topへ戻る

資料庫へ戻る

2001年MENUへ戻る

FLASH NOTE  2001 保存版


F030■ 「時間堪能型社会」の予兆   Date: 2001-09-19 (Wed)

 「ものを持つことは豊かなことである」という迷信(笑)の時代が終わって、「自分自身が堪能できる時間を過ごすことは豊かなことである」という本来の生活の時代へと転換していく可能性が開かれている。われわれがこの可能性を手に入れ新しい時代を開かない限り、21世紀の人間を取り巻く環境は悲惨なものになることは確実である。

 これまでこの欄では主に商店街を直接のテーマにした考察に取り組んできたが、いよいよ、上で述べたような問題に取り組まなければならない時期が到来した。いずれ詳しく説明するけれども、私は「時間堪能」という新しい時代のライフスタイルと商店街の活性化には密接な関連があると捉えている。そう意味もあって今後この欄はこれまでよりも幅広いテーマについて出来れば深く掘り下げて考察し、標題の「時間堪能型社会」への転換をいささかなりとも後押ししていきたいと考える。

 そこでいよいよ「時間堪能」について。時間を堪能する、とは一言で言えば、自分がこういう風に時間を使いたい・過ごしたい、と考え・期待する通りに自分の時間を使う、そのプロセスと結果に満足する、というライフスタイルを意味している。われわれはこれまでもこういう時間を経験しているが、それは特別の時間出あり、けして自分の生活全体が時間堪能ということを中心に編集されるライフスタイルにまでなっているとは言い難い。

 人生を生きている時間と捉えれば、時間堪能とは人生を堪能する、ということである。これまでのような、他人の持っている物などを基準にものを買ったり、流行に従って服を取り替えたりすることもそれはそれで楽しかったけれども、けして「時間堪能」というほどのことではなかった。

 これからは本当に自分のしたいこと、過ごしたい方法に時間をたっぷり配分して堪能することを目指す。生産システムの向上発展はついに人間を生産現場から限りなく追い出そうとしている。これは考え方によっては自由時間がものすごく増えるということを意味している。問題は時間堪能に必要な所得をどこで確保するかということだが、これは今からみんなで知恵を出し合って解決しなければならない、世界的に重要な大問題である。

 時間堪能は人生堪能=自分堪能である。堪能のタネは自分自身の中にあるかも知れない。何だそうするとそんなにお金も賭けずに済むんだ、ということで時間堪能型社会とは限りなく「物財所有の喜び」からかけ離れたライフスタイルが多彩に展開される社会である。

 商店街の活性化=モールへの転換は、塾のテキスト8ページの図の
右上の象限、「創発」=自己表現・堪能という生活局面を作り上げるために必要な情報・材料の提供を担当する商業集積として生まれ変わるということである。モールへ転換し活性化が実現するということは、生活のなかでこの象限の持つ意味・比重が増すということであり、つまりは「時間堪能型社会」への傾斜を推進するということである。

 中心商店街の活性化=時間堪能型アリフスタイルの提案は、やがては物財の生産−所有を価値とする社会から、自分らしい生活を堪能することを無上の価値とする社会への転換を準備するものである。


Copyright (C) 2003 (有)クオールエイド  All Rights Reserved