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批評と提言 2004  保存版


F121■「暗黙のご了解」 2004-03-20 (Sat)

 定義:ある特定の集団、組織のメンバーにとって「当たり前」と見なされていること。
あまりにも当然のことなのでいまさらその内容について疑ったり、議論することさえはばかられるようなことがら。

 商店街における暗黙のご了解は、「商店街活性化とは活性化事業に取り組むことである」ということ。
 変な話だが、商店街活性化とは商店街が活性化することではなく、「そのための事業」とされている事業に取り組むことなのである。ホントに不思議な話であるが、商店街の現状を理解するには、そう考える他はない。

1.商店街活性化とは商店街がどうなることをいうのか、当社をのぞき誰も定義していない。

2.活性化事業への取り組みはしょっちゅう、至る所で行われているが、活性化に成功した、という話はほとんどない。

3.いい加減、「活性化事業の取り組み方はおかしいのではないか」という声が挙がりそうなものだが全然気配がない。

4.今日も活性化事業への取り組みが行われており、明日からはまた新しい活性化への取り組みがスタートすることだろう。

という状況から考えられることは、上述のとおり、「商店街活性化とは、活性化事業に取り組むことである」という暗黙のご了解がある、と考えれば納得がいく。

 このような、ふと我に返って考えれば何とも信じられない暗黙のご了解、どうして発生するのだろうか?
それにはちゃんとした訳がある。

 活性化事業がスタートしたころ、事業の目的は、街区内に進出してきた大型店への対抗策だった。アーケード、カラー舗装、イベント、スタンプ事業等々、活性化事業の定番はすべて大型店の施設、販促の「見よう見まね」で「規模のメリット」に集団で対抗する、という立て前で始められたものである。

 結果的にこれらの事業は大型店対策にはならなかったが、隣接する商店街との域内競合の武器としては効果があり、大型店の核的機能も大きくはたらいて、結果的に地域一番商店街の位置に着くことが出来た。つまり、このころ、商店街活性化を目的に活性化事業に取り組めば商店街にその効果が現れたことから、商店街活性化=活性化事業に取り組むこと、という短絡的理解が暗黙のご了解として成立したのである。

 暗黙のご了解の恐ろしいところは、暗黙のご了解がたしかに成立する条件があって成立したのだが、一端成立するやいなや成立させた条件が消滅した後も、暗黙のご了解だけは人々の心の中に生き残り、肝心要の状況で「暗黙のご了解」として猛威を振るうことである。

 今日、活性化事業に取り組めば取り組んだだけの成果が得られる、という条件はとっくの昔に消滅している。対抗しようとした域内の大型店はすでに郊外型SCの前に敗退し、活性化事業で蹴散らして地域一番商店街の位置に着いた隣接商店街はとっくの昔に消滅してしまっている。
 つまり、いまや活性化事業が事業として効果を挙げられた条件はすっかり無くなっているのである。

 にもかかわらず、暗黙のご了解のもと、今日も明日も事業が続けられている。いい加減で「活性化事業では活性化は出来ない」という声が挙がって良さそうなものであり、一声上がればたちまち活性化事業はおじゃんになってしまうのだが、寂として声無し。何故か?

 もはや、誰も活性化事業に何の期待も期待もしていないからである。
組合執行部とは商店街の店主のうち、商店街のお世話をすることになっている人たちのことであり、それ以上でも以下でもない。執行部を押し上げている商店主の皆さんは、「商店街で商売をしている以上、出来るだけ事業などのおつきあいはしていかなきゃ」という考えであり、自店の活性化=売り場としての活性化に商店街活性化事業が貢献するなどということはハナから全く期待していない。

 ということで、暗黙のご了解のもと、誰も何にも期待していない活性化事業が今日も明日も取り組まれる・・・。
 これが商店街における活性化事業についての「暗黙のご了解」の恐るべき結果である(W

 ということで、大きな時代の変わり目には、これまではOKだった「暗黙のご了解」について、環境与件を踏まえて見直すことが必要になっている。
今回は商店街ということで考えてみたが、もって他山の石、あちこちの業界でありそうですよね。

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