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FLASH NOTE 2003/01 保存版


F081■ スローライフと「時間堪能型社会」 Date: 2003-01-30 (Thu)

 最近スローフード、スローライフという言葉が脚光を浴びています。
食品、住まい、環境など毎日の生活に関わりの深い分野を再構築していくための視点、キーワードです。

 大きな流れになっていくものと思われ結構なことですが、惜しむらくは内容が今ひとつはっきりしない。つまり、スローライフということで我々は何を追求するのか、ということですね。まあ、あまりシャカリキに追求してはいけない、まだ懲りないのか、という声も聞こえてきそうですが、片方でこれまで通りのビジネスを繰り広げながら、一方では来るべき社会を説く、というのでは話になりません。
 巨大経済をよっこらしょと方向転換、スローな世界に軟着陸させるにもやはり全体としての経済を廻していく、収益ということを考慮しなければならない。それも現行の高速・効率システムの「反」=補完物としてではなく、全体を革新していく=取って代わっていくということですからなおさらです。

 つまり、経済システム全体に「こっちの水があ〜まいよ〜」とプレゼンしなくてはいけません。一所懸命儲けを追求していたらいつの間にか違う社会を作っていた、ということが望ましい。

 そこで登場するのが当社が提唱する「時間堪能型社会」です。ものを所有する、環境を整備するという空間的・安全、安定確保の欲求が充足された後の課題、自分自身が生きている時間を堪能するということ。そのための自分らしい空間演出であり、人との交流であり、人生であるというわけですね。
 収益事業はあらためてこの方向でのありかたを模索する。これがラグジュアリィ対応ということです。

 時間の過ごし方には大きく分けると2種類あります。
一つは、「時間が経つのが遅い」と時計を見ながらため息をつくようなTPO。早く時間が経てばよい、と望むのは、こんな時間は不要だ、早く過ぎればよいということ、極論すれば「死よ早く来て辛いこの時間から私を解き放って」と望んでいることになる。時間が自分の生きている時間としての充実がない、自分の生き方として納得できない時間だ、ということでしょう。
 
 もう一つは「お、もうこんな時間か」という時間の過ごし方。やっていることに没頭しており時間が経つのを忘れていた、ということですね。
その時間は仕事だったり、遊びだったりさまざまですが、没頭できる時間とは、自分にとって価値・意義・やりがいがある時間だということでしょう。

 堪能というのは両方とも若干違いまして、やっていることを楽しみながら、あるいは苦労しながら、そうしている自分を意識する、慈しむ、総括すれば生きている自分を楽しむ、とでも言いますか、そういうありかたではないでしょうか。
 そうしますとなかなか到達できる境地では無いような気もしますが、習い事などは結構そういう特性を持っているのではないかと思います。

 いずれにしろ新しいWay of Lifeですから事業機会として仕掛ける側の提案・企画が大切です。これは日本のように「無階級社会」、「一億総中流」と言われるような社会から始まり、やがて物が飽和化していく政界全体に広がっていくことでしょう。というか、広がっていかないと人類は地球のキャパシティと衝突してしまうわけですね。

 時間堪能型社会論は、この誰もが反対しない理想的な社旗に向けて収益事業の革新を通じて到達しよう、というところが他のニュービジネスや起業塾、あるいは社会改革運動などと全く異なるところです。その分、ものにしていくのは難しい。特に先覚者として未踏の分野を切り開いていく役割の人は大変です。

 そういう役割を担っているのが、ラグジュアリィモールを目指す、製・流・販各界の有志であり、支援する関係各方面の人々です。当社も言い出しっぺとして末席に連ならせていただいています。

 こうしてみると、モールへの転換も「時間堪能」の一環として取り組む、という姿勢が大事、店づくりもお客と堪能を共有出来る時間作り、という視点が必要だということがよく納得できますね。

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