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FLASH NOTE 2001 保存版


F031■ みんなで作れば怖くない? Date: 2001-10-12 (Fri)

   中心市街地活性化をめぐる取り組みの中で、市民参加とか消費者主導の街づくりなどというわけの分からないコトバが飛び交うことがある。民主主義を街づくりに応用する、と言うことなのか市民が主人公だから市民の意見を聞くべきだというのかよく分からないけれども、このような発想の街づくりは、これはハッキリ申しあげて必ず失敗する。

    そもそも関係者一同、どういう街を作れば市民に支持されるのか、いちいち市民にお伺いを立てなければ分からないようなレベルで取り組む街づくりならひとまずストップ、もう一度勉強し直すべきではないだろうか。そもそも皆さんはどうして消費者が「中心商店街はこうしたら活性化できる」ということをどうして知っていると考えてるのか?日本全国のショッピングセンターで「消費者の意見を聞いて」作られたものなどただの一個所もない。消費者とは、店舗が用意されないと買い物が出来ない、複数の買い物行き先があれば自分の好きな方を選択する、という存在でありそれ以上でも以下でもない。もちろん選択の基準は明確に持っており、自分に合わないと判断したところには金輪際足を向けることはない。しかし、このことと自分の気に入る商業集積を構想する、という仕事が出来るということとの間には大きな大きな距離がある。
「みんなでやる」コトバの響きは結構だがホントにみんなでやるの?どうして?どうやって?

   計画は一人で作るべし、と喝破したのは西九州工業大学の西坂さん(『プランニング思考術』、『計画はどのように作るか』いずれも共立出版)だが、みんなの意見を寄せ集めて街づくりが出来るほど事態は生やさしくはない。

   商店街の街づくりでもっとも大切なことは、どのような街(商業機能・商業集積)を作るのか、それは何故か、まず目的を確立することである。この目的はなるべく贅沢につくることが望ましいというのが現場のノウハウだが、それはさておき、私はなにも関係者の意向などまったく無視して専門家の好きなように街づくりをやらせろと言っている訳ではない。この街づくりの目的については百花斉放、関係者全員でしっかり合意できるまでキッチリ議論する。もし、自分たちだけでは話がうまく進まないうようならこれはもちろんプロの司会者を入れるにこしたことはない。総論でしっかり合意を形成することは比較的容易なはずである。

   次に、総論を基礎に各論の「たたき台」を作る。このたたき台つくりは必ずプロに委託すること。プロと言ってもあなたの街にこれまで出没していた人たちとはひと味違う連中かも知れない。ともかく、各論は必ずたたき台つくりということで委託すること。この委託については事前に全員の合意を確保すること。たたき台つくりだからいろいろ注文は付くが特段の反対は無いはずである。このたたき台は、これ以後の議論の中心となっていく、大切なものであり、これは街づくりの目的・目標を踏まえてプロが一人で作り上げる。このとき余計な雑音は一切遮断することが必要である。

   街づくりの目的を達成するためにはどのような街を作り上げるべきか、これが分かるのはプロだけである。というか、このことが分かる人だけがプロなのである。関係者の意向を集約して際が公約数的な絵を描いたりするのはプロでもなんでもない。

   もちろん、受託したプロには、こうすれば目的を達成できる、という戦略・計画を提出する責任がある。さらにその計画を関係者に理解しやすく説明し、納得し、承認してもらう、という仕事が始まる。この時点での関係者の意見を尊重し、適宜計画を変更することは差し支えない。ただし、目的達成に師匠を来さない範囲で。この段階では既に関係者に目的〜手法が共有されているので、たたき台を台無しにするような意見は出ないはずである。

   街づくりの計画づくりを「みんなでやるべき」の理由として「みんなが納得した街づくりで理想的な街を形成するという目的が達成される」というのは,少なくともプロの立場では考えられないことである。
「納得した」=「合意書に押印した」,ということではなく,「こんな街を作りたい・繁盛する街を作りたい」という目的への合意であるならば,その目的は「みんなで計画する」ことで達成されるとは限らないのだ。「納得した」スタートが「こんなはずじゃなかった」ゴールに到着することは、街づくりに限らず良くある話である。論より証拠、全国の商店街に,「納得してやったが結果は・・・」という事例がごろごろしているではないか。

  「みんなの納得できるまちを作るためにはみんなでやるべきだ」というのは「納得できるまちづくり」の技術論であり,理念ではない。もし,「みんなでやるべき」を理念レベルでいえば,「何事もみんなに関係することはみんなで決定すべきだ、街づくりもみんなでやるぞ」ということになろう。
 どちらの方法であれ,みんなで計画し実践に取り組んで失敗に終わったとき,「みんなでやった」,「民主主義のためにやった」,「みんな納得づくだった」ということで,「頑張ったけどダメだったね」,「良い経験をした」,「この次に活かそう」 などと「一億総懺悔」して終わり。みんなで作った計画だから関わった専門家の責任も雲散霧消するという,たぶん,我が国固有の「波風を立てない生活の知恵」,至極便利なノウハウである。

    街づくりの目的や個別の考慮すべき条件などよりも優先して「みんなでやるべき」というのはまちづくりのリーダーや支援する専門家が絶対に採用してはいけないことだと思っている。
 もちろん「まちづくり」の目的そのものが「みんなでやる」,「民主主義のため に」ということであれば話は別だが。
「みんなでやるべき」と主張する人たちの善意は疑う余地はないのだろうが,商店街の例のように「地獄への道には善意が敷き詰められている」こともあり得る。

   いろいろ考えると「まちづくり=みんなでやるべき」は一般理論ではなく,方法を結果よりも大事に考える人たちが住んでいる地域にだけ通用する手法である。まちづくりの手法は個別具体的なまちづくりにおける目的(商店街の場合のように)や所与の条件などを踏まえて現場で考える,というのがよりよい手法であろう。

   商店街の場合,まちづくりの目的,方向などについての合意形成はもちろんのこと,まちづくりにおける地主,店主等それぞれの役割,必要な技術等々について納得し,修得し,実行していく,というのが不可欠である。
提案の委託〜承認から実践まで自分たちが主役で街を作っていくわけだ。
この場合でも街のあるべき姿を構想するのはプロの役目である。そもそもこの環境激変のまっ最中に、みんなで作ろう、などという発想で繁盛する街が出来上がるわけがない。

   目的は関係者の合意によって確立する。実現のための戦略や計画の立案は、まずたたき台つくりを専門家に委託する。専門家が提出する案を目的達成に向けた確率の高いベストなものであるかどうか、改善点はないか等々を検討し、最終的な採否の意思決定をするのはまもちろんまちの皆さんである。
意思決定権がある、と言うことと計画立案能力の有無は全く別の問題である。ここを混同するとおかしな民主主義になってしまう。いずれ詳しく述べたいと思うが、民主主義の本質は「委託」と「説明」と「結果責任」である。


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