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FLASH NOTE 2001.08 保存版


F020■負けに不思議なし   Date: 2001-08-09 (Thu)


   われわれが過去を振り返り、総括するのは、定かなものが何一つ無い将来への取り組みについて、われわれが準備できることのうち、有利・+となるものを増やし、不利・マイナスと考えられることを出来るだけ減らすことで自分にとって都合の良い将来を実現したいからに他ならない。もともと、科学や科学的な精神なども、外界・環境との関係において出来るだけ確実に予測できるものを増やしたい、というわれわれのご先祖様以来の生き方の所産である。 科学的な仮説から経営ノウハウ、占いの類まで、われわれは不確かな未来を出来るだけ見慣れた昨日にオーバーラップさせ、昨日のハウツウでしのいでいこうとする傾向がある。また、多くの場合、一つ一つをはじめての・未知との遭遇として対処していたのでは時間がいくらあっても足りないことは言うまでもない。
 そこで理論・仮説やノウハウ、マニュアルが駆使されることになるのだが、これらの取り扱いについては、なかなか微妙なところがあって、「過去の理論」で未来を考えるときに留意しなければいけないこと、というのがたくさんありそうだ。『コンサルタントの眼』第2号の「勝ちに不思議有り・負けに不思議無し」はその一端を考えてみたものである。

   負けに不思議無し、をもう少し考えてみたい。
 メールマガジン#2では、相手が足を滑らせて倒れたら「押し倒し」でこっちの勝ち、と書いた。とうてい勝てるはずのない相手でも、滑ってくれればこちらが勝つのである。そのとき、何故勝ったのか?、次の勝負への教訓は? と考えてみると・・・。

   主観的な総括としては、「なにが何だか分からないうちに相手が倒れた」、「何で勝ったか分からない、不思議」ということである。このあたりを素直に認めると認めないでは大違い。何故勝ったのかと聞かれて、「立ち会いの踏み込み」とか、「とにかく一所懸命ぶつかっていったら・・」というように答え、かつ、自分でもそう思いこんでいると大変なことになる。次の勝負にも今度と同じような「踏み込み」「気迫」で望めば勝てるだろうか? 前回の勝ちのい直接の原因が相手のミスだった、そりゃぁ、こっちも力一杯ぶつかりはした、それがなければ相手が足を滑らせることはなかったのだから、ま、ぶつかり具合が勝因だ、と言う主張もあるいはいいかも知れない。だが、これが勝因だから次の勝負も、というは行かないことは誰の目にも明かである。
 次の勝負には、相手の強み・弱みや調子、それに対処する当方の得手、不得手、調子などを勘案して作戦を立てることになる。

   相撲の場合は、ビデオや解説もあるから、一人よがりは許されない、すなわち「勝負に不思議なし」、双方の動きの分析から勝負の因果が分析される。お相撲さんはそこから教訓を得ることができる。特に負けた側は何一つ弁解は出来ない、基礎から応用まであらためて稽古に打ち込むことになろう。
 勝った側?「自力で勝った」と総括していては明日以降が思いやられる。「不思議、ラッキー」と考え、次回への応用など考えずにあらためて作戦を考えることになる。
 長々と詳しくもない相撲について述べてきたが、もちろんこれは経営における、あるいは事業全般における経験の総括につながる話だ。

   外界との交渉において「自分に都合の良い結果」をもたらすための手法として、われわれは過去や他人の体験に学ぶ、ということがある。往々にしてそれは成功体験であることが多い。戦国武将に学んだり、内外の大手企業の経営者の言説に学んだり忙しいことであるが、そのとき忘れてはならないのは「僥倖」ということである。つまり、彼が決定的な局面で勝ち、以後、成功の道を歩き続けることが出来たのは、あのとき相手が足を滑らしたからではなかったか、と考えてみることが必要である。人智を超える?さまざまな要因がからみ合う状況で、これが勝因だ、これが成功の一般原則だ、という「成功のためのノウハウ」を導き出すことは不可能である。
 「勝ちには不思議がある」、したがって成功体験に学ぶ場合には、批判的な態度が不可欠である。

   「負けに不思議無し」こちらはどうだろうか?
 冒頭の例でも負けた原因はハッキリしている。自分が足を滑らしたから負けた。そこにはなんの紛れもない。負けるときは必ず、負けた方に原因がある。そこには「どうして負けたか分からない」というようなことはあり得ない。
 多くの場合、敗因は「ミス」である。ミスをしたから負けた、ミスをすれば失敗する。これが勝負というか、物事への取り組みのもっとも基本的な教訓、ハウツウである。

   教訓とは、新しい問題に取り組む際に使いたい過去の経験から生み出された一般論である。「成功教訓」は@相手がミスすればこちらが成功する、A今でも把握できていない要因があったために成功した、B同じような取り組みで敗北した例がたくさんある 等々の理由でおすすめできない。一方、敗北の教訓は、自分の側に非があるのだから、からり具体的に「やってはいけないこと」が明らかになっている。上手に利用すれば、「やってはいけないこと」を選択肢からハズしていく、あるいは選択する場合に利用していくということで失敗する要因をつぶしていくことが可能になる。

   コンサルタントは、というか一般に人間は失敗体験を積み重ねることで成長していく。失敗を直視し、その要因を見極めて選択肢からハズしていく、という作業の積み重ねが失敗の可能性を減らしていくことを知り、自他の失敗に学ぶ、という姿勢が大切である。
 もちろん、これは、石橋をたたいて回れ右をせよということではない。われわれが未来に遭遇する問題は、過去の事例と同じであるということはあり得ない。まして現下の環境である。果断な選択が必要な場合も当然想定される。
そのときわれわれに要求されるのは、過去の成功体験に学んで出処進退を決めるということではなくて、失敗体験を踏まえながら未知の領域に踏み込んでいく、ということである。

   こういう風に考えてくると、われわれに必要なことは、過去の体験に学ぶということもさることながら、問題解決にあたって利用できる情報、利用すべきでない情報の弁別、新しく必要な情報の入手・制作の仕方などなど、問題解決と情報との関係をそれなりに納得のいくように理解しておくことだということが分かる。誰もが経験したことのない環境の中で、新しい問題の解決に取り組み、成功するためには「情報の取り扱い」についての知識・態度・能力を磨くことが必要である。
 その磨き方についてもまた、勝ちに不思議有り、やってはいけないことを身につける?ほうが先となる。その一つが「勝ちに不思議有り・成功体験をまねしない」というわけだ。

    未知の分野での問題解決には「情報の誤り、情報処理のあやまり」が致命的な結果をもたらす。情報に関するミスは「負けに不思議なし」と結末に連なりそう、この欄でも問題解決と情報との関係はメインの問題の一つとして考えていきたい。


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