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世上、地方分権は〈善〉であるということを前提にした論説ばかりがまかり通っておりますが、本当にそうでしょうか。
そんなことは全然・まったくありません。
霞ヶ関が諸悪の根源、地方の実態も知らない中央で物事を決める仕組みが良くない、すべからく地方のことは地方に任せるべしということですが、肝心なことが忘れられています。
地方に任せるべし、といって、そいじゃ地方には「自分のことは自分で決める」といってそれで本当にものごとを処理していけるのか? ということです。
もちろん、自分で決めなさい、といわれれば仕方がない、能力があろうと無かろうと自分で決める以外にありませんから。
しかし、「自分で決める」と言うことが「最善の決定」を意味するものではない、ということは言うまでもありません。
果たして今の「地方」に自分のことについて自分で適正な判断が出来る、とする根拠はどこにあるのでしょうか。
「中央集権」の弊害を解消するために地方分権を採用するのなら、地方分権では弊害はこのように解消する、ということが示されなければならない。このことを抜きにした地方分権論議は「いつか来た道」、後で、やらなきゃ良かったということにならないためには、今のうちにしっかり考えておくことが必要です。下手をすると身ぐるみ剥がされておっぽり出されることになりかねない。
特に、自主財源に乏しい地方は要注意。
「合併」についても同様。
なんのために合併するのか、合併の一般的なメリット、デメリットは明らかになっているのか。
それを踏まえて個別おらが合併のメリット、デメリットはどうか。
デメリットについては対策が講じようとされているか。
このような疑問が公然と発せられないと、「だれかが考えているだろう」と思っていたら誰も考えていなかった、というのがニッポン省思考列島のこれまでですからね、このままじゃまたもや「してやられる」ことになってしまいそうです。
新年早々、
『誰が日本経済を救えるのか!』(東谷暁 日本実業出版社)を読んであらためてニッポン省思考列島の論説のデタラメ振りを再確認しました。
クオールエイドご愛顧の皆さんには必読です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4534033559/qid%3D1104642179/249-3484165-0235541
問題は経済論議にとどまりません。ニッポン省思考列島、経済論説がだめならもちろん、政治についてもデタラメがまかり通っている可能性はずいぶんと高いと考えなければならない。
その実態は当サイトがメインにしている「中心市街地活性化」をめぐる論説、事業のありかたに否応なく現れています。
ということで、これからはこれまで以上に自己責任(wで身の振り方を考えていかなければならないことになります。
考えつくかどうかは別としてその覚悟だけはしておかなければ。
という年の初めの所感でした。
様々な分野で使われていますが、どういう意味でしょうね。
そういえば「連坦」という都市計画用語も意味不明(W
連坦は連袂だろう、というのが私めの勝手な解釈、当サイトでは「袂を連ねて共同行動をとる」ということで、もっぱらこちらを用いていることはご承知のとおりです。
さて、活性化。
これはかねて辞書に載っていないコトバだと書いていましたが、ところが載っておりましたですね、これが。
講談社刊『類語大辞典』に【活性化】活気を失っている組織・産業・地域などを、活気のある状態にする。とありました。「商店街活性化」:活気を失っている商店街を活気のある状態にする、なるほど、日頃用いられている語感ですね。
しかし。
確かにこのような意味で用いられておりますが、もう一歩詰めておきたい。それは「活気」について。
同じ辞書を見ますと、【活気】元気に満ちあふれた雰囲気。
そうしますと、活性化とは「元気を失っている組織・産業・地域などを、元気な雰囲気のある状態にする・・・?
気を取り直して再び辞書をめくりますと、
【元気】健康で生きるための力がみなぎっている様子 とあります。
なるほど「生きるための力がみなぎっている様子」かぁ。
そこでもう一度。
「活性化」とはこのままでは生きる力を失いかけている組織・産業・地域などを生きるための力がみなぎっている状態にすること。・・・もう一歩です。
【生きる】生き物やある機能を持つものが、活動・機能する力を失わずにいる。
ん?、「失わずにいる」ってなんだ?
あ〜めんどくさい、結局、生きる:本来の機能を保っている、機能している、ということですね。
この定義をもってもう一度「活性化」を考えてみると、
【活性化】本来の機能が衰えつつある産業・組織・地域などの機能を賦活させること。
【賦活 ふかつ】病的状態を健康状態にすること(『新明解』)
ということでしょうか。
ついでに
【再生】生物が失われた一部の組織や器官を生命力によりふたたび作り出すこと、また、人工でそのようにすること。
も近いですね。
これらをヒントに考えると、
【活性化】何らかの理由で機能が衰退している組織・地域などの機能を取り戻させること ということで、日頃用いられている語感にだいぶ近くなりました。
念のために「機能」も確認しておきましょう。
【機能】目的に応じて分化した働き(『新明解』」
では「商店街活性化」の定義をば。
【商店街活性化】買い物の場としての機能が衰えている商店街を買い物の場として再生させること。
ということでいかがでしょうか。
つまり、活性化とは日本語でいうところの「賦活」=病的状態にある組織・地域などの機能を回復させること、ですね。
「元気のある雰囲気」ではなく、本来の機能を回復・発揮することによって、その結果として「元気のある雰囲気」が生まれるのであって、「元気のある雰囲気」=からにぎわいを作り出すことが商店街活性化ではない、ということが明白でです。
人間と同様。
機能が衰えている人が空元気を出したからと言って何がどうなるものでもありません。意欲があるうちに正しい手当をしないと手遅れになってしまう・・・。
買い物の場としての機能が衰弱している商店街でイベントをすれば、買い物の場としての機能が回復する、などということはありません。
商店街が「買い物の場」としての機能を衰弱しているのはなぜか?
その理由は当サイトご愛顧のみなさんにあらためて説明する必要はありませんね。
ということで、活性化というコトバ、たぶん、活性というコトバの字面に惹かれて誰かが使い出したのでしょうが、活性化=元気になる、と考えれば目的は「機能」回復であることが明白です。
商店街を本来の機能である「買い物の場」ではなく、別の用途に転用する場合は、商店街活性化ではなく、「街区の活性化」と呼ぶべきでしょう。中心市街地の機能である「買い物の場」としての機能をあきらめ、他の機能として再生する、ということです。
中心市街地活性化は、法のスキームではそこに立地する商店街など商業集積の活性化=買い物行き先としての機能を深津するのだ、という問題意識が無いまま、荏苒日を送っておりますと出来ることも出来なくなってしまいます。
以上、あらためて活性というコトバを考えてみました。
冒頭書いたように、このコトバ、たぶん、並の辞書にはまだ採用されておりません。ここで検討したとおり、使用するに当たっては、「機能回復」という意味をしっかりふまえて使わないと、「活気のある雰囲気」醸成なら何でもあり、になってしまいますから要注意です。
顧客志向には顧客の動向把握は欠かせません。
ご承知のとおり、当サイトはアクセス解析を行っています。
今日はその状況を報告いたします。
ここ1年間の間に4回以上アクセスされた組織。
都道府県:47中42 89.4%
市区町村:677中189 27.9%
商工会議所:526中23 4.4%
という状況です。いろんなことが伺われます。
第一に、基金設置以来管下市町村の商店街活性化に尽力してきた都道府県のアクセス率が格段に高いことは、当サイトについてしかるべき評価がなされている、ということでしょうか。
「中活法」制定以降、取り組みの主翼となった市についてはグンとさがって3割となっています。
TMO設置数でいってもほぼ同じです。
ご承知のとおり、主要検索サイトで中心市街地活性化、商店街活性化などで検索しますと、当社は必ず上位にでてきます。特に、関連で理論的な提唱をしているのはほぼ当サイトだけですから、まあ、年に4回程度のアクセスをする価値はあると思うのですが・・・。
商店街活性化の取り組みに最も近い商工会議所からのアクセスは、5%未満ですね。これはどう理解すべきか、解釈はいろいろできそうですが、実務経験豊富な視点から、「こんなんじゃ、役に立たない」という評価かも知れません。
雑誌『世界』7月号は「犯罪不安社会ニッポン」を特集しています。
その中で消費社会研究家・三浦 展 という人が、「〈ファースト風土〉が犯罪を生む」という論文を書いてiます。
地方都市の郊外で何が起きているのか、と副題した論文のなかで三浦さんは、
1.人口あたり犯罪件数が増加している
2.犯罪は地方で増えている
3.ファースト風土化した地方の流動化・匿名性、「総郊外化」がその大きな要因である
といった視点から、近年、地方都市で起きた特異な事件や「連れ去り」などを分析しています。
私の興味は、三浦さんのテーマもさることながら、地方都市の「総郊外化」・「ファースト風土」化という総括にあります。
※「ファースト風土」は三浦さんの造語。詳しくは、『マイホームレスチャイルド』(クラブハウス 2001所載の「少年犯罪と土建行政」)参照。
郊外化の問題については、三浦さんの『家族と幸福の戦後史−郊外の夢と現実−』(講談社現代新書)に詳しいそうです(以上、同論文の欄外注記を参考に)
ちなみに私は両方とも未見です。
ファースト風土、もちろんファーストフードから来ています。ファーストフードが席巻する地域、といいましょうか、従来のスローフード的食事の場が駆逐され、ファーストフードが猖獗を極めている地域を象徴する言葉です。
これは一方では、郊外型SCがしゃかりき推進する、ニッポン全土均一消費・「ショッピングセンター社会」化の一環でありまして、さらに広く見渡せば、<経済的効率>がよろず物事の基準となっている社会における消費生活/生活全般が〈到達〉している地平でもあるわけです。
さて、世の中は通貨をため込むことに生きがいを感じている皆さんと、そうではない皆さんとのふたつの人種で成り立っておりまして(w、この時代、威勢がいいのはご承知のとおり、通貨をため込むことに意義があると信じて疑わない側ですね。
経済的効率を高めることはいいことだ、何故ならばその結果として通貨が稼げるではないか、というのがこの人たちの理屈?でありまして、稼いだお金で何をするか、稼ぎの彼方には何がある? といったことなどは問題外、もっと稼ぐにはどうしたらよいか?ということにひたすら優秀なアタマを駆使されている。
ま、見方によっては現世の極楽への道、見方によっては無限地獄、でしょうか。
「ファースト風土」化の背後には「経済のファースト化」の進展があるわけで、まあ、マクドもその他諸々のフード業界、それだけで成立しているわけではないわけで、ファースト経済システム内で発案されその一部を構成する、というカタチで成立していることは言うまでもありません。
「いい物をどんどん安く」という水道哲学の理念のフード仁おける到達点とも思えます。
地方在住各位も、なにやら著名ファーストフードの進出をもって周辺地域との差別化といいますか、「どっちがよりファースト化しているか」競っているようなところが感じられないでもありません。
つまり、「ファースト風土」化は地域の皆さんのニーズの所在に応える形での展開である、ということも言えないこともないのであります。
郊外化といえば対をなしているのは、もちろん、空洞化の一途をたどる中心市街地でありまして、なかでも流通のファースト化に乗ることが出来なかった、地場産業、とりわけ中心商店街並びにここに立地する専門店群をチャネルエンドとする全国消費財産地・流通経路であります。(ご購読の皆さんすでに「耳にタコ」状態のことと恐懼に耐えません)
ファースト風土がもたらすマイナス面、これは地域の生活全般についてきわめて厳しい影響を及ぼしています。いずれ別途述べたいと思いますが、ファースト経済は、需要と供給を分断、私提供する人/あなた需要する人、という図式が成り立つかのような錯覚に陥っておりますが、何をおっしゃるやら、供給側に所属して所得を確保できなければ需要などは起きようがありません。そういう意味では、地場(地域から日本国内全部)における生産〜流通〜生活を新しく構築する理念と戦略が必要になっています。
他方、一部グローバルに展開する能力を持った企業&その傭員にとっては「相手にするのは自社製品を買ってくれるお客様」ということで、相手はなにも列島住民である必要は全然ないのでありまして、マジ、「金の切れ目が縁の切れ目」でありますからね(W)
ということで、ファースト経済のいっそうの進展、金満求利企業には結構かもですが、これら一部を除いたニッポン列島住民には厳しい生活環境が見えています。
ほんじゃ、ファースト風土よさようなら、スロー風土よこんにちは、となるのか言えばそれとこれとは別でありまして、やっぱマックのハンバーガーは食べたいね、というのが本音だったりする(ちなみに私めはハンバーガーなんか一生食べなくても平気ですが、食べるならやっぱモスですね〜(W )
ファーストストア:セブンも便利、牛丼もカムバックツウミィ、宅配ビザもありだよね〜、ということでファースト風土化の進展は、お説教では太刀打ちできません。
ではどうするのか?
当然こちらも戦略をたてて対処しなければならない。
ファースト経済に異を唱えるアンチ・ファースト的立場を「スロー経済」と名付けるとするならば、スロー経済は、もちろんスローな風土、スローな生活こそかっこいい、ということを実証、堪能できる条件を整えていかなければならない。
つまりは、「ラグジュアリィな生活」と「ファーストライフ」を目に見える形で対比させ、「どっちがどっち?」という選択肢として提供しなければ負け犬の遠吠えに終わります。
とりあえず、企業関係の各位には、「ラグジュアリィとファースト風土、あんたはどっちに加担するの?」という問いかけがなされているのかも知れません。もちろん当為としてではなくマーケティングチャンスとしてとらえられて結構だと思うのですが・・・。
さて、どっちがどっちなんでしょうね。
ものは言いよう(W
このところ、政治の世界の言説のひどいこと、よく用いられるレトリックでいえば、「憲政史上初めて」ですよね、きっと。
与野党を問わずこれだけびっくり発言が飛び交うのに、全く自浄作用というか、淘汰作用というか、働きません。
「社会の木鐸」を自任する(してないか)メディアもからきしですし。
トンデモ・レトリックの使い手・小泉首相の言動の影響が大きい。
なんですか、「政局好み」というのがギョーカイ内の定評らしく、言い合いになるとにわかに元気がよくなる。
報道される国会答弁などひどいものですね。「没論理的言説」というほかない発言がホントに多い。
すり替え、言い逃れ、開き直り、と全くもって度し難い。
小泉さん流の言説・レトリックでどこでも・誰でもOKならこの世はめちゃくちゃになること必定です。
とっちめなければならない役割の野党、とりわけ民主党の言説のレベルも淋しい限り、小泉さんを追いつめるだけの能力が備わっておりません。普通に聴いてて、どう考えてもおかしい発言・弁論がまかり通るのは野党とりわけ民主党に議論/レトリック能力が不足しているからだと思います。
レトリック、あー言えばこ〜言う、パターンがありまして政治家の言説のパターンはたいてい決まり切っていますから、ちょっと研究すればすぐ立ち往生させられるはず。
小泉さんクラスのレトリックをまかり通らせていたのでは「言論の府」という看板が泣くというものです。
数の論理で押し切られる、と嘆いておりますが、嘆く前に言論をもって首相をとっちめてください。
言説・命のはずのマスコミも全くダメ。
自ら行う世論調査とやらに自縄自縛、いいたいことも言えない体たらく、もう少し戦略的に工夫した動きをしないとこちらも「憲政史上初めて」級の提灯屋になりそうです。すり寄っているとしか思えません。
世論調査のデタラメ、そもそも手法が?なのに実際に行われているのは手法さえ無視したやりたい放題ですからね、デタラメ調査の結果に右往左往するのは自分たちが行っている調査の意味が分かっていない証拠、全く自縄自縛は我が国メディアのために用意されていたコトバかも(W
一度、「何で世論調査の結果って重要なわけ?」と考えてみていただきたい。いろいろ数値がでてきますが、その数値の意味するところをよ〜く考えてみるべきではないでしょうか。
世論調査のデタラメ、いずれ経営フォーラムあたりで考えてみたいと思います。
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