは、「手配遅れ、連絡遅れ」という簡単なことであり、必ずしも組織の樹木構造そのものが悪いということでもなさそうです。

 「途中変更が諸悪の根元」というタイトルからすると、失敗しないためには、「途中変更をするな」ということになりかねない。しかし、前項へのコメントで書いたように、我々の認識には限界があり、このことからも問題の理解が間違っていた、誤解していた、ということはあり得ることです。もちろん我々はそういうことが無いように努力するわけですがゼロにすることは不可能です。ということは、間違いが起こる可能性があるということであり、その結果として当然、「途中変更」がありうるということです。

 先生も文中では「諸悪の根源は手配遅れ、連絡遅れ」といっています。
はて、途中変更ではなく、手配・連絡遅れが失敗の根源、ということですか?

 先生は典型的な例として核燃料再処理工場において起きた「騒動」を例に次のように述べています。

>この騒動は、組織の持つ樹木構造の欠点がよく現れている一例とみることが出来ます。樹木構造の組織とは、個人の役割分担がはっきりしている組織です。役割分担が明確にされた組織では、与えられた役割を確実に実施することが求められ、さらに他の部署への確実な情報伝達が求められます。(中略)おそらく、このケースでは、樹木の枝葉である担当者が本来やらなければならないことをやってはおらず、さらにコントロール部門がその情報を収集・チェック出来るようなシステムを持っていなかったことで失敗になったのが真相でしょうか。

 結局、樹木構造やそれに基づいて作られている組織が悪いのではなく、組織において当然やらなければいけない、「報告・連絡」が適切に行われないと失敗に至ることが多い、ということのようです。これはもちろん先生の言われるとおりですが、まあ、当たり前といえば当たり前のこと、必ずしも樹木構造の避けられない欠陥だとか、樹木構造に限って起こる問題ということでもなさそうです。
 うーむ、どうもこの項は何を言おうとされているのか、今ひとつよく分かりません。

 樹木構造の組織の場合、「報告・連絡」は組織にとって生き延びるための絶対条件である、ということを確認して次に進みましょう。

投稿時間:2002/08/30(Fri) 11:00
投稿者名:takeo
タイトル:
組織のありかた
>うーむ、どうもこの項は何を言おうとされているのか、今ひとつよく分かりません。

 というよりも、ここでは途中変更という避けがたいプロセスでの失敗を防ぐための心得、ということでしょうね。著者がおっしゃりたいのは。
このあたり、失敗の種類と特徴という商のタイトルないにとどまらず、組織の構造と運用のハウツウまで踏み込まれています。
もう少し敷衍すれば、「個人に分担される」役割は、もう一つ上の階層の役割分担全体を理解する、その中で自分が果たすべき役割を理解する、というプロセスを取っておくと、新設するセクションと協働あるいは分担すべき仕事が理解されるのではないでしょうか。

 結局、組織に所属している個々人は、自分が分担するステージ、プロセスにとどまらず、組織全体のステージ構造、プロセス構成の全体を良く理解していないといけない、ということになります。
極論すれば、組織の配置図は能力の差ではなく分担する役割の違いでしかない、ということになります。もちろん現実にはそういうことはあり得ません。しかし、少なくともそれぞれが分担するステージ、プロセスの¥組織全体における位置・意義については完全に理解しておくことが必要です。

 所属する全ての人が役割分担を通じて組織の問題解決に貢献する、と同時に失敗の防止に貢献しなければならない。解決については分担するステージ・プロセスの範囲とその周辺にとどまりますが、失敗の防止については組織全体についてチェックすることを義務づける、というのがこれからの組織のありかたでしょう。これまでの提案制度などで取り組まれてきましたが、今後はさらに積極的な位置づけが必要でしょう。

投稿時間:2002/08/28(Wed) 21:46
投稿者名:takeo
タイトル:
☆ 樹木構造の欠陥を補うには
樹木構造の弱点(失敗要因となりやすい性格=は、著者の主張に従えば大きく二つの分野に存在しています。


一つは、対象である事物を理解するときに用いる樹木構造による認識の不十分さ、ということ。

もう一つは、樹木構造タイプの組織の特性。

いずれもどのように失敗につながりやすいか、ということはこれまでにみてきましたね。

さて、ここで先生はこのような樹木構造の弱点を補う方法を次のように述べています。

>これら樹木構造的組織のなかで怒りやすい失敗を避けるには、樹木構造の中野見えないリンクを知り尽くし、全体の動きをトータルに管理・監督する役割を担う存在が不可欠です。

>何と何を押さえていれば全体のミスが少なくなるというのをきちんと理解している人を育成していく必要があります。このような人を活かすような組織運営を行わないことには、必ず樹木構造の落とし穴にはまり、失敗をいたずらに繰り返すことは避けられません。

 ここで著者が言われていることは、樹木構造型組織の弊害への対処ということですが、はじめに述べたように、「対象を樹木構造的に理解していることの限界」を理解しておく、独立して項目と項目をつないでいる見えないリンクの存在を理解しておく、という態度を含むものだと考えた方がよいと思います。

>私たちが好んで使う樹木構造によるものごとの理解では、ものごとを単純に見過ぎるために隠れたリンクに気がつかないという、いわば失敗を誘発する構造的欠陥があります。この隠されたリンクを知り尽くすこと、すなわち、ものごとをトータルに理解する知恵を身につけることが、未来に怒る失敗の回避、さらには失敗から新たな知識を獲得する上で重要なのです。

 ここはかなり集中して考えてみたいところですが「後に詳しく説明する」といっておられるので後に回しましょう。
一言だけいっておきますと、「トータルに理解する知恵を身につける」ということはいうはやすく実際はなかなか出来ることではないと思います。
私たちは、「ものごとははしょらないと理解できない、ものごとについて考えるときは、常に我々の理解はトータルではない、ということを忘れないようにしよう」ということが必要だと思います。
もちろんこのことは、理解はテキトーでよい、といっているわけではありません。トータルに理解したつもりでも必ず見落としがある(必ず!)ということを肝に銘じておきましょう。

投稿時間:2002/08/29(Thu) 09:58
投稿者名:takeo
タイトル:
「樹木構造」について(課外報告)
 ちょっと気付きましたので、「樹木構造」について確認しておきたいと思います。

 言うまでもなく、私たちが検討しているのは、「失敗」について研究された著作です。この本では繰り返し、「樹木構造」が「悪者」扱いにされています。しかし、「樹木構造」について、重要だとは言われながら、その特性はなにか、という基本的なことは余り展開されていませんね。

 「樹木構造」の典型は、私たちの親族関係ですね。これまでに生存した無数の人間から夫婦を「ルート(起点)」に過去と未来に「親族」をチェックしていけば「樹木構造」が描かれます。「樹木構造」は目の前に広がる「世界」をある視点から整理して理解する方法であり、私たちは多分、この方法を捨てては生きて行くことが出来ません。

 「樹木構造」あるいは「樹状図」などを検索してみるとコンピューターとも不可分、「クラスター分析」などは「樹木構造構造」という伝統的な方法に新しいアプローチを試みている例でしょうね。

 複雑な対象を理解する・処理する手法として、「樹木構造は派、私たちにとって不可欠のツール、人間の進歩を支えてきた思考法といって差し支えないと思います。

 著者が述べている樹木構造の問題点というのは、樹木構造の問題点というよりも樹木構造の特性を理解していなかったために起こった失敗を樹木構造のせいにしている、ということではないかという気がします。
皆さんは如何ですか。

 原因を間違って理解して対策を講じると、問題解決にならないばかりでなく、新しい問題が発生することにつながりかねません。「樹木構造」の功罪については別の本にあたるなどしてしっかり確認しておきましょう。ここでもなるべく機会あるごとに述べていきたいと思っています。

 「樹木構造」の本当の問題点、限界は前にも少し述べましたが、私たちのものごとを認識する能力の問題点、限界に通じるものがあります。これは一度きちんと整理しておいた方がよいと思いますね。

 もう一つ、失敗は「問題解決の失敗」であることが多いわけですから、「問題とは何か」ということの分析が欲しいところです。このあたりが不足している「失敗学」へのアプローチにどのような結果が生まれているか、ということも今後輪講を進めていく上での楽しみの一つ(笑)。

投稿時間:2002/08/31(Sat) 15:41
投稿者名:takeo
タイトル:
☆ 失敗は成長する
テキスト購買された皆さん、出席しておいででしょうか(笑)

 ここで紹介されている「ハインリッヒの法則」というのは、私は始めて聞く「法則」です。

この「法則」、著者の説明によれば、

>一件の重大災害の裏には、20県ののかすり傷程度の軽災害があり、さらにはその裏にはケガまではないものの三百件のひやりとした経験が存在しています。これがハインリッヒの法則といわれるもので、潜在的な労働災害とそれが顕在化する確率をいわば経験則から導き出した考え方なのです。

ということです。

 経験則というのはご存じのように、科学的に根拠が秋からにされいるものではないが、観察してみると同じような趨勢が高い確度で起こっている、という種類の知識です。他に例えば、「2対8の原則」、「ピーターの法則」などが有名ですね。

中心商店街の商圏分析に用いられる「ライリーの法則」、「ハフモデル」なども経験則です。問題解決にあたって経験則を利用するときに気をつけなければいけないのは、第一に、利用しようとする経験則は自分が直面している問題に適用できるのか、ということをよく吟味する。第二に、経験則は多くの場合、それが成り立つ前提条件が示されていますので、それをよく確認して使うことが大切です。

 条件を無視して経験則を物理法則かなんかのように用いるととんてもない悲喜劇を引き起こしてしまうことになりかねません。
その一例を示しています。

http://www.quolaid.com/city/city010925.htm

 さて、テキストに戻りまして。
「ハインリッヒの法則」に従えば、失敗を防ぐには「ヒヤリとした」「ハッとした」ということが起こった・起こり始めた時点で対処することが大切です。もしこのことを放置して置いたら、最悪の場合どういう結果が起こることが予想されるか、ということを考える、この「最悪の事態を予測する」ということが鍵になります。
 「ヒヤリとした」経験から、これを放っておくと何が起こるか、を推測して防止策を講じる、問うことですが、肝心なことは「ヒヤリ」に執着することですね。 これは、職務に対する関心(意欲)と「想像力」(能力)の両方に関係しています。

 「ヒヤリ」が告知している「最悪」が想像できなければ、ヒヤリの原因は放置され、いつか周囲の条件が整えば(笑)、最悪の形をとって出現することになります。
 著者はこれをダムに例えていますが、この例えはどうでしょうか。ヒヤリが最悪になるのはヒヤリの積み重ねの結果ではなく、その他の条件との相乗効果だと考えた方がより適切かも知れません。
 ハインリッヒの法則、確率的に考えられているのなら、大事故はヒヤリが30回続いた後で起きる、ということを主張するものでは無いと思います。たまたま第一回目のヒヤリのとき、条件が整っていればそのとときに「大事故」突発、という可能性もあります。他の条件が揃っていなかったらただの、ヒヤリで済んだかも知れないのに。このように考えてみると、ハインリッヒの30回というのは大事故につながる他の条件が揃う確率、なのかも知れません。

 大失敗を防ぐのは、最悪事態を予測、評価できる想像力を持っているかどうか、ということも大切ですね。皆さんはどうお考えですか。

 「失敗」の特徴の一つ、「成長する」について考えてみました。

 皆さんはどのようにお考えですか?

投稿時間:2002/08/31(Sat) 16:02
投稿者名:takeo
タイトル:
☆ 失敗は予測できる
 いよいよ第二章の最終項です。ここは短いのでさっさと済ませましょう。

>ところで人間が関わった望ましくない現象が失敗なら「出来ることならこんなものは起こしたくない」と誰もが考えるに違いありません。そのためにも失敗が前もって予測できればどんなにいいかと思うでしょうが、結論から言えば私自身は十分に予測可能だと考えています。

 その理由として、著者は、

>大きな失敗が発生するときは必ず予兆となる現象が現れます。

といっておられますが、これはちょっと断定は出来ないような気がします。

 しかし、「ハインリッヒの法則」及びそれよりもさらに確度の高い「単発ではどうということもないヒヤリも条件が整えば大事故に至る」という「takeoの法則(笑)」を前提に考えると、ヒヤリを大事故の「可能性」と理解して、「前兆」賭して取り扱うことは合理的でしょう。
 ヒヤリに「前兆」の役割を果たさせるためには、失敗を成長のカテにする,これが可能になるためには個人、組織とも「失敗学」が取り扱っている事柄・領域についての理解が必要ですね。

 さぁ、これで第二章の項目ごとの要約がやっと終わりました。
「失敗の種類と特徴」というタイトルから期待される内容は獲得されたか、総括的に何を学ぶことが出来るか、「第二章のまとめ」が欲しいところですが、どなたか時間がとれるからチャレンジしてみようという人はありませんか

投稿時間:2002/09/09(Mon) 14:42
投稿者名:takeo
タイトル:
予測と防止には事例を活用する
大事なことを忘れていました。

>一つの失敗、一つの事故の真の原因をきちんと解明することは、同じ原因で起こる次の失敗の未然防止にそのまま結びつくのです。

 失敗はわざわざ自分で起こしてみないと分からない(未知との遭遇)というのはわずかしかありません。多くの失敗について、先行して失敗事例があるはずです。これらの事例を知っていれば、みすみす同じような失敗を繰り返すコストを省くことが出来ます。

 失敗から学ぶ、その失敗とは自分の失敗とは限らない、他人や他社の失敗事例でも良いし、全く関係のなさそうなレベルの失敗が貴重な教訓になることもあり得ます。失敗に学ぶためには、我々の周囲や人類規模での過去に無数に起こされてきた失敗から如何に学ぶか、ということを修得することが必要のようです。とはいうもののこれはなかなか簡単に出来ることではなさそうです。

例えば、
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=197&reno=182&oya=162&mode
=msgview

のように、はじめの事例で「これは我が社でも起きる可能性がある失敗だ」と気付いていたなら、失敗への対処は雪印から東電までああもステレオタイプの対応が続くことは無かったのではないでしょうか。

 ひょっとしたら内部告白した人は、先行した他社の失敗に学び、打ちも早く手を打たないと二の舞になる、と考えて行動したのかも知れません。ところがその後の対応が全く教訓を修得していなかった。

 失敗の予測、「こういうことをしたら失敗する可能性が高い」という過去の経験をどれだけ蓄積しているか、自他を問わず過去の失敗をどれだけ「一般化」してとらえているか、ということが決め手になります。

投稿時間:2002/09/09(Mon) 14:01
投稿者名:夢之助
タイトル:
☆ 第2章 「まとめ」風として
>  さぁ、これで第二章の項目ごとの要約がやっと終わりました。
> 「失敗の種類と特徴」というタイトルから期待される内容は獲得されたか、総括的に何を学ぶことが出来るか、「第二章のまとめ」が欲しいところですが、どなたか時間がとれるからチャレンジしてみようという人はありませんか

第2章、まとめにはなりませんが、感想を述べてみます。
この本の各章の内容については、各章、最初に簡潔にまとめられており
それだけでもう読んだ気がしてしまいます。本全体について言えば、
工学系の方らしく言葉の定義から始まっており、また、インデックスも細かで分かり易く、正確に伝えようとする意思が溢れているように感ぜられます。ただ、それだけに、淡々とした分析論文のような感じもあって、感情的(感動的)な盛り上がりには欠けるような感じもします。まあ、小説ではありませんが。
成功学だと、あたいもなんてバクチ的感情の盛り上がりがあるのでしょうが、失敗学だと、やはり冷静な分析が必要で、地味なんですね。

第2章は、失敗の種類と特徴が解説されております。

失敗原因の階層性では、下層に個人的な原因、上層に行くに従って社会的な原因とされており、それぞれの階層は、独立したものではなく繋がりがある。注意を要するのは、上層は、下層との繋がりを拒否して、独立したものとして処理(責任転嫁)する事にある。下層の失敗そのものもあろうけど、多くは、見えない要因、つまり上層の失敗に起因するものを発見しなければ、失敗は防げないという事になります。
(例:医療ミスにおいて、看護婦の個人的失敗の陰に過重労働という見えない要因等があるという考え、個人的資質としても、指導体制とかが考えられます)

次に、見えない要因の発見の為に、階層性を平面に分類するという作業がなされております(p59、設計における失敗原因の分類)。この分類は、各分野において違うでしょうから、それぞれの分野で考えておかなければなりません。

樹木構造という事が解説されております。物事の理解の方法として、分類して関連表示するやり方と言えるでしょうが、これは要素(還元)主義的考え方とも言えます。ある事象を理解するのに、その事象を構成要素に分解して、それぞれの要素を分析研究し、それを再構築して全体をみるというやり方です。また、行動方式からみると分業体制を表したものとも言えます。
階層性のところでは、見えない要因という事が説明されておりましたが、ここでは、リンク(関連)しているという言葉で表現されております。それは系統的なリンクではなく、ランダムなリンクである事に注意を要します。つまり、樹木構造の欠陥は、関連表示されているけど、個々はランダムにリンクされている事があることが忘れやすい事にあると考えられます。
分業体制は大量生産になくてはならないものですが、過度の分業は、品質の低下を招きます。本の中で、トヨタの車造りが例に上げられていますが、
過度の分業は、分業された個々が独立を主張するようになり、整合性に欠けるようになります。過度の分業社会では他の部署に口出しする事は悪い事だという概念を作り出してしまいます。統一された設計思想無しには、良品質の車は出来ない事は言うまでもありません。

ハインリッヒの法則が紹介されています。失敗は成長する。300のヒヤリ体験が29件のかすり傷に、それが、1件の重大災害に繋がっているという、労働災害の顕在化法則を失敗学に生かそうと述べられています。堤防の小さな穴が、やがて決壊という事態になる前に、その小さな穴を塞ぐべしです。顕在化していないものはなかなか記録されません。雑談の中に、また、一杯飲みに効用ありと実用的解決法を酒飲みは考えてしまいます(笑)

「ヒヤリとした」「ハッとした」という沢山の小さな失敗を自覚・分析することによって、大きな失敗が避けられると書かれています。しかし、そこには、人間の自己擁護という心理構造があるので厄介であるとも書かれています。さて、どうすれば良いのか、皆さんはどうお考えでしょうか?

第2章で学ぶ重要点は、失敗には見えない要因が存在するという事であると
思っております。

以上、第2章について。

追伸
昨日やっと本が届きました。夏バテで気力弱く、流し読みがやっとです。
前にカキコミした事と関連する事項があるとは思いましたが、力が足りません。第2章の流れに沿っての羅列感想となりました。

投稿時間:2002/09/09(Mon) 14:13
投稿者名:takeo
タイトル:
第2章 「まとめ」への感想
> 第2章、まとめにはなりませんが、感想を述べてみます。

夢之助さん、「夏バテ中」のところ、ご苦労さまそしてありがとうございます。

> この本の各章の内容については、各章、最初に簡潔にまとめられており
> それだけでもう読んだ気がしてしまいます。本全体について言えば、
> 工学系の方らしく言葉の定義から始まっており、また、インデックスも細かで分かり易く、正確に伝えようとする意思が溢れているように感ぜられます。ただ、それだけに、淡々とした分析論文のような感じもあって、感情的(感動的)な盛り上がりには欠けるような感じもします。まあ、小説ではありませんが。

 専門分野がちがうと「失敗」のとらえ方、起こる場所、原因などについて考えるときの重点の置き方が違うなということは感じませんか。

 このところの各企業の失敗事例、これまでの企業の行動パターンが社会的な規範の変化にミスマッチを起こしている、というところに原因があるようです。報道をみて唖然とさせられるのは、他社の失敗が全く教訓として生かされることなく、何回も繰り返されていると言うことです。
「人の振りみて我が振りなおせ」という言葉がありますが、ひとの失敗した「振り」の原因は何か、その原因は当社内には潜在していないか、ということを考えてみるということが出来ない企業が多いようです。

 この「失敗」は、社会環境の変化の見極めが出来ていなかった、という環境対応行動の基本部分での失敗であり、明らかにトップの失敗です。それと同時にこのような他社の失敗事例を自社の教訓にすることが出来ない、という企業の社風にも大いに責任がありそうです。

> 成功学だと、あたいもなんてバクチ的感情の盛り上がりがあるのでしょうが、失敗学だと、やはり冷静な分析が必要で、地味なんですね。

 そうですねぇ、言われてみると、失敗は良い、ということから始まりましたが、その後あんまり失敗に肩入れされていないみたいですね。これで失敗を恥じるな、といわれても・・・となりますね。第3章を検討するときに、自分たちで盛り上げるようにしてみましょう。

> 第2章は、失敗の種類と特徴が解説されております。

> 失敗原因の階層性では、下層に個人的な原因、上層に行くに従って社会的な原因とされており、それぞれの階層は、独立したものではなく繋がりがある。注意を要するのは、上層は、下層との繋がりを拒否して、独立したものとして処理(責任転嫁)する事にある。下層の失敗そのものもあろうけど、多くは、見えない要因、つまり上層の失敗に起因するものを発見しなければ、失敗は防げないという事になります。
> (例:医療ミスにおいて、看護婦の個人的失敗の陰に過重労働という見えない要因等があるという考え、個人的資質としても、指導体制とかが考えられます)

> 次に、見えない要因の発見の為に、階層性を平面に分類するという作業がなされております(p59、設計における失敗原因の分類)。この分類は、各分野において違うでしょうから、それぞれの分野で考えておかなければなりません。

> 樹木構造という事が解説されております。物事の理解の方法として、分類して関連表示するやり方と言えるでしょうが、これは要素(還元)主義的考え方とも言えます。ある事象を理解するのに、その事象を構成要素に分解して、それぞれの要素を分析研究し、それを再構築して全体をみるというやり方です。また、行動方式からみると分業体制を表したものとも言えます。
> 階層性のところでは、見えない要因という事が説明されておりましたが、ここでは、リンク(関連)しているという言葉で表現されております。それは系統的なリンクではなく、ランダムなリンクである事に注意を要します。つまり、樹木構造の欠陥は、関連表示されているけど、個々はランダムにリンクされている事があることが忘れやすい事にあると考えられます。
> 分業体制は大量生産になくてはならないものですが、過度の分業は、品質の低下を招きます。本の中で、トヨタの車造りが例に上げられていますが、
> 過度の分業は、分業された個々が独立を主張するようになり、整合性に欠けるようになります。過度の分業社会では他の部署に口出しする事は悪い事だという概念を作り出してしまいます。統一された設計思想無しには、良品質の車は出来ない事は言うまでもありません。

> ハインリッヒの法則が紹介されています。失敗は成長する。300のヒヤリ体験が29件のかすり傷に、それが、1件の重大災害に繋がっているという、労働災害の顕在化法則を失敗学に生かそうと述べられています。堤防の小さな穴が、やがて決壊という事態になる前に、その小さな穴を塞ぐべしです。顕在化していないものはなかなか記録されません。雑談の中に、また、一杯飲みに効用ありと実用的解決法を酒飲みは考えてしまいます(笑)

> 「ヒヤリとした」「ハッとした」という沢山の小さな失敗を自覚・分析することによって、大きな失敗が避けられると書かれています。しかし、そこには、人間の自己擁護という心理構造があるので厄介であるとも書かれています。さて、どうすれば良いのか、皆さんはどうお考えでしょうか?

 これは「組織風土」がもたらしていることでしょうか。それとも「長い物には巻かれろ」、「口は災いのもと」などもっと根深い組織との付き合い方ノウハウみたいなところに起因するものでしょうか?
いずれにしてもこれからの組織のありかたとしては、環境変化特に消費者や自社顧客の価値感の変化、もっと広く社会一般の規範の変化を良く理解し、適切に対応していくことを最重要課題にするべきだと思います。
 あのような失敗を繰り返していたのでは顧客の変化も把握していないでしょうし、マーケティングもそういうレベルで考えているのだろう、ということで、問題になった企業は、例え今回の失敗が無くても結局はダメになっていく要素を内包した組織だったのだな、ということが理解されます。


> 第2章で学ぶ重要点は、失敗には見えない要因が存在するという事であると 思っております。

失敗はあるステージで起きる。ステージ自体に失敗につながる要因が隠れている可能性がある。この可能性を把握しておくことが大切だ、ということでしょうか。

> 以上、第2章について。
>
> 追伸
> 昨日やっと本が届きました。夏バテで気力弱く、流し読みがやっとです。
> 前にカキコミした事と関連する事項があるとは思いましたが、力が足りません。第2章の流れに沿っての羅列感想となりました。

ご苦労様でした。第3章以降もよろしくお願いします。




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