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K016■本当の問題

投稿時間:2002/05/05(Sun) 14:02
投稿者名:takeo
タイトル:
本当の問題
このところ私が個人的に関心の深い、問題解決−事業計画という領域の話題をアップしています。

地方主権・地方自立といえば聞こえはいいのですが、自己決定というのは大変難しいことです。特にこれまでの路線が完全に行き詰まってしまった時点で、お前達の出番だ踊って見ろ、といわれているわけですからね。
どう踊るのか、お師匠さんもいない状況で自力で踊らなきゃなんない。

いつぞや商店街活性化という問題を取り巻く状況は日本全体の問題状況の縮図だという感想を書きました。中心市街地活性化のシナリオが書けない、推進する組織の機能が構築できないという状況、そもそも活性化とは何か、その進捗状況の判断基準は?といった問題意識さえないままで事業が進んでいく、というのは恐るべきことです。

このような状況で事業が進んでいくということは、これで良しとする思考パターンがまかり通っているということです。誰もこのような取り組みに疑義を申し立てないということ、みんなそのレベルで物事を考えている、ということです。、まあ、国自体が法律を作り必要事項を定義すれば物事はその通りに進んでいく、という思考パターンに陥っていることは、日々見聞するところですが、これは地方自治体も同様、このレベルで地方自治・分権の推進などといっているとやがて日本中の自治体が行き詰まりそう。

中心市街地活性化を実現するということは、これまでのお仕着せの事業メニューを適当に選択して実施する、結果から事業過程を反省するなどと言うことは考えたこともない、という思考パターンから脱却して自分の頭で考え、自分の能力を主体に事業を組み立てて取り組み、成果を享受する、という自助努力による地域づくりのお手本が出来る、ということです。そういう意気込み、位置づけで取り組まないととても実現できない課題ですが、その分、きちんと取り組めば地域にまたとない貴重な問題解決の経験・ノウハウが蓄積されます。
投稿時間:2002/05/07(Tue) 20:10
投稿者名:takeo
Eメール:takeo@quolaid..com
URL :
タイトル:
ゆとり教育
> このような状況で事業が進んでいくということは、これで良しとする思考パターンがまかり通っているということです。誰もこのような取り組みに疑義を申し立てないということ、みんなそのレベルで物事を考えている、ということです。、まあ、国自体が法律を作り必要事項を定義すれば物事はその通りに進んでいく、という思考パターンに陥っていることは、日々見聞するところですが、これは地方自治体も同様、このレベルで地方自治・分権の推進などといっているとやがて日本中の自治体が行き詰まりそう。

最近の例では「ゆとり教育」などがそうですね。これまで詰め込み教育に専念し、そのノウハウで頭の中がいっぱいになっている?先生方に、これからはゆとり教育だ、ゆとりを持たせて創造性を醸成しなさい、といったところで、頭の中の段取り変えはそう簡単にはいきません。もともとそういうことが一朝にして可能なキャパを持った人が果たしてこれまでの教育の中で教師として・・・? と考えれば思い半ばを過ぎるといわなければならない。

中には待ってました!という人もいるんでしょうがこれはごく少数でしょう。

井沢元彦さんによれば我々の社会は言霊が支配しているそうですから、「ゆとり」とかけ声が掛かれば「先進事例」とやらを視察研修して右へ倣え(w。
詰め込みはそれでも良かったかも知れませんが、「ゆとり」となるとなかなかそうはいかないのは「ラグジュアリィ」に対応しなければならない商店街と同じかも知れません。

どこに位置しても自分で考え、知恵を出していく、前例のないことに挑戦しなければならないという時代ですね

投稿時間:2002/05/08(Wed) 15:03
投稿者名:takeo
タイトル:
架説と実践
(架説=架設でも仮説でもありません)

> どこに位置しても自分で考え、知恵を出していく、前例のないことに挑戦しなければならないという時代ですね。

前例のないことに立ち向かうには、トライアルアンドエラー、試行錯誤という方法が用いられます。この方法で間違われやすいのが試行の意義。
試行というのは「取り合えず思いつくことをやってみよう」ということではありません。問題状況をしっかり把握して、解答案を作り、目的及び手段との整合性を確認して解答=実行案として選択する。限られた状況の中で最善の策として選択するわけです。
このとき選ばれる解決策は「仮説」という性格を持っています。我々は物事への取組にあたって必要な全ての情報をきちんと集め、評価し、目的・手段を勘案しながら解答を出す、という仕事を完全にやり遂げることは不可能です。出来るだけ正確を追求しようとすれば、時機を失することにもなりかねません。問題への取り組みは全て「見切り発車」になります。

この仮説を立てることを「架説」と呼ぶことにします。これは多分私の造語(これまで聞いたことがなかったとすれば今日思いついた)です。

我々の実践は常になにがしかの試行という性格を帯びているわけですが、とりわけ現下の商店街活性化などはその傾向が強く、仮説を立てて試行する、失敗すれば失敗を批判して新しく架説、あらためて試行する、という仕事が延々と続くことになります。
試行錯誤とは闇雲にやってみて失敗したらまた考え無しに別の道を試して見る、という方法ではありません。前述のように架説して実践する、というのが試行錯誤の本当の意味です。
したがって、試行錯誤法(すなわち商店街家政科の実践)で大切なことは、試行を組み立てる仮説(そのもとになる理論・知識)が信頼に足るかどうか、ということを十分吟味しておくことです。

実践が失敗したら過程を良く分析して架説が間違っていたのかそれとも実践段階でミスがあったのか、ということを吟味します。架説に失敗の原因があると判断されれば新しい理論・知識を求めなければならないし、実践が失敗したのなら「これからはうまくやる」仕組みを考えることになります。
この作業のプロセスで頭を使い知恵を絞り出していく、結果を評価し誤りを排除していく・・・、この過程が学習と言うことですから、試行錯誤法というのは生涯学習法ということです。知ると知らないとではいずれ大きな差がつきます。

「試行錯誤」とは「架説実践」という意味だということが理解されたことと思います。

そこでちょっと考えてみていただきたい。
これまでの「商店街活性化」の取り組みは一体どのような仮説に基づいて試行されてきたのでしょうか? 
関係各方面には取り組みは試行錯誤である、ということが理解されていたでしょうか?





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